寄り沿うケアマネジメント 意志決定批判 Ⅴ
10.非自立的同意
(1)非自立的同意
ケアマネジメントにおいて、当事者(障がい高齢者)がケアマネジャーの提示する介護サービス種類、サービス事業所等々を「選択」するとして、はたして当事者たちは「自発的」に同意しているのでしょうか。
この場合の「自発的」とは純粋に自発的な能力としての「意志」に他なりません。
もちろん、ケアマネジャーは自らの提案を当事者に強制しているわけではありません。当然、複数案を提示し選択してもらうのでしょうが、厳密な意味で「自発的に同意」する当事者がいるのでしょうか。
たぶん、多くの当事者は、よくわからないけれど、ケアマネジャーが言うのだからと、なんとなく同意する、よくわからないから取り敢えず?仕方なく?同意する場合が多いのだと思います。
國分功一郎(哲学者)さんは、強制はないが自発的でもない同意は日常にあふれていると指摘しています。
國分さんは、このような強制はないが自発的でもない、仕方なくする同意を「非自発的同意」と名付けています。
介護施設の施設サービス計画への当事者の同意なども、確かに強制はありませんが、本人、家族が介護サービスに詳しくない限り、他に選択肢はほとんど無いのですから入居者が同意したとしても、それは「非自発的同意」でしょう。しかたなく?、なんとなく同意しているに過ぎません。それでも、ご本人が自発的に同意した、「意志」決定したということで自己責任を負わされるのです。
(2)施設サービス計画と居宅サービス計画の相違
蛇足になりますが、介護施設の入居契約は実質的には全権委任[1]契約に近いものです。
いったん、この全権委任契約に同意(非自発的同意)すれば、施設サービス計画への同意は単なる手続き上の形式的同意にすぎなくなります。
居宅サービス計画への同意については、施設サービス計画よりも自発的に同意することは論理的にはあり得るでしょう。居宅サービスの場合はさまざまな選択肢があるのですから。
しかし、ケアマネジャーと当事者やその家族との情報の非対称性を考慮すれば、やはり、自発的同意よりも非自発的同意の方が圧倒的に多いのだと思うのです。
(3)「意志」決定/自発的同意/非自発的同意の関係
非自立的同意が悪いのではありません。非自立的同意は日常生活に溢れています。
ケアマネジメントにおける当事者の「意志」決定、選択、同意は必ずしも自発的でない、仕方なしに同意する非自発的同意が多いという事態を直視することが大切なのです。
ケアマネジメントが「意志」決定支援だとする理念とその実際は大きくかけ離れているということをしっかりと認識することが必要なのです。
「意志」決定と自発的同意、非自発的同意の関係を次に示しておきます。
・「意志」決定 ≒ 自発的同意 ≠ 非自発的同意
(4)自発的同意はフィクション
ケアマネジメントの現実は非自発的同意に基づくものなのですが、それを何とか自発的同意・「意志」決定へと是正していくことが必要だとは考えない方が良いと思います。
國分功一郎さんが指摘しているように純粋に自発的な同意など幻想、フィクションに過ぎないのですから。
ケアマネジメントを基本的に「意志」決定支援と捉えるのではなく、当事者の過去、経緯、取巻く社会的環境、心身の諸状況の集積・総合であるニーズを丁寧に紡いでいき、ニーズ・課題に対応したソリューション(解決策)を共に模索していくプロセスとして理解した方が良いと思うのです。
なお、非自発的同意に溢れている日常を理解するために、ハイデガーの「世人」概念も有効かもしれません。
11.寄り沿うニーズ形成支援
(1)ケアマネジメントの時制論
ケアマネジメントは「意思」決定支援、または、サービスの「選択」支援でなければならないのでしょか。
「意志」決定支援にしても「選択」支援にしても、それが起こるのは時間の中のある一点です。
「意志」決定の瞬間、「選択」の瞬間があるにちがいないからです。
そうすると、ケアマネジメントは意志決定する一瞬、選択する一瞬という現在の一点に収斂していきます。つまり、時間の特定のポイント・時制に位置づけられるということです。
