タニさん

ほぼノージャンルの音楽好きです。 映画と写真と食べ物も 最近楽しく生きようと舵を切り始…

タニさん

ほぼノージャンルの音楽好きです。 映画と写真と食べ物も 最近楽しく生きようと舵を切り始めました。 思った事を徒然なるままに。

最近の記事

その先へ。

2024年が明けた。 去年はホントにどうしようもない年だった。 ずーっとトンネルにいる感覚。 抜け出そうとしても抜け出せずにもがいてた。 でもどんな暗闇にも必ず少しでも光はある。 それが小さな穴ぐらいの大きさだとしても。 というわけで今は少しマシな状況にはなりました。 まだまだ問題は山積みで抜け切れてないけど。 今年の目標は… "執着"を捨てる。 ですかね。それが何かは上手く言えないけど。 良い年にしよう。 明けましておめでとうございます。

    • 消えないで反逆の

      気が付いたら2週間も経っていた。 インスタ公式から投稿があってからというもの 毎日彼の事を考え彼の音楽を聴いていた。 チバユウスケが亡くなった。 これまでも色んなヒーローが空へ旅立ったが 彼は特別な存在だった。 僕の中にある価値観の全てを作り上げたのが彼だったから。 あらゆる扉の入口を開いてもらった。 大袈裟じゃなく人生の恩師であり先生だった。 最初の報を聞いた時は労働する直前だったのだが今まで精神的には意外に前向きであった。 というのもチバさんは常に今と未来を愛する人

      • 愛しのロックスター

        あれは95年春頃のミュージックステーションのスペシャルだった。 当時僕は音楽にハマり始めた時期でまだまだJ-POP子だった。 多分その時は誰が目当てでもなくたまたま見ていたのだと思う。 そこに登場したのがBUCK-TICKだった。 確か他は割とポップなアーティストばかりで明らかに浮いていたし 当時はヴィジュアル系という言葉が流行り始めていたが、どうもそれとも異質なオーラが漂っていた。 あと何となくボーカルの人はロングヘアだというのは知っていたが髪を切っていた。 何か氷室さんに

        • HERO

          「タニくん、B'zのLiveに行こうよ。」 時は1995年の高校時代に遡る。 クラスは違ったが特別授業が一緒で仲良くなったA君がいた。 彼はB'zが大好きで、意気投合したキッカケもそれだった。 そんな彼が突然そう言ってきた。 僕は快諾した。 10代半ばだったがコンサートと言えば 学校で行った音楽鑑賞ぐらい。 生まれて初めてのLiveいったいどんな景色なんだろう。 そしてA君と後日チケットを買いに行った。 今では考えられないがネットが無い当時は チケットを取る手段は電話予約

        その先へ。

          映画を見よう。

          はたと気付いた。 最近映画を観に行ってない。 とはいえコレはいつもの事で 僕の場合観たい作品が不思議と公開が集中する事が多く それが過ぎるとパタッと観なくなる期間に突入するのだ。 結局は観たい作品が今は無いってだけの話なんだけど。 映画は大好きだが週に1•2本観るとか年間何百本とかそこまででは無い。 前述のような感じだったりするし。だが大好きだ。 最近はスマホ配信で幾らでも見られるようになった。 いやあ凄い時代になったもんだ。 でも数が膨大過ぎて逆に何見ていいかわからなくな

          映画を見よう。

          SLEEPLESS NIGHT

          寝れない。久々に寝れない。 気が付いたら朝日を拝んでいた。 こんな感覚は久しぶりだ。 解せぬ。 ちくしょう。 もう起きたままでいてやる。 ぷんぷん。 若い頃オールするというのは非常に気持ち良かったものだ。 確か中学の夏休みの時だったか初めて自発的にオールし昇り行く朝日を見た時は感動した。 何だかオトナになった気がした。 友達とカラオケでオールした事もあった。 眠い目をこすりながら朝も営業していたラーメン屋で麺をすする。最高だ。 若者はエネルギーで溢れている。 しかし慣れて

          移り行く景色

          先日夜食を求めに地元を歩いていた時の事だ。 ある場所を通った時にはたと気付いた。 ソコにあったあったはずの建物がスッポリと無くなっていたのだ。 それはボウリング場だった。 地元の中ではかなり大きな建物で、ボウリングだけでなくゲームセンター・ビリヤード・卓球・カラオケ更にはワンコイン¥500で食べれるバイキングレストランもある複合娯楽施設だった。 友達とよく遊びに行っていたし、家族ともボウリングをよくした(父親はマイボウル・マイグローブ及びクラブに入ってた)。 そんな思い

