ぐらさと

アメリカ在住。アメリカ人の夫と一男一女、犬一匹。 旅とシンプルライフの記録。精神疾患…

ぐらさと

アメリカ在住。アメリカ人の夫と一男一女、犬一匹。 旅とシンプルライフの記録。精神疾患・障害を持つ家族を支えるために。

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心が不安定な愛する人たち

中学生の頃、太宰治が大好きだった。ほぼ全部の作品を読んだと思う。文章から溢れ出る知性と脆さ。おどけたり、絶望したりしながらも、人に何かを強く求めている感じ。その不安定な感じに強く惹かれた。 そして、この前書いたけれど、尾崎豊も同じような理由で大好きだった。太宰治といい、尾崎豊といい、今思うと、精神的に不安定な夫に惹かれて振り回される要素が、私には確実に昔からあったということだ。 夫はもともとは、とても物静かでおとなしく、安定しているように見えたのだけれど、その陰で抱えきれ

    • 異なる文化の中で育った二人

      アメリカ人の夫と結婚して二十年以上経って、価値観の違い、ライフスタイルの違い、そして文化の違いが、とてつもなく根深いものだと、今さらながら実感している。別々の国で、全く異なる文化の中で育った二人に、若さや好奇心や情熱が消えたら何が残るのだろう。子どもが生まれた場合は、子どもを育てるという共同作業が発生し、忙しい日々に追われるけれど、それが終わったら、共通するものとして何が残るのだろう。もちろん人それぞれだと思うけれど、やっぱり国際結婚・異文化カップルには分厚い壁、深い溝がある

      • 家族そろって断捨離

        今まで、自分一人で家の中を整理整頓し、断捨離してきたわけだけど、少しずつ家族にもその影響が広がってきたかもしれない。 まず、少し前から娘が自分の部屋の不要なものを処分し始めるようになった。漫画、美術工芸グッズ、ぬいぐるみ、アニメグッズ、写真などなど、いつもものが溢れていて、見るのを避けていた娘の部屋がすっきりときれいになって、入るたびに「あら、きれい!」と驚くほど。その後、娘の部屋の隣にあるクローゼットに、娘のものがたくさん詰め込まれているのを発見し、げげっとなったけど、ど

        • 自然にシンプルに〜白髪のまま

          白髪染めをしないまま、自然にグレイヘアになることを目指している。今はまだ、前髪にちらちらと白髪が混ざっている程度。でもやっぱり白髪があると、どうしても年を取って見える。白髪混じりをどうやって年寄りくさくなく、おしゃれっぽく見せるのか模索中。ハイライトを入れているように、うまく混ざって行ってくれたらいいんだけど。 あと全体的に、髪の毛に元気がなくなっていて、長くなってくるとパサつく感じがする。なので、きれいなロングヘアはもう無理っぽい。私は最近ずっとセルフカットなので、パサつ

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        マガジン

        • エッセイ
          71本
        • シンプルライフ
          62本
        • 洋服のミニマル化
          18本
        • 家族の精神疾患・障害
          45本
        • 58本

        記事

          身軽で気軽な手ぶら生活

          手ぶらで出かける癖がしっかり身についてきた。仕事以外なら、たいていどこに行く時も手ぶら。クレジットカードと免許証が入ったカードホルダー付き携帯電話をポケットに入れて出かける。車を運転する時は車の鍵も必要だけど、それもポケットに入るので、やっぱり手ぶら。 この身軽さに慣れてくると、今までずっと鞄を持ち歩いていたのが信じられない。最初の頃は、夫と一緒に出かけると「鞄は?」と聞かれていた。でも、夫ももう私が手ぶらであることに慣れた様子。たまに、ちゃんとしたお出かけで小さな鞄を持っ

          身軽で気軽な手ぶら生活

          青系の縦ストライプシャツをあきらめて

          白に青や水色の縦ストライプが入ったシャツに惹かれていた。爽やかで素敵だし、ワードローブには欠かせない定番の洋服と思っていた。 まずは、コットンのシャツドレス。紺と白の縦ストライプのもので、さらりと一枚で着るつもりだった。でも、着てみると、ドレスがダボっとして見えて似合わないことに気づいた。なんとなくパジャマっぽく見えるのは、柄のせいもある気がする。上に黒いカーディガンを羽織ったら引き締まって見えて、まだ大丈夫。たまたま共布のウェストベルトもついていたので、それでウェストを絞

          青系の縦ストライプシャツをあきらめて

          小説よりエッセイ

          いつからか小説よりエッセイが好きになって、今はほとんどエッセイしか読まない。小説は、結局作り話で本当の話ではないんでしょ、という擦れた見方をしてしまう。 吉本ばななさんの小説は若い頃大好きで、たくさん救われたり、癒されたりしていたけど、やっぱり今はエッセイの方が好き。『人生の旅をゆく』とか、noteの『どくだみちゃんとふしばな』とか。久しぶりに小説集の『ミトンとふびん』を読んだけど、主人公が若いなーと思ってしまった。そういう若い視点と感覚で、気持ちや感情を生き生きと表現でき

          小説よりエッセイ

          なんとなく断酒中

          気がつけば、4週間間以上もお酒を呑んでいない。呑み過ぎて記憶をなくし、具合の悪い日が数日続いて自己嫌悪、お酒を見たくもない日々は過ぎ去ったけど、まだなんとなく断酒中。 娘の心臓に問題があると分かって、万が一の時のために、いつでも運転できる状態でいたい、と思うようになったことも後押ししている。 お酒を呑まないと、体調はいいし、痩せるし、夕方からダラダラすることなく活動的でいられる。最近暑くなって来たから、犬の散歩も庭の草取りも、夕方以降の方がちょうどいい。 お酒がなくても

