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酒を飲んでものを考えるには:『酒の穴 エクストラプレーン』を読んで

 スーパーマーケットで酒を買う際、いつもの酒でいいのだろうか、と一瞬悩むことがある。何も考えずいつもの酒を選んでいる僕は選択の権利を放棄したつまらない人間なのではないのかとも。そんな酒一つで大げさかもしれないが、この選択のしなさをほったらかしにしていると、いつか訪れるであろう大きな選択の場面で何も考えず選択するのではないかと不安になったりする。おおげさ、大袈裟、大怪我。この小さき不安を積み重ねて大きい不安に変貌させることはまぁまぁ愚かであるなと自分でも理解している。
 しかし、他の選択をしないことは自信の好みを忠実に守り続けている人間だと前向きに捉えることもできる。僕は寶焼酎ハイボール以外の酒を飲むことはない、寶には他の酒にはない人の温かみを感じることができる。それは冷蔵庫から取り出してキンキンに冷えた缶からも同様。ほれ、飲んでみろ。どうだ、理解るだろう。ガハハ、美味い云々。そういった事を守り、初志貫徹一蓮托生首尾一貫、寶焼酎ハイボールだけを飲み続けることは如何にも酒飲みらしいではないか。選択しないことも選択の内の一つ。しかと、心に刻んで今から寶焼酎ハイボールを買いに行くとしよう。
 この選択云々はいつも考えているわけではない。酒を買う機会は大概疲れ切った仕事帰りと相場が決まっている。今日も上司にドヤされたあぁ死にたい。取引先から文句にも似た嫌味を言われて深く心が傷ついたあぁ死にたい。14時に打ち合わせしましょうと連絡をもらったのに相手が全然やって来ないあぁ死にたい。そんな時合にいちいち選択しないことも選択の一つで候などと考えるだろうか。はっきり言おう、考える。仕事のストレスで頭をブチ狂っているのを酒で納めるために、冷蔵庫前で静かな長考に入る。このストレスをまっさらに流すための酒は考え抜かれたものでなくてはならない。考えることを放棄して酒を選ぶのであれば、ストロングゼロを手にとってレジに並べばいいだろう。あれはそのういった人のためにある酒だ。僕はその側の人間ではないので冷蔵庫の前で考える。それも二時間たっぷり。蛍の光が流れ出しても気にしてはいけない。酒の選択一つで今後の人生に関わってくるのだから。
 こう訳わからんことを考えたのは、「酒の穴 エクストラプレーン」を読んだからである。酒場ライターのパリッコ氏とスズキナオ氏の会話を載せた本なのだが、中身の無いお喋りだと捉えて空気感を味わうために読んでもいいし、会話の中に揺蕩っている現実感、金言などを拾い上げじっくりと味わうこともできる。なにより二人の間柄が読み取れるいい本だと思う。
 ここでも選択が発生する。右に述べたように「お喋り」と捉えるか、「会話」だと捉えるかだ。この二つどちらかを選ぶことでこの本に対する評価は割れてる。お喋りと捉えるのであれば「なんか言ってらぁガハハ」といった気持ちになるし、会話と捉えるのであれば「節々にある会話と一つひとつが云々」といった気持ちにもなる。どちらを選択しても正解だし、むしろ不正解はないのだが、両者とも読後に「こんな間柄の友人がほしいな」と思うことは間違いないだろう。

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