          移り行く景色

          フクロウと過ごす。

          その日は大分メンタルが弱っていて (今もまだそれは続いてるのだが) あても無く街をフラフラと歩いていた。 すると目に入ったものがあった。 フクロウに触れ合える施設。 何度か前は通っていて興味はあったのだが いつも入らずじまいだった。 何となく今日入ってみようと思った。 動物に癒されよう。特にフクロウは初めてだし興味がある。 ドキドキではあったが、こういう時は勢いも大事である。ええいままよ。 階段を上がりまず気付いたというか失念していたのだが 私はずっとフクロウ"カフェ"だと

          フクロウと過ごす。

          夏の終わりのハーモニー

          9月に入った。 お盆を過ぎたら暑さは和らぐと聞いていたが 厳しい暑さは続いたまま。 何でも天気予報士さん曰く9月も夏!だそうだ。 夜は少し涼しくなったけど。 自分は今年の夏はそれなりに楽しんでいたんじゃないかと思う。 祇園祭や今年久々開催された琵琶湖花火大会、五山送り火。地元の祭りも行けたし。 ベーコンエッグたい焼き、アイスチョコバナナ万歳。 ふと自分の夏の思い出で印象深いのは何かと考えると 1番強く浮かぶのは昔家族で行ったお盆の帰省旅行だ。 父の地元は京都の上の方にある

          夏の終わりのハーモニー

          自分を知る。

          しばらくnote書いてない ほら結局三日坊主じゃないかと思ったら 三日どころか一年以上経っていた。 恐ろしい。 集中できないにも程があるな。 最近自分は集中力が無いなと感じる事が多くなってきた。 よく歳を取るにつれ無くなってくると聞いた事がある。 でも思い返すと昔から無かったように感じる。 勉強してても漫画読んだりしてたし。 いやそれは誰でもあるか…。 他の人はどうなのかわからないけど この歳になって自分がどういう人間か分かり始めてきた。 細かく書くと長くなってしまうので割

          自分を知る。

          フラフラ咲いてカラカラ鳴いた

          その男の眼光は鋭かった。 まるで観客に喧嘩をふっかけるように。 そこから放たれるサウンドは強烈だった。 全身にロックが宿っていた。 男はアベフトシといった。 ミッシェル・ガン・エレファントというバンドのギタリストだった。 彼のギターサウンドは誰とも違っていた。 それまでギタリストと云えば普通は左手で聴かせる方が常であった。 フィーリング溢れるフレーズを奏でたり別の界隈なら速弾きであったり。 しかし彼は逆の右手で聴かせるタイプだった。 いや、言い方は悪いが殺しにかかるという表

          フラフラ咲いてカラカラ鳴いた

          父親。

          今年も7月がやって来た。 親父が亡くなった月である。 父は人当たりの良い人だった。 とにかくコミュ力が非常に高かったのだ。 例えば昔家族でボーリングへ行った時の事。 隣のレーンにいた全く知らない男性に「どうですか?スコアは?」と平気で声を掛けていた。 またある時は牧場施設に行った際、アーチェリーを体験できる場所があって そこでも隣にいた知らない若い男性に「いや〜難しいですよね」と声を掛けていて(男性若干引いていた) それを見ていた僕はビックリしていた。 そんな調子だから、

          ネコミュ障

          よく犬派?猫派?というのがある。 自分は永らく犬を飼っていたので犬派という事になるだろが猫も大好きだ。だが猫には全くモテない。 たまに野良猫と出会い接触を試みようと近付いてみるがもれなく逃げられる。 何故だろう。触れ合いたいのに。 一度知り合いに話を聞いたら、犬を飼ってて匂いが付いてるからじゃない?と言われた。 なるほど確かにそうかもしれない。 だが犬猫両方飼ってる方もいる。 理由はきっとそれだけじゃないはずだ。 だから私行きましたよ、猫カフェに。 猫カフェ自体に行くのは

          ネコミュ障

          初note。

          日付が変わった。 6月が始まった。初夏である。 そしてnoteを始める事にした。 理由は単に面白そうと思っただけである。 詳しい使い方は未だわからない。 色んな表現ができるらしい。 とりあえずしばらくは文章を書く事にする。 しかし自分は日記的なモノが苦手だ。 子供の頃日記を付けていたが続かなかったし 最近アメブロも始めたのに更新は止まったままだ。 どうしよう。 コレもそうなりかねない。 だから1つ目標を設定してみる。 基本毎月14日は必ず何でもいいから投稿する事にする。 何