ちょいと待ってくれよ!意志決定支援ー意志決定批判 Ⅰ
福祉・介護の世界では、よく、意思決定支援という言葉を耳にします。福祉、介護の世界で、哲学的にはほぼ否定されている「意志」概念に、なぜしがみつくのでしょうか。
そして、「意志」概念と手を切った場合、その代わりどのような概念が相応しいのでしょうか。日本の福祉・介護では標準の意志決定支援ですが、少し立ち止まって考察してみたいと思います。
1.意志決定支援の問題性
(1)意志決定支援のプロセス
意志決定支援とは支援対象となる者が意志決定することが十分にできないというのが大前提で、その支援プロセスは本人が意志を形成することの支援(意志形成支援)、本人が意志を表明することの支援(意志表明支援)、本人が意志を実現することの支援(意志実現支援)だといいます。
(参照:「認知症の人の日常生活・社会生活における 意思決定支援ガイドライン」厚生労働省2018年6月)
※ 福祉の世界では「意思」[1]と表記することが多いようですが、今回は参照や引用する書籍の「意志」という表記に統一します。
(2)ハイデガーの「意志」概念批判
意志決定支援の中心概念である「意志」概念の意味、意義について考えてみたいと思います。
國分功一郎(哲学者)さんの著書『中動態の世界-意志と責任の考古学-』にハイデガー(Martin Heidegger; ドイツの哲学者 1889年 - 1976年)の「意志」に関する興味深い考察が紹介されています。
ハイデッガーの意志に対する批判は苛烈です。
意志するとは、今までのしがらみや経緯などの延長線上でなりゆきにまかせて何かを決めることではなく、自らが責任をもって主体的に未来志向で何かを決めることです。
ですから、意志は過去から断絶した始まりであり、過去に引きずられず、過去や経緯を顧みない、考えないということになるのです。だからこそ意志は行為の出発点となるし、引きずられたくないしがらみや過去を憎むことにもつながるのでしょう。
次の國分功一郎さんの指摘は意志の問題性を如実に表しています。
(3)意志に伴う責任
さて、ケアマネジメントは意志決定支援という側面を有しています。
この考えの大前提は、本来「人は自由に意志決定ができる」という考えです。つまり、人には「自由」があり、「意志」することができる。
よって、自由に意志決定ができるということを前提としているのです。
意志決定支援の大前提は自由意志ですが、この自由意志とは、なんら他からの強制・支配・拘束をうけないと同時に、行動を自発的に選択することができる「意志」のことだとされています。
ですから、意志決定支援としてのケアマネジメントの中核概念は「意志」となりますが、先ほど紹介したようにハイデッガーはこの「意志」概念を先に紹介したように痛烈に批判しているのです。
このハイデッガーの「意志」概念批判などを梃子にしてケアマネジメントの「意志」決定支援についてもう少し考えてみたいと思います。
2.2010年代、J-哲学の「意志」概念批判
(1)J-哲学とは
山口尚(哲学者:京都大学講師)さんによると、J-POP[2]ならぬ、J-哲学[3]があるといいます。
この、J-哲学は西洋の哲学をたんに紹介するのではなく、日本語で独自の思考を紡ぎ出している一群の哲学者たちのことです。
先に、ハイデッガーの「意志」批判を紹介しましたが、山口尚さんによると、J-哲学は2010年代にこの「意志」概念について批判的に取組んでいたというのです。
山口尚さんはJ-哲学の次の6人の哲学者らを取り上げ、これらの哲学者たちに共通しているのは、自由の大前提である「意志」概念の批判だとしています。
國分功一郎(哲学者:東京大学大学院総合文化研究科教授)
青山拓央(哲学者:京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
千葉雅也(哲学者・小説家:立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
伊藤亜紗(美学者:東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)
古田徹也(哲学者:東京大学准教授)
苫野一徳(哲学者:熊本大学大学院教育学研究科准教授)
(参照:山口尚 2021「日本哲学の最前線」講談社現代新書 p8,193)
(2)國分功一郎さんの「意志」批判
山口尚さんは自身の著書「日本哲学の最前線」(2021講談社現代新書)で國分功一郎さんの「意志」批判を次のように紹介しています。
「意志」概念の無批判的な使用は、過去を背負い他者との相互性の中で生きている人間に関して認識的痂疲、欠点を生じさせてしまう怖れがあるということでしょう。
(3)新自由主義と「意志」批判
さて、なぜ、J-哲学が2010年代に「意志」批判を展開したのかは定かではありませんが、1990年代から始まった新自由主義の影響が深刻化してきたのが2010年代だったからかもしれません。
2010年代は約20年間にわたる社会経済の自由主義化によって、派遣労働の拡大、非正規化等により労働力が流動化し、社会保障が厳しく制限されるなか、自己責任論が跋扈するようになったわけですが、この自己責任論を支えるのが「意志」という概念なのです。
自由な意志を持った人間がその都度の意志決定の結果、社会から落ちこぼれたとしても、それは自己責任だから国家は責任を取らない、という言説がはびこるようになったのが、J-哲学の「意志」批判の背景ではないでしょうか。
いずれにしても、國分功一郎さんの『「意志」の概念の無批判的な使用は却って認識や思考の欠如を招来する』という言葉はそのままケアマネジメントの意志決定支援論を直撃していると思います。
わたしは、この國分功一郎さんの指摘は、福祉・介護のケアマネジメントとにも当て嵌まるのではないかと思っています。
私は特に次のことを心配しています。
①「意思」決定した当事者(障がい高齢者)本人の新自由主義的な自己責任を問う論理であること。
② 原理的に不可能な「意志」決定は当事者の過去や他者との相互関係を軽視する思考上の傾向を招来させること。
③ 原理的に不可能な「意志」決定であるがゆえに、「意志」決定を支援すると称して、実は、お仕着せのサービスプランを承認させること。
今、このケアマネジメントに忍び込んでいる「意志」という概念を批判的に検討する必要があると思うのです。
[1] 「意思と意志の違い」とは、簡単にいえば、「意思は気持ち・考え・思っている事のこと」であり、「意志は意欲・意向・したい/しようと思っていること」である。
「意思」は「行動や選択をする際の元となる内的な心の動き」を意味する語である。「意志」は「目標を定めた心の様子」を意味する語である。「意思」も「意志」も、どちらも「気持ち・考え」を意味する言葉である。そして「意思」は特に「どう思っているのか」を意味し、同じく「意志」は特に「どうしたいと思っているのか」を意味する。(参照:https://www.weblio.jp/content/%E6%84%8F%E6%80%9D%E3%81%A8%E6%84%8F%E5%BF%97%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84
[2] J-POP(ジェイ-ポップ、英: Japanese Popの略で、和製英語)は、日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉。1989年頃にその語と概念が誕生した後、1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった。
[3] J-哲学とは西洋の哲学を紹介するのではなく日本語で哲学に取組んでいる一群の哲学者たちのこと
続きも是非、ご笑覧願います。
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