明確な答えがないことについて頭を悩ませながら、話し合う経験を子どもにしてもらいたい
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「子どもが学校で積む経験」について書いていきたいと思います。
大人も話題にできる内容だと思いますので、ぜひ目を通していっていただければ幸いです。
目次は、以下の通りです。
生活の中では、明確な答えがないことって意外と多い?
答えが用意されていることばかりじゃないことを知る
学校の学習では、問いに対して明確な答えのようなものがあることが多いように感じます。
イメージしやすいのは、国語の漢字や算数の問題、理科や社会の知識、英語の文法などでしょうか。
これらに関しては、テストなどで理解度を測る機会もあるため、余計に「答え」が用意されているイメージが強くなるように思います。
学校や塾ではテストで効率よく点数が取れるように、答えを覚えたり、決まっている答えの導き方を習得したりする学習をすることがあります。
現状のシステムなどを考慮するとそれもまた必要な技能かと思います。
ですが、日常生活を振り返ってみるとどうでしょうか。
意外と明確な答えが用意されていることって多いんじゃないかなと私は感じています。
些細なことから大きなことまで、算数の計算式のように明確な答えが用意されているわけではないのではないでしょうか。
おそらく「学校生活の中でも答えが明確でないことが多々ある」と考えることができるでしょう。
そう考えてみると
と言えるのかもしれません。
答えのないこととどう向き合うか
「答えのないこととどう向き合うか」は、大人にとっても難しいことではないかなと思います。
私自身、難しいことだなと感じています。
おそらく、子どもにとっても難しいことでしょう。
その難しいことを「子どもには難しい」といって排除したり、大人がレールを敷いてしまったりすることに対して、私は少々勿体無い気がします。
ある意味、親切なのかもしれませんが、私は答えのないことと向き合い、行動するという経験を積むこと自体に価値があると思うから勿体無いと感じます。
自分たちで考えて決断して行動する経験を積む
では、経験を積むためにはどうしたら良いのでしょうか。
私は、
ということを日常の中で時折設けていくことが大事だと考えています。
例えば、PCの利用方法という課題があったとします。
まずは、自分たちにとって話し合う必要があるかどうかを共有します。
必要がある場合、どうしていくのが良いか話し合いをします。
小さなグループで話しても良いですし、学級などの大人数で話しあっても良いと思います。
次に、話し合った結果をまとめて決断をします。
先ほどの例で言えば、「時間が守れていない場合があるから、時間を意識してメリハリをつけた利用をする」といった決断をしたとしましょう。
そのことについて実際に行動をしてみます。
行動してみた結果、成果や課題はどうだったかということを振り返ってみます。
必要があれば再度話し合いをしますし、問題なければそのまま継続していく感じですね。
このように明確な答えのないことに対して、自分たちで考えて決断して、行動するという経験を少しずつ積み重ねていくことに価値があると私は考えています。
先の例ですと、大人が「PCの利用はこうしましょう」ということは簡単です。
子どもも頭を悩ませなくていいわけですからある意味で楽なのかもしれません。
ですが、それではせっかくの子どもたちが考える機会をなくしてしまったり、自分たちで解決する力を培うチャンスを逃してしまったりしている気がします。
何でもかんでも子どもが考えて決断するというのは現実問題難しいかもしれません。
ですが、そうした機会を作ったり、増やしたりすることはきっと可能なのではないかなと思います。
「明確な答えがないこととの向き合い方を学ぶ」というのは、テストでは図られないけれど、とても大切なことなのではないでしょうか。
今回は、以上になります。
お読みいただきありがとうございました。
この記事が少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。
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