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この世界はあまりにも

スマートにパリに到着するつもりだったのに、新大阪から東京の新幹線を降りてから、まだ国内だというのに大冒険すぎた。せっかく早く辿り着いたのに、成田エクスプレスが遅れ、乗継前の成田→香港の飛行機が遅れ、「パリに辿り着けなかったらどうしてくれるんだ」と、もう心臓バクバクで緊張しっぱなしで、何もお腹に入らなかった。機内食は成田→香港で1回(夜)、香港→パリで2回(夜・朝)出て、最初あまりにも口に合わなくてどうしようかと思ったけど、後になるにつれてちょっとずつ美味しくなった。慣れというよりも、隣の中国の方も顔を顰めてデザートのハーゲンダッツにしか手をつけていなかったから、メニューの問題だと思う。

飛行機に乗っている間は寝ているか、航空会社のエンタメ内にある3Dマップを眺めているかのどちらかだった。ガイドブックやフランス語の会話帳を読み漁ろうと思っていたのに、夜に出て朝に着くフライトだからほとんど電気が消えていて点けるのも憚られて、読めなかった。映画でも見ようかと思ったけれど、そんなことよりも今飛行機が飛んでいるのはどの辺りで、あとどれくらいパリに着くのかの方が気になって、閉めることを強制されていたので窓さえも開けられなくて見比べることもできないのに、ずっと地図を眺めていた。とは言ってもなんだかんだ寝ていたから、中国のあたりとトルコのあたりとイタリア以降しか見れていないけれど、
見下ろした先にある街の灯りを頼りに「ここは海なんだろうか?」と思っていたら、明かりがないところのほとんどは砂漠や山や草原なだけで、ちゃんとユーラシア大陸だった。3Dマップは地理や世界史で習ったあの都市はほんとうに存在していて、私は今その上空にいるのだとわかるだけで感動した。


朝7:00にパリ到着予定がかなり早まって6:20に到着になった。

3:00頃に目を覚まして、"あと3時間でパリなんだ!”と思うだけで感動してそれ以来ほとんどずっと起きていた。イタリアに上陸してからはそこからあと2時間〜1時間30分ほどあるというのに、”もうフランスじゃん!!”と興奮して着圧ソックスもスリッパも脱いで準備していた。その頃には灯りもついていて、機内食が出てき始めたりしていたのに、『地球の歩き方』にも会話帳にも集中できずに、窓を半分ほど開けてチラ見をして3Dマップと見比べてそわそわしていた。

『地球の歩き方』によるとパリの日の出は8月が6:44、9月が7:28。マルセイユに上陸してもまだ空が暗くて、もしかしたら思い描いていたような日の出のパリを見ることはできないかもしれないな、と諦めはじめていた

けれど。ちょうど、パリに差し掛かる頃に明るくなりはじめて、窓の外にある風景が認識できるほどになった。パリの郊外には畑が広がっているところも多くて、ああ、君はこんな姿をしていたんだね、と心の中で語りかけた。

その頃から、”ああ、ここが私が憧れた街だったんだな”と感極まって涙が止まらなかった。幸せなんだから手を叩くか笑うかすればいいのに、口角は上がったまま、ただただ涙を流していた。私が流した中で、こんなに美しい涙は初めてだった。

私がパリに着いた、8月27日(日)の日の出は7:00だった。



***


パリ、シャルル・ド・ゴール空港。

オルリー空港だってあるのに、パリに行くならここで降りるのだと、馬鹿の一つ覚えみたいに思っていた。

これまでの人生で、何度か寝ている間に夢に出てきたシャルル・ド・ゴールは、夢の中で見たシャルル・ド・ゴールと現実のものとは多分違っていたけれど、そんなことどうでもいい。段差がないエスカレーターも、中央が吹き抜けになっていてその中をホースのようなエスカレーターが縦横無尽に行き交っているのも、近未来的で美しくて仕方がなかった。

入国審査では担当だったアフリカ系の人から「元気ですか?」と日本語で聞かれた。


***


ターミナル1を出ると、それぞれのツアーの人が「こっちですよ!」と紙を持って待っていた。ダルそうに立っている人もいれば、ちゃんと立っている人もいて、おもしろかった。

