学校では分かりにくいけれど、大切な力や役立つ力ってきっとあると思う
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「学校では分かりにくい力」について書いていきたいと思います。
※あくまで個人的な意見です。
学校で見取りにくい力やあまり評価されにく力について考えていきます。
目次は、以下の通りです。
①学校では分かりにくいことがあると思う
学校で働いていると見えないことがたくさんあるということをよく感じます。
兄弟にとても優しい。
家の手伝いをよくしている。
近所の人たちと仲良くしている。
勉強を家で一生懸命やっている。
習い事ですごく力を発揮している。
✅こうした行動やそこで主に発揮される力は学校では分かりにくことだといえるかもしれません。
学校の教員は、こうしたことの片鱗を見ることはあっても、その現場を見ることはほとんどありません。
私たち学校の教員が見られるのは、基本的に学校の姿だけです。
上記のようなことは、聞くことはあっても、あまり見ることはありません。
学校の姿というある意味狭い視点で子どもの姿を見ているわけです。
学校というフィルターを通してその子の姿が見えているけれど、他の姿だってある。
そのことを忘れてはいけないなと思います。
学校の姿が全て。
そのような考えを持っていると子どもも大人もきっと狭苦しいというか、なんだか生活しづらいんじゃないでしょうか。
これは子どもとか学校に限らず、他のことでも同様なことが言えそうです。
あなたも誰かに何かを言われて「勝手に決めつないでほしいわ」と思ったことはありませんか?
こういう瞬間ってなんだかすごく腹が立つ気がします。
考えてみると「この人はこの側面しか見てないもんな」となるわけです。
ですが、そう考えられるまではそれなりに時間を要します。
誰もがみんな限られた世界の限られた情報で物事を考えて判断して行動している
学校で子どもに関わる時はこうしたことを大切にしながら、それぞれの子に色々な側面があることを前提に接したり、考えたりしていくことが大事なんじゃないかなと思います。
こうして考えてみると学校だけでは分かりにくい力というのは、確かにあるという気がします。
②学校であまり評価されないことだけど…
✅通知票でわかることは学習のことがほとんど
学校に通っているとテストや通知票といった形で評価を受け取ることがあると思います。
この通知票でわかることや評価されていることって、主に学習の成績が多くないですか。
行動の評価のような項目もあるにはありますが、割合は圧倒的に学習が多い気がします。
確かに学習は必要ですし、学校では学習を行います。
ですから、その評価は必要なのかもしれません。
でも、見えにくいけれど大切な力ってきっとあるとも思うのです。
人とやりとりを円滑にするコミュニケーション力、何かを突き詰める探究力、前向きに物事に取り組む力、周りに元気を与える力、試行錯誤していく力などなど。
子どもたちがこれから生活をしていく上で役立つ力やその子の素敵な所ってあるんじゃないでしょうか。
それを自分で知ったり、誰かに認めたりしてもらうことってすごく大切な経験な気がします。
あまりこうしたことが通知票などで項目化されないのは、評価の基準や見とった根拠があまり明確じゃないからなのかもしれません。
学習は、テストや成果物で評価できますが、たくさんいる子たちの行いを一つ一つ根拠を持って絶対的な評価をしていくことは想像するだけでも難しいと思います。
きっと現在の学校では、日常の声かけやコメントなどで、子どもや家庭にこうしたことを伝えていると思います。
それも一つの評価の形です。
ですが、学校が大々的に通知票と渡すものは、学習メインのものです。
そうなると他のことで評価されても、結局は学習のことばかりでなんだかモチベーションが上がりにくい子も少なくないかなと感じてしまいます。
③学校が少しずつ変わっていくために
あれこれ書いてきましたが、「じゃあ結局どうすればいいのか?」と思われるかもしれません。
私なりの実現できそうだなと思うアイディアがありますので、書き記しておきます。
・評価の位置付けを関係者で共有する。
・通知票をなくし、学習は定期的なフィードバックで評価とする。
・現行の通知票では分かりにくい力は日常で認めたり、定期的にメッセージを伝えたりする。
ざっくりですが、それぞれについてちょっとだけ追記します。
✅評価の位置付けを関係者で共有する。
評価をなんのためにしているのか。
評価では見取りきれない部分があるということ。
こうしたことを子ども、保護者、学校、地域などなどと共有しておかないとすれ違いが起きる可能性があると思います。
評価というとなんだか仰々しい気もしますからね。
大雑把に言ってしまうと学校からの学習に関する評価は、進捗度チェックの目安くらいの気持ちでいいじゃないかと私は考えています。
こうした評価のスタンスというか基本的な位置付けを共有しておくことがまず大事かなと思います。
✅通知票を無くして、学習の定期的なフィードバックを行う
学校の先生が学習の評価をつけるときは、学期を通してではなく、それぞれの学習の様子を総合してつけていることが多いと思います。
せっかくそうやってつけているんだから、私はそれを定期的に子どもにフィードバックすればいいと考えています。
子どもも自分の頑張りや現状が早めにわかった方がモチベーションや今後の行動に反映させやすいと思います。
また、通知票で総合して「算数の技能B」とだけ書かれるより、面積の学習はAだったけど、計算の学習はBだったとかの方が自信になる気がしませんか?
現行の年数回のABCとかの評価をまずはちょっと脱却するきっかけに、定期的なフィードバックに変えるというのはとっかかりとしては実現しやすいと思います。
✅現行の通知票で分かりにくい力を伝える
私は、通知票で数ヶ月の成績をまとめて頭を悩ませながら評価をつける時間を子どもたちへの声かけやメッセージを伝える時間にした方がいいと考えています。
学校では分かりにく力、絶対的な基準では評価しにくことに対する主観的ともいえる声かけやメッセージを子どもに送るイメージです。
これはあくまで私の意見ですが、
時間をかけてまとめられたABCよりも即時フィードバックされる学習の進捗度と主観的だけど自分を認めてもらえるようなメッセージの方が子どもの成長のためになりやすいんじゃないか
と思うのです。
もしも、同じくらいの時間を使うのだとしたら、よりためになることのために使った方が良い気がします。
この辺りも結局根拠がなければ、変えることは難しいのかもしれません。
ですが、少なくとも通知票は各学校の判断で出しているものです。
そのため、「1つ学校という中で力を合わせて変えられること」とも言えます。
どこかが変えて、実践したことが新たな根拠となることもあるはずです。
✅話し合いながら、道を模索するという取組をしつつ、まずは小さなところからでも変化していくという姿勢こそ、これからの社会に巣立っていく子どもたちを成長させる場に必要なことではないかな
と私は考えています。
今回は、以上になります。
お読みいただきありがとうございました。
この記事が少しでも皆さんのお役に立てば嬉しいです。
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