見出し画像

ポップコーンは買わない。vol.115

主婦の学校

北欧アイスランドにある男女共学の家政学校を取材したドキュメンタリー。アイスランドの首都レイキャビクに、1942年に創立された小さな家政学校「The School of Housewives」。学生たちは寮で共同生活を送りながら、生活全般の家事を実践的に学ぶことができる。かつて、義務教育後に進学の機会が少なかった女性たちを良き主婦に育成する家政学校は世界各地にあったが、時代の移り変わりとともにその多くが衰退していった。そんな中、この学校は1970年代に男女共学となり、性別に関係なく「いまを生きる」ための知恵と技術を求める学生たちが集まってきている。自立した人生を楽しむための術を学ぶ彼らの姿を通し、暮らしや家事のあり方について柔らかく問いかける。

映画.com


食の多様化、外食や中食の発達は今や我々の生活になくてはならないものになってきているが、本当にこれでいいのだろうか。

自分の食事すらままならない現代の生活。仕事があるから仕方ないじゃないか。という言い分もあるだろうが、生活を蔑ろにして、仕事ばかりしていることが本当にあなたにとって幸せなことだろうか。

手仕事は様々存在する。いちばん身近な例でいえば家事がそれに値するだろう。掃除に洗濯、料理など、いまでも自分の手でこなす人は多いことだろうが、夫婦共働きや日々の業務に追われるがあまりに、家政婦やベビーシッター等による家事の代行サービスを利用している人も増えてきていることだろう。

しかしそれでは一人一人の生活力は低下してくばかりだ。

いまや服の修繕のできる若い奥さんはどれくらいいるのだろう。今の時代、男も女もないし、男でも家事くらいはできて当然であるし、服飾においても同様のことが言えると思う。

核家族化の進む現代社会の状況では母親や祖母から教えてもらうこともない、もしくは親の世代から技術が喪失したまま、慣れない家事に追われ、家事代行サービスなんて頼む金銭的余裕もなく、疲弊していくという社会構造が見え見えである。

本作では

家事やら裁縫やらを学んでいくカリキュラムの中で、たまに学校を開放して周辺住民のためにケーキのビュッフェやパーティーを開催して地域とのつながりを意識した内容が組み込まれている。

題名に「主婦」と入っているが、男女問わずに学ぶことができる。

映画の冒頭、入学直前の生徒たちのインタビューからスタートするのだが、彼女らはその学校に通うにあたってまわりから「いい奥さん像」のようなものを期待されていた。

でも彼女らは「決していい奥さんになるためにその学校に行くわけじゃない」と口にする。

なにかといえば、「生きる術を学べる」ということを口を揃えて発言しているのが印象的だった。

そう、彼女らは料理や裁縫などは所詮手段であるということを分かっている。それらをもとにどう豊かに生きていくかを学ぶためにその学校に通うということを明確な目的として持っているのだ。

まじですごいと思った。だってインタビューを受けてた生徒たちはまだ18〜20歳だぜ?
北欧のジェンダー平等のレベルもさることながら、教育の質もうかがえるインタビューだった。

日本は資本主義の限界がきているとどっかの誰かが言ってたけど、そうなのかもしれない。そろそろ歯止めを効かせないと、何でもかんでも効率的にするために削ぎ落としすぎてしまい、大事なものを失いかけている現状に気づかなくてはいけない。

それは道具もそうだし、技術も。


農業の工業化が進んでいる。

工業製品をつくるように、農産物が生産されていくのはどうだろう。ビッグデータによる効率化が進み、一個あたりの農家がどんどんと大きくなっていく。そうすると、コスト削減による単一作物での栽培が増加。システム化された作業に従業員が作業性ということだけに固執し、農業の機能が生産するということだけに集中していく未来しか見えてこない。

それは非常にまずい。


農家は生産だけではない、農業の様々な機能を重視し、品種、技術、歴史、文化、環境、など多様な価値観で農業を捉えていく必要がある。


そのためには本作で紹介されているように、技術だけではない地域の人々との交流や、環境や周辺への意識など、家事や裁縫を皮切りに学んでいく。

それは農業でも何でも置き換え可能で、核となる考え方は共通しているのだ。

私は農業が生産だけに囚われ過ぎていると感じているから、農業で他に何ができるのか模索し、体現していきたいと考えている。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?