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異なる文化の中で育った二人

アメリカ人の夫と結婚して二十年以上経って、価値観の違い、ライフスタイルの違い、そして文化の違いが、とてつもなく根深いものだと、今さらながら実感している。別々の国で、全く異なる文化の中で育った二人に、若さや好奇心や情熱が消えたら何が残るのだろう。子どもが生まれた場合は、子どもを育てるという共同作業が発生し、忙しい日々に追われるけれど、それが終わったら、共通するものとして何が残るのだろう。もちろん人それぞれだと思うけれど、やっぱり国際結婚・異文化カップルには分厚い壁、深い溝があると思う。

例えば価値観やライフスタイルの違いとしては、夫が歯磨きの間に水を出しっぱなしにするところ。冷暖房の極端な温度設定。家にあるものを使うのではなく、すぐに新しいものを買うところ(食べ物を含む)。驚くほど雑なリサイクル方法などなど。それらは、時に文句を言ったり、時に笑いの種にしたりしながら、ほとんどの場合は嫌悪しつつも目を背けてきた。子育てで忙しい日々や精神疾患に振り回されていた時は、それどころではなかったというのもある。でも、子育てや精神疾患が落ち着いてきた今、前よりもっと気に障る。

そして、年を取るとともに変わって来て、ずれ始めた文化の違い。あんなに話せるようになりたいと思っていた英語なのに、夫に対してでさえ英語で話すのが面倒になったり、あんなに大好きで毎日飽きずに聴いていた夫と同じ好みの音楽よりも日本の曲ばかり聴くようになったり。夫の方も、前なら食べていた私の作る日本食を嫌がるようになったり、日本の映画やテレビ番組を英語の字幕で見るのを面倒くさがるようになったり。その逆も然り。

もちろん、同じ国で生まれ育っても、価値観やライフスタイルに違いはある。でも、そこに言語や文化の違いが加わると、若い頃は好奇心や柔軟さや勢いで乗り越えていた壁、飛び越えていた溝が大きく立ちはだかる。

誰が悪いわけでもないし、どうしようもない。お互いに、時には目をつぶり、時には目を背けながら、壁にぶつからないように、溝に落ちないようにして行くしかない。ここで何より難しいのは、すれ違わないようにすること。避けて通るのは簡単だけど、そうすると完全にすれ違って、何の接点もなくなってしまう。避けながらも、すれ違わないように。このさじ加減が難しい。

結局は、お互いへのリスペクトしかないのだと思う。お互いの違いに敬意を払って、受け入れるしかない。どうしても受け入れられないことは話し合い、できる限り共通するものを探して、それらを大切にしながらやって行くしかない。そして、どちらか一方でもそうできなくなったら、関係は終わりなんだろう。

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