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紐緖部長とぼくの話 15(完)

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      15

 あれから6年の歳月が過ぎた。
 ぼくはきらめき高校卒業後、一流大学理工学部に進学した。
 紐緖部長に対して出された入学禁止令なるものもあったが、単なるお付きの小姓であるぼくまで効力は及んでいなかったのか、又はあれから2年も経ったので忘れ去られてしまったのからなのかは分からないが、いずれにせよ普通に受験して普通に入学することが出来た。
 時が過ぎるのは早いもので、いまのぼくは学部卒業を間近に控えた大学4年生というわけだ。多くの理系学生がそうであるように、既に大学院への進学が決まっている。
 え、お前の近況なんてどうでもいいって?
 読者の皆さんが知りたいのは紐緖部長が、紐緖結奈があの後どういう人生を歩んだかだって?
 それをぼくも知りたい。

 ◇

 実は、あのラブホテルの最期の夜を経た後、しばらくはまだぼくと部長の交流は続いていた。
 たとえ日米と国境を分かち、海を隔てても、5,000マイルもの距離が開いていても、その気になればメールでやりとりはできるし、なんなら通話したりテレビ会議でお互いの顔を見たりだってできるのだ。
 定期的にお互いの近況を語り合ったり、高校の思い出話に花を咲かせたりしていた。
 だが、それも長くは続かなかった。
 高2の冬、もうすぐ最終学年への進級を控えた頃の話だ。
 この頃、向こうのカロリー過多な食生活がそうさせるのか、画面の向こうの部長は少しずつ、ほんのわずかではあるが肉付きがよくなって来たようにも見えた。
 勿論、そんなことは口には出さない。その程度のデリカシーはぼくにだってある。
 やっぱり社会人は忙しいのか、やりとりは徐々に疎になり始めていた。が、それでも月に一度くらいはテレビ会議で話したりもしていたぼくと部長。お互いのスケジュールの合間を縫って、時差の壁を越えて、久々の通話を楽しもうとしたときのことだった。
 そのときの部長は、珍しくひどく憔悴した表情をしていた。
「部長、大丈夫ですか? 最近お疲れのようですけど。少しは休んだ方が……」
「ハッ、あなたにはどうせ私の苦労なんてわからないわよ。あのゴミみたいな一流大に行こうなんて言ってる未成年のボクちゃんにはね」
「なっ……。たかだか2つ違いなのに子供扱いしなくたっていいじゃないですか」
 一流大学のことを毛嫌いしているのは分かるけれど、なんて言いぐさだ、と思う。一応、国内最高峰の総合大学なんですけど……。
「……フン、2つだろうが10コ違いだろうが18歳未満は未成年、子供よ。たとえクソ法だろうとそう定義されてるから」
「……おかしいですよ、今日の部長。部長が入れなかった大学にぼくが行こうとしてるからって嫉妬してるんですか?」
 「それとも生理ですか?」とも言おうとしたが、流石に喉元でぐっと抑え込んだ。
「フン、嫉妬? この私が? 有り得ないわ」
「どうだか」
「大学なんてアレでしょ? どうせ新歓コンパにかこつけてイベサーのヤリサーでスーパーフリーしてクライスしに行くんでしょ? お琴とテニスならぬオトコとペニスにしか興味のないようなバカ女子大生を孕ませたりするんでしょ?」
「いい加減にしてくださいよっ! そんなわけないでしょ、そんなことしたら人生おしまいでしょ! 部長こそアメリカンでマッチョなイケメンとよろしくしてたりするんじゃないですか?」
 言ってから、しまったと思った。
 部長の片眉がピクリと上がった。
 画面の向こうの部長がわなわなと震え、拳をテーブルに振り下ろした。
「ざけんじゃないわよっ!」
「ひっ」
 そんな筈はないのに、画面を隔てたこちら側の世界も揺れた気がした。それほどの衝撃が走った。
「ご、ごめんなさい部長。言い過ぎました……。部長ほどのお人が変な男とお付き合いされるなんて、あり得ないことです」
 だが、謝罪の言葉は火に油を注ぐ結果にしかならなかったようだ。
「五月蝿いっ! 安院くんなんてもう知らないわっ!」
「そ、そんな……。そんな……、部長。ぼくが悪かったなら謝ります。直すところがあるなら直します。だから、だから……!」
「やかましいっ! あんたとはもう縁を切るッ! もう今後は一切合切何もナシよ! 二度と連絡しないわ。いや、そっちからの連絡も死ぬまでしてくるなっ!」
 そう言ってプツンと切られた。

