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ケアマネジメントと意志決定ー意志決定批判 Ⅳ


7.ケアマネジメント過程と「意思」決定

(1)ニーズの社会性 

 ケアマネジメントのプロセスを単純化すれば次のようになると思います。

ニーズの形成 → 課題解決のための目標設定 → サービスの選定・決定 → サービス提供 → モニタリング

 ケアマネジメントの始点はニーズです。

 上野千鶴子(社会学者)さんによると、そもそも、ニーズとは社会的なものだといいます。

 ニーズとは第三者によって社会的に決定されるものである。・・・社会福祉学におけるニーズ概念を検討すれば、ニーズの判定者は当事者ではなく、第三者優位の概念構成がなされている。

 社会福祉学ではその関与者によって「主観的ニーズ」と「客観的ニーズ」とに分類される。「主観的ニーズ」よりは「客観的ニーズ」の方が、社会的承認を伴うことでより適切なニーズであるという規範的な含意がこの概念には前提されている。

 ニーズは援護水準によって「顕在ニーズ」と「潜在ニーズ」とに分類される。「顕在ニーズ」が当事者によって自覚されたニーズであるのに対し、「潜在ニーズ」とは、当事者によっては自覚されないが、専門家や第三者によって判定されたニーズを言う。定義上、顕在ニーズより潜在ニーズの方が援護水準が高いと見なされている。

引用:上野千鶴子(2011)『ケアの社会学』太田出版 P68,69

 ニーズは社会的なもので、ただ単に当事者の訴えや要望がニーズとなるわけではなく、ケアマネとのコミュニケーションをとおして、社会的な合意として形成されていく必要があるのです。

 ようするに、ニーズは既に「在る」ものではなく、「形成」されるものということです。

 そして、このニーズ形成過程では当事者(障がい高齢者)よりもケアマネなどの専門家がイニシアティブ(initiative)・主導権を有しているのは明白です。
 ですから、ニーズ形成過程は当事者が専門家に提示されたニーズに同意するかしないかということにポイントがあるのであって、当事者が何か「意志」決定するというような話ではないと思います。

(2)サービス決定の瞬間

 ケアマネジメントの過程の中で、当事者の「意志」決定らしきものがあるとすれば、サービスの決定でしょう。これはサービス購入者として法的な権利と責任が求められる場面ですから、法的概念としての「意志」概念が必要となるのです。端的に言えば、当事者自らに責任を取ってもらうために、「意志」決定したことにする必要があるのです。

 結局、ケアマネジメントでいう「意志」決定支援とは、一種のキャッチフレーズ(catch phrase)・謳い文句であって、そこで伝えたい内容は「当事者が法的な主体(契約主体)であって、その当事者主権を尊重し、なるべく当事者の意向に沿うようにします」ということなのではないでしょうか。

 いずれにしても、大切なのはニーズが既に「在る」のではなく、ニーズは社会的に「形成」する必要があるということです。ケアマネジメントの実践においては「ニーズ形成支援」という概念が大切だと思います。

8.「選択」と「意志」

(1)選択と意志の違い

 ケアマネジメントは当事者(障がい高齢者)の「意志」決定支援とよく言われますが、当事者が自分のニーズ、必要なサービス、利用頻度、利用日時、サービス提供の目的や方法等々を理解でき、自ら主体的に決断(「意志」決定)を下せるのでしょうか。
 非常に困難な場合が多いのが実情でしょう。

 実際のケアマネジメントにおいて、当事者はある程度は希望を言うかも知れませんが、結局、ケアマネジャーが勧めるサービスをただ鵜呑うのみにして「Yes」と応える(「意志」決定?)ことが多いのだと思います。

 そもそも、このような「Yes/No」が「意志」決定なのでしょうか。

 國分功一郎(哲学者)さんは、「意志」と「選択」を明確に区別すべきだと説いています。

 日常において、選択は不断に行われている。人は意識していなくとも常に行為しており、あらゆる行為は選択である。そして選択はそれが過去からの帰結であるならば、意志の実現とは見なせない。ならば次のように結論できよう。意志と選択は明確に区別されねばならない。

