こんばんは、お久しぶり 久しぶりすぎて、何をどう書いていいかわからず。 とりあえず現状報告をしようと思う。 私は現在、広島は熊野町、馬上酒造にて日本酒づくりに携わる蔵人として生活させていただいている。 思えば、去年の9月に思い立ち、今やそこにいるとは……なんとも現実味がない話である。 10月末頃から酒づくりが始まり、今はその真っ只中である。 洗米、蒸米、麹造り…想像よりもずっとタフで、なにより日本酒の奥深さを感じる日々である。 とてもやりがいのあることをしている。
こんばんは、 花粉の季節となり、いよいよ春の香りが強くなってきました、 いかがお過ごしでしょうか? 私は、すこぶる元気です。 いや、ほんとのところは少しだけ喉が痛いですわ。 さて、本題に移るよ。 見出す 何を? ずばり、 可愛さも、美しさも、儚さも、優しさも、意味も、価値も、全部全部。 本や映画のセリフに突き動かされることもあるし、 何気ない言動に傷ついてしまうときもあるし、 誰かの行動に、無性に愛くるしいと思う一瞬がある。 これって全部、何かしらを
こんばんは、 しばらくしているうちに、2022年。 パソコンから遠ざかっていたもんで、更新滞ってしまいやした。 まあ不定期と言ってるし、ご愛敬で。 ということで、さっそく本題に。 前回の復習前回からの引継ぎなわけだけれど、 前回の要点でいえば ・我々は短い人生を受けているのではなく、我々が人生を短くしているのである。byセネカ ・だから存在する時間を享受するのではなく、人生を生きる必要がある。 ・人生においては「偉大な仕事」と向き合うべきである。 ・「偉大
こんばんは、 (私にとって)熱い11月も、1週間がたちました。 なんだか最近は、気疲れというか、何もしたくねえっていう状態にあるんだけど、 きっとそれは、大きなイベントの前に精神カロリーを浪費しないようにセーブしてるのかなと思ってる。 筋トレなり、勉強なり、あまりやる気が起こらない日々。 でも、その分”芸術の秋”を堪能している。さいこーだな。秋。 さて、本題に移ろう。 とは言ったものの、何が語れるだろうか。 まだ、仕事の「し」の字も知らないわけだが。 逆に言
前回の投稿から、早1ヶ月弱が経過。 生きております、なにはともあれ無事に。 最近、寒くなってきましたがみなさんの調子はどうでしょう? 身体が冷えてくると、心も冷えて痩せていくような感じがする。 だから、その分いっぱい食べなくては。 蓄えねば。 身も心も暖かくしなきゃ、冬は乗り越えられないし、1人よりも2人でいた方がいいときもある。 もちろん、2人以上でもいいよね。タコパしたいな、 1人で生きる時間も、同じくらい大事であることは言うまでもないけれど。 とにかく
こんばんは、 今日は、学校をさぼったのさ。 なぜって、布団のやつがなかなか離してくれなかったからだ。 あまりさぼったことはないのだけれど、 生きていれば、学校に行きたくないときだってあるでしょう? たまにはいいもんさ、さぼるのも。 うん。たまにはね。 ということで、本題。理解するとは、どういうことか。 または、理解なんてことを本当にすることができるのか? 結論からいえば、 理解するとは、誤解を積み重ねるということ。 何かを100%理解できるとすれば、それ
お 久しぶり。 中秋の名月に見惚れてたのさ。きれいだった。ものすごく。 今宵の月夜も美しい。いや、今宵こそ1番。 今が至上なのである。 それはともかく、 最近、「Tempalay」というバンドにハマっている。 よかったら聞いてみてよ。 ”大東京万博”、”あびばのんのん”とか。 すごくいい。すてきだ。 さて、本題。タイトルにもあるけれど、再度。 ”面倒くささには需要がある” 誰しもが面倒くささを持っている。いい意味でも、その逆も。 言い方を変えれば、ク
こんばんは、 回を増すごとに、文量が増えているような気もする。それでもいいよって人に届いてくれればいいな。 今回は、「思い立ったが吉日」について書く。 ずっと前に考えて、実践してきたような気もするし、最近になってようやく気付いて、始めたことでもあるような気がする。 それはずばり、 その”衝動”の賞味期限は想像しているよりもずっと短いってこと。 何かを観たいと思ったら、観る! 何かを食べたいと思ったら、食べる! どこかにいきたいと思ったら、行く! ってことをす
こんばんは、 玄関を開けると、金木犀の香りがふわりと鼻をくすぐる。 いよいよ秋だなあ、と感じた今日のお昼。 金木犀は、なぜあんなにもいい香りなのか。 あんな香りを身体から発するおじさんになりたい と、それはさておき。 好きな映画のひとつに「ヤクザと家族」がある。 初めて見たのは、2021年2月。号泣した。 NETFLIXでも見れるようになったので、2021年8月に2回目。今度は大号泣だった。 あらすじ等は書かない。面倒だからね。 百聞は一見に如かず。ぜひ見
こんばんは、 テストが一段落したから、浮上。 noteに関して。 今のところ、楽しみながらできているのがなにより。需要なんていうものからは、程遠いところをこれからも突っ走っていく所存である。 投稿としてはまだ、3回目だけどね。 さて、本題。 タイトルは誰の話か? ⇒もちろん私である!! ふふ。何を隠そう、未来の話だ。 と、いっても遠い未来ではなく、1年後。そして、それ以降である。 なぜ、NZ(ニュージーランド)なのか?その答えに、いつも明確な答えを示せずに
こんばんは、 さっそくだが今回は「覚悟」について語りたい。 結論、覚悟とは「逃げ道を断つこと」だと考える。 突然何を言い出すのか! 否、それこそが生きていくという茨の道を進むという中で、三本の指に入るくらいに大事なことであるのだ。 もちろん、それだけじゃないけどね 『覚悟とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!』 思えば、「ジョルノ・ジョバーナの覚悟」と出会ったのは、かれこれ7~8年前くらいになるかと記憶している。 当時は、小学校高学年。なんとなく
はじめまして、 そうじゃない人もいるかもしれないが、まあそこは体裁で noteといえば、Twitterで誰かが書いているのを観た。 それも何度かね。 しかも、ひどく面白いものばかりだった。 「あれ、いいなあ」と思いつつも、中々手がでないものだったけれど ついにこの度、始めてみる。 用途:アウトプットである。 アウトプットってどこでもできるからこそ、それをする場所を選びたい。 慎重にならなければいけない。だからこそ”しづらいもの”なのかもしれない。 (本当は