          なんとなく断酒中

          国立墓地にて感じた小さな幸せ

          メモリアルデーの祝日には、毎年セレモニーが国立墓地で行われている。国のために働き、戦争などで命を落とした軍人に感謝して、思い出す日。夫がずっとセレモニーに行ってみたい、と言っていたけれど、実際に動こうとしないので、私が場所や時間を調べて、ようやく今年のメモリアルデーに行ってきた。 国立墓地は、思ったより広くて、緑の芝生に白い小さな墓標がどこまでも整列している風景は圧巻だった。木々も多くて、上空には鷹が舞い、セレモニーの間ずっと、私は周りの景色に見とれていた。 入り口を入っ

          国立墓地にて感じた小さな幸せ

          フリーダ・カーロについて

          フリーダ・カーロは、20世紀のメキシコを代表する女性画家で、メキシコシティに旅行に行った時に伝記を読んで初めて知った。病気と事故、その後遺症、そして何よりディエゴ・リベラとの関係によって苦しんだ一生は、私の心を強く揺さぶり、惹きつけた。そこで、それまでは全く関心のなかったコヨアカンにあるフリーダ・カーロ美術館「青の家」に、急遽行くことにした。 私は芸術については、よく分からない。フリーダの絵は緻密でとても上手だけれど、大体において不気味さをはらんでいる。痛みや苦しみを表現し

          フリーダ・カーロについて

          ポットパイの日

          近所にポットパイのお店がある。チキンポットパイが有名だけど、それだけじゃなくて色々な種類のポットパイを冷凍で売っている。一人用サイズがあるので、うちは家族一人一人が好みの種類を選ぶ。 たくさんの種類を試したけれど、娘はチキンカレー、夫はマッシュポテトのシェパーズパイが定番になった。息子は何でも食べるけど、王道のチキンかポットロースト。私はその日の気分で選ぶ。 昨日は久しぶりにポットパイの日にして、私はシーフードを選んだ。クラムチャウダーがパイ生地に包まれている感じ。冷凍か

          ポットパイの日

          海洋哺乳類を飼い慣らすことについて

          今、訳あって飼育下の海洋哺乳類に関する報告書を読んでいる。海洋哺乳類を飼い慣らして、娯楽・営利目的に使うことに反対している団体がまとめた報告書だから、それがどんなに不適切なことかを立証すべく、悲しい事案ばかりが取り上げられているので、とても暗い気分になる。 思い出すのは、日本の水族館で小さなスペースに閉じ込められていた大きな一頭のシロクマ。ひとりぼっちで、狭い水槽をずっと行ったり来たり、ガラス越しの人達の方を見ながら泳ぎ続けていて、見ていて切なくなった。ストレスからくる常同

          海洋哺乳類を飼い慣らすことについて

          悪い予感と現実

          今、このまま死んでしまえたら、と夫が運転する車の中でふと思った。なぜ突然そう思ったのか分からない。なんとなく、悪い予感がしたのだろうか。このまま、穏やかなまま死んでしまえたら、もう何も考えずにいられる、という考えが浮かんだ。でも、現実はそうは行かない。 その日の午後、夫と久々に大喧嘩した。ずっと落ち着いていたから、安心してしまっていた。夫の精神状態が不安定な時は、まともに言い返したり、受け止めてはだめなのに、久しぶりで忘れてしまっていた。地獄のような日々の再現。落ち着いた後

          悪い予感と現実

          映画『PERFECT DAYS』を見て

          映画『PERFECT DAYS』を夫と見た。夫も私も面白いと思ったし好きだったけれど、感想の違いから、やっぱり価値観の違いが浮き彫りになった気がする。(ネタバレはないはず。) まず、こんな単調な繰り返しの毎日、退屈過ぎない?と夫は言った。それを面白がって見てはいたけれど、自分には無理という感じ。私は純粋にうらやましく、そういう暮らしがしたい、と思った。ルーティンがあって、自分の好きなものが分かっているシンプルな暮らし。 そして、主人公の「今度は今度、今は今」の言葉の意味が

          映画『PERFECT DAYS』を見て

          遠回りして、最後に幸せに辿り着く

          「子ども達は、色々な道を遠回りして、最後に幸せに辿り着く」と私の父が生前に言っていた、と夫から聞いた。何を思って父がそう言ったのか、なぜそれを二回しか会ったことのない夫に伝えたのか、まったくもって謎。 私は特に父と仲が良かったわけでも、でも特に父を嫌っていたわけでもないので、希薄な関係だったと思う。それは父だけでなく、家族全員に対してそうだったので、きっと私の問題なのだろう。 父は、亡くなる前に認知症になっていた。ある日、久しぶりに父に電話したら敬語で挨拶されて、面食らっ

          遠回りして、最後に幸せに辿り着く

          言語のあれこれ〜言葉もミニマルかつシンプルに

          アメリカ生活が長くなった今、日本にいる日本人と話す時、少し緊張する。私の日本語は変じゃないかな?と心配になる。日本語の単語が出てこなくて、英単語まじりのルー大柴になるのは避けられないし、逆に日本で使われているカタカナ英語や新しい単語を知らなくて、古くさい日本語を話している可能性もある。 だからと言って、私の英語には日本語訛りがあるし、英語の文章がいつでも完璧にスラスラと出てくるわけでもない。どっちの言語も中途半端な感じ。 あと、仕事や生活に必要な英語は問題なく話せるけれど

          言語のあれこれ〜言葉もミニマルかつシンプルに