4年越し悲願の初スピッツ、ひみつのスタジオ
積年の想い
Spotifyまとめで2年連続ランクインしたスピッツ、受験のときミスチルと共にエンドレス再生してたスピッツ、好きな曲ベスト5なんて挙げられないくらい良曲名曲粒揃いなスピッツ。今年、彼との4年記念日にアルバムを発売したスピッツ。
前回のツアーは忘れもしない4年前。
その頃はちょうど大学受験真っ只中で、発売されたところだった『見っけ』をエンドレス再生していた。『見っけ』のアルバムはすごく好きで、ライブ行きたいライブ行きたいと思っていたのに、不運にもセンター試験と被って応募すらできなかった。こんなことがあってたまるかと、絶対絶対大学入ったらライブ行くんだと意気込んでいたところにコロナ。アリエナイ。
このままスピッツに会えずに大学生活終わるんだ…と思っていた矢先、今年になってスピッツがツアーを発表。飛び上がって跳ね上がって叫びましたよね。絶対当ててやるんだ、と心に誓いました。
でもスピッツが関西に来るまで長かった…!その間、何度ツアーのホームページ見て応募を見逃していないかを念入りに確認したことか。
関西初演がたしか8月23日の姫路。パリへ行く3日前だったのでさすがに諦めました。(ちなみにこの公演はマサムネさんがコロナだったようで、延期になったみたいです)
そしてパリから帰ってきた10月。
チケットe+からメールが来て、一般発売、一発で、当選!しかも私の誕生日当日、12月6日の日程!!
神様スピッツ様ありがとう。
私この4年間で相当徳を積んだんだわ。
♪ありえなーいしあわせのチケットにぎりしめーたままー(←これは嵐)
卒論がんばろ、と思いながらも、スイッチがあまり入らぬまま、パーツごとの毎週締切に何かしら文字を埋めて提出する、を繰り返して4週間。
ついにこの日を迎えたわけです。
もちろん予習は5月17日からちょこちょこ行なってきたわけですが、やっぱり公演日が近づくほど再生回数は伸びるわけで。
12/3(日)頃から鬼リピがはじまり、スピッツに染まり切った当日の朝は、意味のわからないことに「自分的スピッツベスト5」を作ろうと、スピッツで好きな曲を全部ぶち込んだプレイリストを作ろうとして多すぎて断念するという愚行ののち、好きすぎてダウンロードしてる曲があるアルバムを見つけた順に再生していた。ハズレがなさすぎる。
ちなみに私が好きなアルバムは定番かもしれないけれど『ハチミツ』『インディゴ地平線』『フェイクファー』。最近なら『見っけ』と『ひみつスタジオ』です。(待って、『さざなみCD』も捨てがたい…)
会場にて
家にいてもゼミを受けていてもスピッツに浸りきっていた昨日、17:00頃に三宮で父と待ち合わせ、あまりお腹が空いていなかったなかで腹ごしらえにお寿司を食べて、ポートライナーへ。
中高時代、今回の会場(ワールド記念ホール)の横・ポートアイランドスポーツセンターのプールに試合と練習で何度足を運んだことか。試合の日に横で関ジャニがライブしててその会場入りらしき場面を目撃したこともある、そんな思い出の地で今回スピッツと対面できたなんて、ほんと、感慨深かった。
私はライブグッズをしっかりお買い上げるスタイル。特に、タオルとライブTシャツはマスト。今回も青いTシャツと黄色のタオル、そして『ひみつスタジオ』に入っている曲たちの歌詞で作られた絵本をお買い上げた。
ツアー看板をサクッと写真に収めて会場入りしよう!と看板の前へ行くと、堂々と看板の前で写真を撮っている方々が見えて、口があんぐりしてしまった。どうやらちゃんと列に並んだら、ライブスタッフの方が看板単体、右から、左から、で写真を撮ってくれるシステムらしい。えええ、スピッツサービス良すぎいいいい。
ということで父と1枚のタオルを2人で持ったツーショを撮っていただいた。(あとで彼に見せたら「これが健全なパパ活か」と言われた)
***
スピッツのチケットは引き換えた時点では入場券扱いで、席がわからなかった。
入口で入場券のピッとすると、出てきた正式なチケット。
受け取るとそこには「アリーナ」の文字。
え、初スピッツ、一般でいきなりアリーナ!?
