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言葉の重さについて

前回の投稿から、早1ヶ月弱が経過。

生きております、なにはともあれ無事に。


最近、寒くなってきましたがみなさんの調子はどうでしょう?



身体が冷えてくると、心も冷えて痩せていくような感じがする。

だから、その分いっぱい食べなくては。

蓄えねば。

身も心も暖かくしなきゃ、冬は乗り越えられないし、1人よりも2人でいた方がいいときもある。

もちろん、2人以上でもいいよね。タコパしたいな、


1人で生きる時間も、同じくらい大事であることは言うまでもないけれど。


とにかく、冬に備えねば。




さて、本題。

”言葉の重さについて”である。


ポイント

①軽い言葉なんてない。

②コミュニケーションの決定権は相手にある。

③”言葉にできない”は、存在する。




①軽い言葉なんてない。

これが、一番大事なこと。


言葉には、背景と意図と効果がついて回る。

特に、意図と効果が重要。

なぜなら、意図した通りに効果が得られない時があるから。



「言葉、言刃、言晴」というのがあるそうだ。

時に、言葉は刃にもなり得るし、気持ちを晴れやかにする熱源にもなり得るという意味だ。

「傷つける言葉を言うのはやめようぜー」というメッセージと取れる。


しかし、実際に厄介なのは、”傷つける意図がない言刃”なのではないか。

では、なぜそんなことが起きるのか?

ずばり、ポイント②である。




②コミュニケーションの決定権は相手にある。

人と人との会話とは、当事者同士で創作する言葉の劇だ。                 (小林秀雄より)

参考に、小林秀雄の言葉を置いておく。


実は、言葉の重心は、自分ではなく相手にあるということを忘れてはいけない。

つまり、相手が受け取ったことが、その言葉の意味になる。


だから、自分にその意図がなくても相手が傷ついたら、それは”言刃”になる。

自分の何気ない言葉が、相手を勇気づけられたら、それは”言晴”になる。


しかし、自分の言った言葉が100%相手に伝わることが、絶対にありえないことは、前述した通りである。

では、言葉だけで伝わらないこの思いをどう表現するのか?

ずばり、ポイント③である。





③”言葉にできない”は、存在する。

全ての現象や感情、思想や、美しさを言葉にしたい。

そして、それを全て誰かに伝えたい。

きっと、絶望的に難しいだろう。


でも、我々は言葉だけが伝えるための手段なのか?

否、たくさんあるはずである。


例えば、表情から推察できることもあるはずだし、

身振り手振りでも、ある程度伝わりやすくなるはずである。


つまり、”何かを伝えようとしてやりすぎることはない”ということ。






まとめ

全てのものに質量があるように、言葉にも重さはある

そして、それは等しく重いものである。

軽い言葉があるとすれば、それは人が軽くしてしまっているのだと思う。

例えば、重複や言い方で、軽くなる(聞こえる)言葉の代表例が「愛してる」だろう。



そんな”言葉”だからこそ、使い方や使い時が試されているのだと思う。

「口は禍の元」とはよく言ったものだし、場合によってはその逆もある。

少なくとも、悪意がある言葉が使われないように。

そして、相手のことを考え、自分のポケットの中にある適切な言葉を選ぶのである。


そのためにも、想像力と、学び続ける姿勢を忘れてはいけない。





P.S. 

11月は楽しみなイベントがたくさんあるもので、また期間が空くかもしれないけれど、悪しからず。

気長に暖かくご愛読してもられると幸いにございます。



それでは

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