心が不安定な愛する人たち
中学生の頃、太宰治が大好きだった。ほぼ全部の作品を読んだと思う。文章から溢れ出る知性と脆さ。おどけたり、絶望したりしながらも、人に何かを強く求めている感じ。その不安定な感じに強く惹かれた。
そして、この前書いたけれど、尾崎豊も同じような理由で大好きだった。太宰治といい、尾崎豊といい、今思うと、精神的に不安定な夫に惹かれて振り回される要素が、私には確実に昔からあったということだ。
夫はもともとは、とても物静かでおとなしく、安定しているように見えたのだけれど、その陰で抱えきれないほどの葛藤と苦悩があったのだろう。夫が精神的に不安定になった時、私は母を自死で亡くしたばかりで、その上息子も生まれたばかりで、それどころではなく、全く夫を支えることができなかった。私の方も支えが必要な状況だったのだ。
今までなんとか乗り切って来たけれど、20年以上経ってセラピストに話して、やっと母の死を乗り越え始め(まだ完全ではない)、夫の病気についても本当の意味で受け入れ始めた(前は目をそむけている面があった)。
そのコツは、共鳴し過ぎないこと。今まで同調し過ぎたり、それでもうまく行かないと逆に反発したりして、結局はお互いを苦しめていた。距離を置いて、自分を見失わないこと。引きずり込まれないこと。支えるには、まず自分が安定していなければいけない。病んだ心を止められるのは本人だけ。本人が助けを求めなければ、何も変わらない。
大人になった子どもたちも精神が不安定になり、結局私は心を病む人たちに囲まれることになった。でも、今までの辛い経験があるからこそ、子どもたちを理解して、サポートできるのかもしれないと思う。だから、あの辛く苦しい日々は無駄ではなかったと思いたい。家族がいつでもすぐに助けを求められるように、そして必要な助けを得られるように導ける存在でありたい。
だからこそ、私は心の安定を強く求める。好きなことをすること、旅、ヨガ、瞑想、断捨離、そしてシンプル/ミニマルライフ。すべて、自分を見失わず、心を安定させるため。そして、心が不安定な愛する人たちをできる限りサポートするため。
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