中2の嵐以来のアリーナ!?こんな幸運ありますか。
山吹色のニットの下には長袖のヒートテックで半袖Tシャツを着る準備は万端。ルンルンで青色Tシャツに着替えてそのときを待った。
客席にて
それは突然だった。
照明が暗転して、ステージにあかりが灯ったかと思えば、ずっとスマホから聴いていた声がなんの前触れもなく、前方から聞こえてきたのだ。
こんなあっさり始まるの!?いいの!?と思いつつ、聞き覚えしかない音楽が目の前で奏でられている奇跡に全身を委ねた。
「口から音源」ってマサムネさんのためにある言葉だ。異論は認めない。
もうほんと、そのまんま。なんなら深く、ゆったりとしたビブラートがダイレクトに届く最高のおまけ付き。
あんな声、マサムネさんにしか出せない。
神様があの声をマサムネさんに与えると決めた瞬間から、歌を歌うことはマサムネさんの宿命だったんだ。
マサムネ少年は元々いつかのお年玉でローラースケートを買おうとしていたらしい。そこを心変わりしてエレキギターを買ったことで、それが原点になったと。ちゃんと、なるようになってるんだな。
一歩、引いてみると、スピッツのライブは至ってシンプルだ。
MCも短く、何曲も続けてひたすら歌う。
MCのトークの雰囲気も、曲をたくさん届けてくれるところも、まるでラジオのようなライブだった。
オープニング映像的なものもない。センターステージを歩いてくることもない。「ロックバンド」らしい C&R や 煽り もない。歌詞の一部を観客に振って歌わせることもない。MCはラジオのように穏やか。メインステージにはステージ上を走っているカメラと連動しているパネルがあって、ただただ演奏の様子が流れる。たまにi-Oくんが出てきたりもするけれど、基本は照明やその光線の変化のみ。銀テもない。
思えば私がこれまでに参戦してきたアーティストのライブはそれらが当たり前のように存在していた。嵐はセンターステージどころか気球まで登場するし、C&R・歌詞・振付の一部は覚えていることが当たり前、銀テは争奪戦で手を負傷するレベル。GReeeeNやミスチルも銀テやオープニング映像があったし、小田和正さんも歩いて移動しながら歌っていらした。ユーミンやドリカムは幾度となくステージの構成や衣装が変わった。どのアーティストもMCは頑張って盛り上げようとしてくれていた。
だから、スピッツがあまりにもシンプルに、自然体で、歌を連発していくスタイルだったこと、それで完璧なライブが成立していたことに驚かずにはいられなかった。しかし同時に「ああ、これがスピッツだわ。これ以外考えられない。」とも思った。いかに「スピッツの音楽」、マサムネさんの歌声を、一曲でも多く、完璧な状態で届けるか。それだけを追求しているかのような空間だった。
メインステージには巨大ないちごが吊り下げられていた。パイプオルガンらしきものもあった。途中、i-Oくんが登場した。
なんでいちごなんだろう…?チェリーならわかるんだけど…
と思っていると、MCでマサムネさんが「このステージは欲望です。いちごをたくさん食べたいっていうので、大きないちご。」みたいな発言をされた。なるほど、まさに『大好物』だったのだ。(今回のアルバムには『大好物』という曲が収録されている)
今回のアルバムを聴いていると、友だちがいない内気な少年が屋根裏部屋でロボット(i-Oくん)やおばけたちと出会って、仲良くなって、『オバケのロックバンド』を結成する、という光景が浮かんでくる。少年とi-Oくんやオバケたちが仲良くなる過程や思い出を描いているアルバムなのではないかもしれない。(※ 一個人の解釈です)
だから今回のステージは、きっとその屋根裏部屋なのだと思った。
