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観たいものを観るために|新型iPad ProとAI

来週開催されるAppleのWWDC(Worldwide Developers Conference)では何が発表されるのでしょうか。事前に発売されたiPad ProにはAI関連の機能を強化したM4チップがMacよりも先に搭載されました。そこには生成AIに抗い、観たいものを観るためにという意図があるように思うのです。

 2024年5月に登場した新型iPad Proは事前の予想を裏切らず、高価格化した。標準的な11インチモデルのラインナップから512GBのストレージを選ぶだけで20万円。より大型の13インチモデルに、併せてリニューアルされたMagic Keyboardを含むフルオプションを組み合わせれば、50万円を越えてみせる。これは最新のMacBook Proにも並ぶ。それもそのはず、ハードウェアスペックは同等どころか一部で今回のiPadの方が上回っているのだ。リリースされたばかりのApple社製M4チップが、Macに先んじて初めて搭載された。しかし、その拡張性や自由度の低さなどから、未だMacの代わりにはなりえないiPad Proがハイエンドを指向する背景には何があるのだろうか。

 先代のM3チップの登場から、わずか半年後に公開されたM4チップには多くの改良がなされている。特に新型のNeurtal EngineがAI関連の処理性能を大幅に高めると言われている。その恩恵は意外と身近なところで受けられる。そもそもNeurtal Engineが初めて登場したのは2017年のiPhone Xだ。A11 Bionicチップが、それまでの指紋認証の仕組みを顔認証に置き換えた。そう、Face IDにはNeurtal Engineが使われている。翌年にリリースされたiPhone XSでは標準カメラアプリによるポートレートモードが強化されたけれど、ここでもNeurtal Engineが活躍している。他にも写真内でのテキスト認識表示や、Siriにおける音声認識など、私たちが普段使っている機能を裏で支えているのがNeurtal Engineだったりする。いつの間にか身の周りにはAIが溢れている。この処理性能が向上したとなれば、私たちのストレスも少しは軽減されるだろう。

 さらに高度な機能において、その効果は際立ってくる。例えばこのタイミングでバージョンアップされたiPad向けの音楽制作アプリ「Logic Pro for iPad」には、AIによるいくつもの新機能が盛り込まれた。中でもStem Splitterが分かりやすい。完成された楽曲の音声データをボーカル、ドラム、ベースとその他の4トラックに分離してくれるのだ。実際に普段聴いている音楽をM4チップを搭載したiPad Proに取り込んでみれば、3分強の楽曲が経ったの数秒で処理される。そして見事な精度でトラックが分割されている。すなわち、ボーカルだけを削除したカラオケを鳴らしたり、聴き取りにくかったベースラインだけを取り出したりすることができるのだ。ビートルズの2023年の新曲「Now And Then」が古いデモテープから抽出したジョン・レノン(John Lennon)の歌声を使ったように、適用範囲は幅広い。

 同じように映像編集アプリ「Final Cut Pro」を使えば、1タッチにて、被写体を背景から分離することができるという。対象は自分で撮影した映像に限らない。プロフェッショナルの創作物をコラージュすることも容易になるだろう。これによって私たちのアート鑑賞のあり方が変わるのかも知れない。音楽にしろ、映像にしろ、完成された作品をそのまま楽しむことが原則だった私たちは、AIによって、観たいように観ることが可能になった。すなわち、新たな眼を手に入れたと言えるだろう。これがMacBookと比較してアウトプットが中心のiPadによく馴染む。作るためのAIではなく、観るためのAIがあっても良いだろう。

 イギリスの美術評論家、ジョン・バージャー(John Berger)氏は1972年の著作『イメージ 視覚とメディア』(ちくま学芸文庫、2013)にて、「見ること」を論じた。今のアートの起点、ルネサンス期の油絵に描かれた当時の理想は、絵画を通じて支配階級に所有されたという。家の中に飾ることで、憧れの世界にいつでも触れられるという油絵の性質が、音楽や詩との大きな差を生み出した。氏曰く「資本主義という財産と交換の新しい形態によって決定されるある世界観を油絵の形式が視覚的に表現していて、しかも油絵以外の視覚芸術ではそのことは不可能だったということなのだ」。これがそのまま現代の広告に通ずるという示唆が興味深い。広告はそこに描かれる世界に憧れを抱かせることで、商品やサービスの購買意欲を煽る。そのために、油絵の視覚言語を頼っているというのだ。両者の伝えるメッセージは驚くほど類似している。結果として、私たちは望んでいないものまでをも観せられている。

 今後、生成AIが状況を悪化させる可能性が高い。本物と見間違うほどのリアルな画像や映像がスクリーンを通じて、日々私たちに訴えかける。広告にとどまらず、詐欺まがいのものも多いだろう。つまりは、観たくないものを観せられている。だとしたら、端末の中で働くAIが観たいものだけを取り出して、観たいように観せてくれれば良いのではないだろうか。私たちはAIによって新たな眼を手に入れたはずなのだ。そのために、iPad Proは高度な最新のチップを搭載したに違いない。しかし、課題はその価格にある。誰もが手に取ることを躊躇うような高級品となってしまったiPadが技術の普及を遅らせる。Neurtal Engineの恩恵に預かることができるのが一部の富裕層だけだとすると、なるほど、ルネサンス期の油絵と変わらないことに気付かされるだろう。一般大衆は搾取され続けている。やはり資本主義の歪みは根深いと思うのだ。

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