 ◇

 そのあと何度か連絡を試みようとしたが、電話もメールもウェブ会議も応じるどころか一切反応してくれなくなった。多分ブロックされてしまったようだ。
 そうしているうちに、やがて連絡を試みようとすることもなくなり、時だけがただ流れていった。
 最後に部長と話したあの日から一年後、ぼくは一流大学にトップの成績で合格した。この喜びを愛する人と分かち合いたかったが、そんな相手はもういない。連絡すらとれないのだから。ぼくの心にはがらんと空洞ができてしまったかのように冷たい風が流れていた。
 大学に入学した後もそうだ。
 同じ学部で知り合った友達の中には新歓コンパやマッチングアプリで彼女を作ったり多種多様なサークル活動に没頭したりと、青春を謳歌していたりするヤツもいたが、ぼくにはとてもそんな気にはなれなかった。
 大体、そんなところにかつて愛したあのお人よりも魅力的な女性などいるわけがないのだから。
 恋愛には、ましてサークル活動などにもまるで興味が持てなかったので、その代わり大学生活では勉強に━━実験と研究にひたすら没頭していた。
 お陰で学部は首席卒業がほぼ内定している。

 ◇

 卒業論文も大半を書き終えた12月の冬の日、ふと胸に去来するものがあった。
(いま、どうしてるんだろ……。紐緖部長……)
 いや。
 ふと胸に、という表現は正確ではなかった。
 常にだ。この6年間、いつでもどこでも何をしていても、常に頭のどこかではあの人の事を考えていた。
 仕事は順調なんだろうか。
 元気でやっているんだろうか。
 新しい研究を始めたりしたんだろうか。
 向こうで新しい恋を見つけたりしたんだろうか。
 部長が……、紐緖部長が別の男と?
 なんとなくだが、ハーバードかMIT辺りを卒業しており、かつプロ級のアメフト選手でもあり、更に身長なんて195センチくらいあるスーパーマンみたいな超絶エリートビジネスマンを想像してしまった。
 元カレとして彼女の幸せを祈りたい気持ちはある。だが、別の男に抱かれるあの人を想像してしまっても平静でいられるほど老成してはいなかった。
 ある日の深夜。自宅にて。
 あまり強くもないお酒をちびちびと呑んでいたぼくの中に、アルコールの力も相まって「そうだ、部長に会いに行こう」という想いが唐突に芽生えた。
 居ても立ってもいられず、航空会社のホームページにアクセスし、米国行きの航空券を予約した。出発日は12月24日。クリスマス・イブの日だ。とはいっても、フライト時間と時差の問題もあって、現着するころには25日になってるんだけどね。
 部長には『25日にそっち行きます!
○○空港で××時着です。待っててください』と一方的にメールを送りつけた。ブロックされてる? 構うもんか。
 さらに翌日ぼくは、貯金の殆どをおろした。向かった先は銀座のジュエリーショップだ。0.5カラットのダイヤモンドの指輪だ。即決で買った。50万円もした。3ヶ月どころか8ヶ月分の生活費に相当する。
 これと最低限の荷物だけ持って、ぼくは飛行機に乗り込んだのだった。

 ◇

 空の上。
 フライトの最中、ほんの少しだけ冷静さを取り戻したぼく。頭の中に『やっちまったぁ~』という声が響く。
 あんな一方的なメールを送りつけて、今更迷惑以外の何者でもないし、そもそも行ったって逢えるとは限らないじゃないか。
 万が一逢えたとして、もうとっくにぼくの事なんてどうでもいい存在に成り果ててるんじゃあないか?
 男は「新しいフォルダに保存」でも、女は「上書き保存」だっていうだろ。その証拠にこの5年間一切連絡なんてしてこなかったじゃないか。
 大体、もう結婚でもしてるんじゃないか。いや、そこまで至らずともフツー、新しい恋人くらいできてるんじゃないのか。
 まだ学生気取りで結婚なんて夢の話と思ってるのかもしれないけど、彼女はもう社会人6年目なんだぞ? まだ24歳だっていっても、社会人6年目って大卒で考えたなら28歳。既に結婚してたって何も珍しくなんかない。
 もしも彼女の幸せを真に願うというのなら、そっとしておいて逢わずにいるのも愛なんじゃないのか?
(……うるさいッ!)
 自分の中に棲む何者かに対し、心の中で一喝した。
 ぼくが逢いたいから、想いを伝えずにはいられないから行くんだ。結果なんて関係ないっ! この先ああしておけば良かったなんて後悔したくないから行くんだ。部長が今どうしてて、何を考えてるのかさえも関係ない! だって、これは、ぼくがぼくらしく生きるために必要なんだ。ダメならダメだっていい。それならこの指輪、ミシシッピ川に捨ててきてやる。そんな女のことは振り切って、新しい人生を始めてやるんだッ!
(はーっ……、はぁっ……)
 そんなことを考えている内に、飛行機は目的地の空港に無事降り立った。 

