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"普通の人生"なんておもしろくないと思ってた


虐待なんて考えもしない父母の下に生まれ、保育園/幼稚園、小学校、中学校、高校、名の知れた大学に通い、小さい子どもが職業名で表せないような職に就き、結婚して、子供を産む。子育てして、孫が産まれ、年老いて、やがて死を迎える。

私が知っていた、私が考える"普通の人生"。

つい数年前までは、そんな人生ってつまらないなと思っていた。


何度か話しているけれど、物心ついた頃から高校生くらいまでずっと歌える女優になることが夢だった。その夢を語ってもまわりの誰もいい顔をしなかったから、親のハンコがなくとも自分で自分の人生を決められる20歳という時期に、大学生として東京に住み、オーディションに挑戦できるようになったらいいのだと考えて、長らく早稲田大学を志望していた。

なぜ女優になりたかったのか。

当時は意識していなかったけどきっと、"普通の人生"が嫌だったから。

普通の人生だと、自分は自分の人生しか生きられない。自分の見方でしか物事を見ることはできないし、(転職という方法を知らなかったので)1つの職業としての自分を一生生きなければいけないのは、人生1度きりだというのにあまりに勿体無いと思っていたから。

でも女優になれば、役を通していろんな人生を歩むことができる。どこかの誰かが自分の味方をしてくれて、自分を応援してくれる。友達の少ない自分は社会不適合者かもしれないと、狭い世界で不安になっていた当時、広い世界で誰かに認められたいと思っていたのだと思う。あと、歌は好きだから歌っていたかった。


だけど違った。

私の思っていた"普通の人生"は何も普通ではなかったし、"普通の人生"を叶えることは難しいことだった。

つい数行前に書いていたように、無意識的にはわかっていたくせに、この事実を理解するまで何年もかかった。

同じことを体験しても、主体が変われば全く違った体験になる。それは平凡でも普通でもなんでもない。私だけの、あなただけの、それだ。


そもそも、自分の自由が減って時にボロボロになっても育て切る親の力は当たり前なんかでは決してない。普通なんかではない。

経済的にも環境的にも、小中高大通えることは普通なんかではないし、経済や環境でクリアしていても、受験に合格できる力があることも普通なんかではない。

お菓子屋さんや歌手といった職業名で言い表せないサラリーマンの、営業職や企画職という職だって素晴らしい。それがないと、職業名で言い表せるような職の人は輝けないし、生きていけないというものを支えている職たちだから。彼らが担当する仕事の1つ1つに誰かの思いが詰まっていて、それは1つ1つに個性がある。普通でも平凡でも退屈でもない。


結婚なんてもっと普通なものでもない。

そもそも結婚したいと思えるほど愛せる人に出会えることが奇跡だ。愛してくれる人の愛を、重いとも足りないとも思わずに、幸せだと思える人に出会えることが奇跡だ。

そしてそんな2人が出会って、結婚したいタイミングで結婚できて、子供が生まれることも奇跡だ。

そんな自分を見守り、受け入れ、それらを一緒に喜んでくれる友人がいることだって当たり前なんかでは決してない。そんな存在の数が少なかろうと、友人は量ではない。質だ。そんな友人に出会えたことが幸せなのだ。


見渡してみれば、当たり前なものなんて何もない。普通なものも退屈なものも平凡なものも、何もない。どれも、私が私の人生を歩んだ結果。

冒頭のような"普通"がなんだ。最高ではないか。

決してたくさんの人に愛される必要も、たくさんの友人に囲まれる必要もない。1人でもいいから大切な人を手離さずにいられたら、勝ちだ。

誰か1人から愛されることがこんなに幸せなことなのだと、彼が教えてくれた。"彼のアイドル"でいれたら、"みんなのアイドル"でなくていい。そう思えたから、昔の夢を手放すことができた。職業名のない夢を描けるようになった。

さらにこんなことを考える、周りから変わっていると言われるような、普通ではない私と一緒にいてくれる幼馴染と親友とカレと大学の友人たちに出会えて幸せだ。


誰ひとりとして手放すことなく生きていたい。

なんて人生最大のわがままだけど、そんな風に生きれたらと思う。

"普通の人生"をおもしろくしてくれた彼らがいたから、今の私がいるのだから。





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