自分が唯一、自分らしく自由でいられる場所。
友達・i-Oくんがいてくれて、大好物のいちごやパイプオルガンがある、ユートピアのような空間なのだ。
MCでマサムネさんは「夜のみなとが好き。暗い中に、船があかりを灯して帰ってくるのを見ていると安心する」「スピッツは暗くて怖い夜道に唯一あるファミリーマートのような存在でありたい」という旨の発言をしていらっしゃった。
もちろん、スピッツはそんな存在ですよ、と答えたかった
けれどそれ以上に、マサムネさんから紡がれる言葉は普段から文学的で詩的なんだなと思った。思考や感覚、ものの見方にマサムネ哲学があって、我々凡人とはちがうからこそ、ああいう音楽や歌詞を生み出せるのだ。
そんなことを肌で感じられただけでも、ああ、今日ここにきてよかった、と思えた夜だった。
スピッツとの出会い
2001年生まれの私は、スピッツやミスチルの全盛期を知らない。昭和〜平成初期の音楽が好きな父のJ-POP英才教育を施されて育った。この世に生まれた瞬間から物心つくまでの間にひと通り出会っているはずだ。
そんな私が、スピッツの音楽をスピッツの音楽だと認識して聞くようになったのは、中学生の頃。当時、我が家では近所のTSUTAYAにCDやDVDを借りに行くのが流行っていた。
そしてある日、CYCLE HIT 1991-1997、CYCLE HIT 1997-2005 と出会った。(ちなみに、同様にしてミスチルとも出会った。)その頃にはまだ CYCLE HIT 2006-2017 は発売されていなかった。
その頃には『チェリー』『空も飛べるはず』くらいしか知らなかったと思われるが、このアルバムを聴いて一気にハマった。ベストアルバムとはいえ、ここまで捨て曲なし、苦手曲なしはなかなかない。特に CYCLE HIT 1997-2005 に収録されている『運命の人』はイントロで虜になった。
そしてインフルエンザで学校を休んだ時は、父からのススメでドラマ・『白線流し』をTSUTAYAで借りてきてもらって観た。バックで流れる『Y』を聴き、すぐに「『ハチミツ』、借りてきて」と伝えた。
そして、私の心にはスピッツという引き出しが増えた。
大学受験のとき、ミスチルの『終わりなき旅』『Tomorrow never knows』『GIFT』は私の応援歌で、スピッツの『見っけ』のアルバムはBGMだった。
スピッツに対する「BGM」という表現は決して「印象に残らない音楽」「劣っている」というような悪口ではない。「BGMになってしまう」ではなく、「BGMにもなれる」だ。
アルバム単位で流しても曲同士の相性がよく、違和感なくシームレスに次の曲につながっていく。なんらかの作業をしながら聴いても心地よく、作業の邪魔にはならない。それでいて中身がないわけでは決してなく、どこか非現実感漂う音楽性に、文学的で哲学的で詩的な歌詞。作業のお供にもできるし、彼らの音楽に浸るためだけの時間を持つことにも価値を見出せる。楽しみ方の深度・種類を、自分でコントロールできる。
それはスピッツの音楽にしかない魅力だと、私は思う。
ああ、またスピッツのライブに行きたい。
『Y』を生歌で聴くまでは死ねない。
それまでは何度だって、スピッツのライブに足を運ぼう。
彼らの音楽に会うためなら、どこまでだって行ってやる。
きっとSpotifyの『2024年のまとめ』に、スピッツはまたランクインするだろう。もしかしたら、1位かもしれないな。
そんな私は今日も朝からスピッツを流し、余韻に浸っている。
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