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#書評

『平原の町』を読んだ

『平原の町』を読んだ

 『平原の町』を読み終えた。これで、コーマック・マッカーシーが手掛けるいわゆる「国境三部作」をすべて読み終えたことになる。前作の『越境』が人間の心根を探るような難しい物語であったので、最後はさらに難しい者仕上がるのだろうかと身構えていたが、そんなことはなくストレートなラブ・ストーリーに仕上がっていた。それ故に読みやすく一貫して楽しめるものであった。
 何度かマッカーシーの作品に付き合って朧気ながら

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『入門 山頭火』について

『入門 山頭火』について

 自殺をしようと思ったことがある。つか、実行したことがある。今生きている生は虚偽であり、生きるに値しないと強く感じた際に生きている意味を感じることができなくなり実行した。記憶が正しければ、三十路の誕生日前後に実行した。何も成すことが出来ない三十路を迎えた心境はとても苦しかった。
 自らを殺すにしても苦しみを覚えずに終えたいと考えた僕は、焼酎を4リットル程を飲み干し、上下左右もわからない状態で野外で

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『ザ ビデオ ゲーム ウィズ ノーネーム』を読んだ

『ザ ビデオ ゲーム ウィズ ノーネーム』を読んだ

 ゲームを語るには自分自身の人生を語る必要がある。それは何故か。ゲームを遊ぶことをゲーム体験と呼ぶことにほかならないからだ。
 体験とは自身の身を持ってなにか経験することを指す。勤務する前にその職場の仕事を体験するとか、外国で文化の違いを体験するとか、苦難を体験するとか。苦難という言葉は現実に即したもので使われることが多いが、それはゲームでも成り立つ。それは何故か。
 ゲームというのは、仮初ながら

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宿屋をめぐるは堂々堂々

宿屋をめぐるは堂々堂々

 例えばの話だ。こういった前置きから文章を始めると、このあとに続く文章がとんでもなく高尚で思慮が冴えわたる明晰な文章が続くのかと身構える事があると思うが、この場に関してはそうではない。今から続くのは、稚拙で幼稚で同仕様もない持論が連連と流れてゆくだけである。ぬらりぬらりと。
 それはさておき、例えばの話である。人は肉体と魂、この二つに分けられるという。それは、肉体のほうは器であり、魂のほうは中身と

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酒を飲んでものを考えるには:『酒の穴 エクストラプレーン』を読んで

酒を飲んでものを考えるには:『酒の穴 エクストラプレーン』を読んで

 スーパーマーケットで酒を買う際、いつもの酒でいいのだろうか、と一瞬悩むことがある。何も考えずいつもの酒を選んでいる僕は選択の権利を放棄したつまらない人間なのではないのかとも。そんな酒一つで大げさかもしれないが、この選択のしなさをほったらかしにしていると、いつか訪れるであろう大きな選択の場面で何も考えず選択するのではないかと不安になったりする。おおげさ、大袈裟、大怪我。この小さき不安を積み重ねて大

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獣たちの夜で踊るのか

獣たちの夜で踊るのか

押井守の話題に触れたので、押井守の話がしたい…。押井守の話をさせてくれ。
諸兄諸姉らはご存知かと思うが、押井は学生時代の青春を学生運動に捧げた人物であり、あまりにも熱を上げすぎたのか最終的にはどこかの山小屋に監禁された経験を持つ人物である。押井はその経験をもとに、手掛けた作品には、学生運動や革命のテイストを節々に感じる場面がある。大抵それはユーモアとして消費されることが多いのだが、パトレイ

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