 ◇

 心を、覚悟を決めたつもりだったが、税関を潜り抜けた瞬間、足元の地面が存在感を失ったような、ひどく覚束ない気分となった。
 本当にここに来てよかったのだろうか?
 そう思っていた最中、こちらに近づいてくる人影があった。
(まさか……部長!?)
 いや、そんなことはなかった。
 近づいてくるにつれはっきりと分かったが、そもそも年格好が違いすぎた。大体5、6歳の女の子だ。日系人のようだが。
「きみ、どうしたの? お父さんかお母さんは?」
 その女の子はぼくの目の前まで来ると、目を細めて睨むようにこちらを見上げてきた。
「……な、なに?」
 女の子はしばらくの間ぼくのことをじっと見つめると、最後はベーと舌を出してどこかへ走り去っていった。なんて子供だ。ちょっぴり可愛いなって思ったけど。
 あ、いや……コホン。ぼくはロリコンじゃない、決して違うぞ。一応ね。
 気を取り直したぼくは、部長に逢えるかもしれないという、か細い可能性に掛けて空港内を駆けずり回った。
 小一時間ほど走り回ったところで、見覚えのあるシルエットを見つけた。待合室にいた。後ろ向きで顔は見えなかったが、間違いない。
「ぶっ、部長っ! 紐緖部長っ!」
 思わず声を出していた。
 その人は声に反応し、こちらへ振り向いた。
 記憶よりも少し大人びていたが、見間違えるはずもない、紐緖結奈その人であった。
「安院くん……」
 かけたい言葉はいくらでもあった。
 元気してましたか。ぼく、一応一流大を首席で卒業できそうなんです。ところで部長は最近どうしてるんですか。仕事は順調なんですか。そしてそれより何より、どうしてあの時ぼくのこと振ったりしたんですか。ぼくの事嫌いになったんですか、と。
 でも、出てきた言葉はたったひとつ。シンプルなものだった。
「結婚して下さいッ!」
 指輪の入ったケースを正面に突き出しながら、それだけを部長に言い放った。ついでに言うと、90度の角度で頭を下げつつ、全身がプルプル震えている。
「いいわよ」
「えっ」
 指輪ケースを受けとると、まるで三日ぶりに顔をあわせた友人のような気安さで部長は言う。
「ただし、ファミリーネームは私の方に入ってもらうわよ。だって、会社名を変えるなんて面倒だもの」
「そんなの構いませんけど……、ど、どういう事ですか?」
「……ああ、言ってなかったわね。私、これでも今は独立して会社経営してるのよ。Himoo technology LLCの社長なの。だから、部長じゃなくて社長って呼んで欲しいわね」
「な、なんで……? いや、そんな事より、ぼくの事、嫌いになったんじゃなかったんですか? あのとき、連絡も全部絶って……」
「……ああ、ごめんね。ホルモンバランスって言うの? あの時はちょっと気が立ってたの。しかもあの後、ちょっとトラブルがあってパソコンが完全に壊れちゃってね。安院くんのも含めて、連絡先も全部吹っ飛んじゃって。どうせそっちから連絡くれるだろうと思ってたんだけど、なかなかくれないんだもん。こっちだって忙しいのに。私も困ってたんだから」
「じ、事情はわかりましたが……」
 なんだか訳がわからなくなってきた。
 これ、プロポーズ成功って事でいいのかな。
「あの……。ぼく、来年からは一流大の院に進学予定でして……」 
「はぁ~っ!? それはいけないわね。院なんて辞めちゃいなさい。それより就職しなさい」
「ええ……で、でも、もう就活シーズンはとっくに終わりで……」
「そんなのは関係ないわ。副社長待遇で雇ってあげるから、うちに来なさい。これは命令よ。業務内容は社長である私の業務管理、実験補助、それから未就学児の世話と……」
「え、今なんて言いました? 子供の世話?」
 部長改め紐緖社長はコクンと頷いた。
「結依~っ、結依っ! ほら、来なさいっ!」
 声を張り上げると、向こうから走ってやってきたのはさっきの女の子だ。目が悪いのか、近くに寄ってきてはジロリとぼくの顔を見上げてくる。
「え、ええっ……!? ま、まさか、その子……お子さんですか?」
「……そうね。私が産んだ娘よ」
「そ、それはおめでとうございます。ご、ご結婚されてたんですね。失礼かもですけど、ご結婚されて、今は離婚されたって事ですか?」
「ハァ!? 私、まだ結婚なんてしたことないわよ」
「え、えええ……?」
 意味が分からない。噛み合ってない。結婚してないのに娘がいるということは、米国に渡ってからは余程爛れた性生活を送っていたということじゃないのか。
「もう! 察しが悪くて困っちゃうわね。いい!? この子はもうすぐ5歳になるところ。トンネル効果によって誰かの精液がポテンシャル障壁を越えて膣内に入ってきたりでもしない限り、私の男性経験は一人だけ! ここまで言っても意味分からない!?」
「んな……!」
 全てを理解した。
 あ……あんたバカなんですか。何で今の今まで教えてくれなかったんですか。異国で働きながら一人で子供育てるなんて大変だったでしょうに。あ、産んだときはまだぼくの方が未成年だったから? まさか迷惑かけないように配慮してくれたんですか? それにしたって何も教えてくれず5年も放置なんてヒドイじゃないですか。ああ連絡先が分からなかった? いや、こっちはどれだけあなたの事心配してたと思ってんですか。なんで父親であるぼくに一切相談もせずに名前だって決めちゃうんですか。でも結依っていい名前だな。いやそんなことより……。
 言いたいことは無限にあった。でも、溢れ出る涙を止めることができなくて、ぼくはなにも言葉を発することができなかった。

(了)

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