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父親。

今年も7月がやって来た。
親父が亡くなった月である。
父は人当たりの良い人だった。
とにかくコミュ力が非常に高かったのだ。

例えば昔家族でボーリングへ行った時の事。
隣のレーンにいた全く知らない男性に「どうですか?スコアは?」と平気で声を掛けていた。
またある時は牧場施設に行った際、アーチェリーを体験できる場所があって
そこでも隣にいた知らない若い男性に「いや〜難しいですよね」と声を掛けていて(男性若干引いていた)
それを見ていた僕はビックリしていた。

そんな調子だから、そこら中に父の知り合いがいた。
僕がよく通っていたジーンズショップに2人で行った時も、何故か父と顔見知りだった。
(ちなみに僕は話した事も無い)
コンビニのバイト時代も同僚の主婦の方が全員父を知っていた。
父はスポーツにも長けていて、地元の少年野球・サッカーチームのコーチもしていて
お子さんが教えてもらっていたからだ。
後々その御家族とお花見させていただき、僕が父の息子という事でスポーツは確実に得意だろうとお子さんにサッカーやろうという風評被害も受けた笑
そう。僕はスポーツが苦手だしあまり興味が無い。
父とキャッチボールをした事はあるが、フォームが気に入らなかったらしくよく注意された。
しかし強制をする事はなかった。
母は厳しい人だったが、父は優しい人だった。
怒った時は怖かったが、ちゃんと筋が通っていた。

こんな事があった。
昔カードダスというカードのガチャガチャが流行っており(多分今のカードゲームの走り)
僕はよくドラゴンボールのを買っていた。
当時はキラキラしたカードが出れば当たりとされていたが出る確率は非常に低かった。
するとある日父がキラカードを含む大量のカードを僕の前に差し出した。
「どうしたのこれ?」と聞くと「知り合いのお子さんがいっぱいダブったらしいからくれたんや。」と答えた。
欲しかったものもあってとても嬉しかったのだが
いくら何でも知り合いとはいえ見ず知らずのおっちゃんに大事なカードをあげるとは考えにくい。
だから確証はないが父が自分で頑張って取ったものだと今でも思っている。忘れられない想い出だ。
父は幼い頃に両親を亡くしている(故に僕は父方のおじいちゃんおばあちゃんに会った事がない)ので
どう子供に接していいかわからなかったらしい。
しかし不器用ながらも愛は充分伝わっていた。

そんな父が亡くなったのは13年前。
持病が悪化してあっという間に亡くなった。
葬儀にはたくさんの人が参列した。
あまりに多過ぎて葬儀屋さんが急遽お焼香の数を増やした程だ。
父がどれだけ愛されていたかがわかった。
何だか誇らしかった。

あれから時間が経ち自分も色んな事を経験した。
今もいっぱい悩んだりいっぱい苦しんだりしてる。
こんな世の中を精一杯生き抜いてきた父の事を心から尊敬している。
もし父が生きてたらどうなってただろうか。
相談に乗ってもらったり2人で沢山語り合ったりできたのになと思うと残念でならない。
俺の人生どうなるんやろ。
でも俺は父の分まで精一杯生きようと思う。
父の血が流れてる事を誇りにして。
父ちゃん、頑張るよ。見ててくれな。

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