しかし、この現在の一瞬に定位される「意志」決定やサービス「選択」という概念では、当事者(障がい高齢者)のナラティブ(narrative:物語)、過去の経緯、諸般の事情、取巻く人々を考慮する枠組みにはなりえません。
これに対して、「形成支援」は時間的な幅があります。何かを形成していくためには、過去、現在、未来を含む一定の時間的な幅を想定しなければなりません。この「形成支援」としてのケアマネジメントのイメージを明らかにしていくことが大切だと思うのです。
(2)生成的コミュニケーション
山口尚(哲学者)さんは、伊藤亜紗(美学者)さんの著書「手の倫理」(2020年講談社選書メチエ)を参照して、生成的コミュニケーションという概念を紹介しています。
この生成的コミュニケーションという概念はケアマネジメントを考えていくうえでとても有益なものだと思います。
伊藤亜紗さんは、ブラインドマラソンの実例を引き合いに出しながら、生成的コミュニケーションについて考察しています。
このブラインドマラソンでは、「目の見えないランナー」と「目の見えるランナー」がペアになって、ロープを小さな輪にしたものをともに握り、腕の振りのリズムを合わせながら一緒に走ります。
いわゆる伴走ですが、この伴走では、見える人が見えない人をサポートするわけですが、伊藤亜紗さんはこの伴走のペア間では次のような経験が生じているといいます。
そして、この場合のコミュニケーションとは伝達的なものではなく、「ひとびとが互いのやり取りの中で物事の意味を作り出していく」というようなタイプのコミュニケーションだとしています。
(参照・引用:山口尚2021「日本哲学の最前線」講談社現代新書p129,130,131)
(3)ケアマネジメントにおける「形成」
ケアマネジメントにおけるコミュニケーションも伝達的なものではなく、生成的な在り方の方が良いのだと思います。
ケアマネジメントの始点において、当事者は曖昧模糊としてハッキリはしていないけれど、既に潜在的なニーズを抱えています。
であれば、この潜在的で曖昧なニーズを整った形にするという「形成」という概念の方が相応しいと思います。
人は、考えを言葉に縛られます。だからこそ、どのような言葉、概念を用いるのかが重要なのです。
ケアマネジメントを「意志」決定支援として理解するのか、「選択」支援として理解するのか、それとも「ニーズ形成支援」として理解するのかではケアマネジメントのコミュニケーションや人間関係は全く異なってくるように思うのです。
(4)寄り沿うケアマネジメント
よく「寄り添う介護」と言われますが、「寄り沿うケアマネジメント」もありだと思います。正しくは、寄り添うという表記になるのでしょうが、ここでは寄り「沿う」にしたいです。
「添う」は離れずに傍に一緒にいるという状態を表しますが、「沿う」は並行して進行することを指します 。
ニーズを形成する過程を支援する場合、状態を表す「添う」よりも、進行を表す「沿う」の方が相応しいと思うのです。また、「添う」では当事者とケアマネジャーとの適切な距離感の大切さが欠落してしまうかもしれません。
当事者と「向き合う」ケアマネジメントよりも、ブラインドマラソンのように「寄り沿う」ケアマネジメントの方が求められているのではないでしょうか。
次の言葉が「ニーズ形成支援」的なケアマネジメントの本質を言い当てていると思います。
ケアマネジメントを当事者(障がい高齢者)の「意志」決定と定義してしまうと、自己責任に向けてケママネジメントが猛進していくことになってしまいます。
もう少し「意志」概念から距離をとる必要があるのだと思います。
今、「意志」概念とは少し違う観方、少しだけズラした観方が必要なのではないでしょうか。
「意志」決定支援とは違う、伴走するケアマネジメント、寄り沿うケアマネジメントの論理と実践が求められていますし、そのための新しい言葉・概念が求められています。
[1] 全権委任とは、ある人が自分の権限を完全に委任し、代理人がその権限を行使すること
このnoteはシリーズとなっています。