引用:國分功一郎 2017「中動態の世界 意志と責任の考古学」医学書院 p131

 また、國分功一郎さんは「選択」とは過去の要因の総合または過去からの帰結だと指摘しています。 

 とにかく、過去にあったさまざまな、そして数えきれぬほどの要素の影響の総合として「リンゴを食べる」という選択は現れる。それはつまり、過去からの帰結としてある。

引用・参照:國分功一郎 2017「中動態の世界 意志と責任の考古学」医学書院 p132

 ようするに、リンゴを食べる選択をしたとしても、それは、ビタミン不足だったからかも知れないし、テレビで青森のリンゴの宣伝を見たからかもしれないし、誰かに「昨日食べたリンゴが美味しかった」と言われたからかもしれないのです。

 日々行われている過去からの帰結である「選択」と「意志」とは全く水準の異なるものだと國分さんは指摘しています。

 選択がなされたならそこに意志があったのであり、意志があるから選択がなされるのだ、と。しかし、意志は心のなかに感じられるものであり、選択は現実の行為です。存在している水準がまったく異なっている。

引用:國分功一郎 2017「中動態の世界 意志と責任の考古学」医学書院 p116,117

(2)選択が意志へとすりかえられる

 「選択」は現実の行為であり、「意志」は心のなかに感じられることなのですが、単に「選択」でしかないことも、いつの間にか「意志」へとすりかえられてしまうと國分功一郎さんは指摘しています。

 選択がそれまでの経緯や周囲の状況、心身の状態など、さまざまな影響のもとで行なわれるのは、考えてみれば当たり前のことである。ところが・・・いつの間にやら選択が、絶対的な始まりを前提とする意志にすりかえられてしまう。

引用:國分功一郎 2017「中動態の世界 意志と責任の考古学」医学書院 p133

 このように、「選択」と「意志」を区別してみると、ケアマネジメントで言っている「意志」決定支援とは、過去の経緯や環境条件、心身状況を基にした「選択」支援だといえます。 

 そもそも、先行する原因は存在せず、何ものにも影響されず、「意志」がある瞬間立ち現れて行為を生み出す。そんな「意志」概念を前提とすれば、「意志」決定を「支援」するというのは「意志」概念の矛盾でしかありません。「意志」決定を支援しては「意思」決定にはならないのです。

9.生きづらい社会

(1)意志+自立=自己責任

 「選択」支援でもよいはずなのに、ケアマネジメントにおいて、何故、敢えて「意志」決定支援という言葉、概念を用いる必要があるのでしょうか。そこが問題なのです。

 「意思」概念は日本政府公認の介護の根本理念である「自立」支援、つまり「自立」概念を補強・補佐する概念だからではないかと、私は思っています。

 「意志」概念と「自立」概念が「自己責任」概念を補強・補佐しているのではないでしょうか。

「意志+自立=自己責任」という図式です。

 新自由主義的思想が席捲している現代日本社会の根本理念が「自己責任」であるため、社会保障の場面でも「意志」決定支援、「自立」支援、「自己責任」が強調されることになるのです。

 ケアマネジメントへの「意志」概念の適用が、新自由主義的な「自己責任論」を強化することになってしまうのです。

(2)100歳まで生きたくない

 2023.09.16のハフポスト日本語版によると「100歳まで生きたいか」という問いに対して「とてもそう思う」「そう思う」と回答した人は日本が最低の26.6%だったといいます。

 日本人の4人に3人は100歳まで生きたくないという結果だったのです。

(参照:2023.09.16 ハフポスト日本版『「100歳まで生きたい」は日本が最低。7割超が長生きは「不安が増える」と回答。その原因は?【5か国調査】』

 この結果は、社会保障領域にまで新自由主義的価値観、つまり、「自己責任」思想が強化・浸透してしまった結果、「人に迷惑をかけたくない」という文化が浸透し強化されたからではないかと、私は疑っています。

 「自己責任」を強調し、「意志」決定支援、「自立」支援を強調する社会は「生きづらい」社会なのです。


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