しかし、待てど暮らせど、一向に私の語学学校からの迎えは来ない。とりあえずその場で30分は待てと言われていたので待ったけれど、来ない。

あまりに暇で自分が降りたフロアを少し散策していると、小さなスーパーがあった。焼きたてのバゲットなんかも売っていてとても惹かれたけれど、お迎えのことが頭によぎってあまりじっくりは見られなかった。

反対側に歩くと観光案内所の出張カウンターがあって、いろんなパンフレットがあった。夢中になって覗いていると「Bonjour!」と、何かお困りですか?的な感じで声をかけられた。あたふたしながら語学学校のお迎えについての手紙を見せたら「(2つ並んでいた電話番号のうち)この番号にかけるね」とマーカーで線を引いて電話を貸してくれて感動した。(残念ながら音量小さくて何言ってるかわからなかったのと、迎えがあまりにも遅かったので、あとでスマホでかけ直したけれど。)

その結果、WhatsAppで連絡が来て、お迎えスタッフの人と直接連絡を取れるようになって安心した。シャルル・ド・ゴールは広いので、出口番号が指定され、私は1階降りて24dの出口前で待機した。ちなみにそこからさらに1時間ほど待った。


6:37に空港に到着、7:00ごろに預け荷物を受け取り、7:12に出口を出て、8:20頃にお迎えスタッフと出会えた。

お迎えスタッフが乗っていた車はトヨタで、たまにハンドルから手を離して運転していた。速度も速かったけれど、安全運転ではあった。窓から外を見ると、壁という壁には全部落書きがされていた。オリンピックで使われるであろうスタジアムが建設されていたりもして、”この街もこれからさらに発展するんだな”と嬉しく思った。



***


お迎えスタッフの車を降りた先は寮がある18区。

日曜朝の18区は閑散としているのに、道はゴミ回収がされていなかったり水捌けが悪くて水たまりができたままだったりで汚いところもあって、歩行者が通るところと車が通るところの区切りが雑で、いかにも治安が悪そうで不安に思ったことを覚えている。今となっては、それは日曜定休が多いパリの日曜朝だったからで、道の汚さ以外にはあまり恐怖を覚えなくなった。

寮長さんは愉快なムッシュで、「フランス語はどれくらいしゃべれるの?ああ、しゃべれないのね」と英語で話してくれた。ついでに、ルームメイトも日本人でエミという名前であることも教えてくれた。

噂通り、パリのアパートは階段が多く、部屋がある4階まで上がる螺旋階段は少しキツかった。それでも、それがパリにいる証拠のようで嬉しかった。体力的にはもう慣れたけれど、今もその感動はまだ残っている。


案内された部屋は、間取りが複雑ではあるけれどきれいな部屋で、窓から覗く向かいの、いかにもパリな建物が美しく見えた。

隣では寮長が「みてみて!こんなの用意しといたよ!」というかのように、水筒と水筒につけられるエッフェル塔のチャームを揺らしていた。


***


寮長が部屋を出て行ってから、1秒すらも惜しくて仕方がなかった。ウエストポーチを使うかどうか悩みに悩んで、持ってきたショルダーバッグとウエストポーチを両方身につけてクレカや現金を分散させ、どこに行こうか考えながら外を出た。ずっとパリでは「自転車Velibで移動するんだ!30分無料だし!」と、近くのVelib Stationまできたけれど、会員登録が必要で、だけど新規登録のやり方がわからずに断念してメトロに乗って、パリ市庁舎をめざすことにした。なぜかこれから毎日利用することになるBrochantではなく、Google mapsが「パリ市庁舎ならこっちね(わかる人にはわかるドラム風)」と示す、遠い方の駅まで少し歩いた。


正直、清潔かどうか、綺麗かどうか、治安がいいかどうかと言われるとなんとも言えない。それでも、私の目にはすべてがキラキラと輝いて見えた。

メトロを使うつもりがなくて、切符の買い方をあまり調べていなかったので、買うのに20分くらいかかった。それでも「時間を無駄にしたな」よりも「パリで切符買えちゃった!」という達成感や「そうそう!これこれ!めっちゃ海外留学って感じ!」という経験の喜びの方が大きかった。

今思えば、ほんとうの意味でメトロの乗り方を知らなかったこのときにちゃんと目的にまで辿り着けたのは奇跡なのだけれど、
そうして辿り着いたシャトレ駅(なはず)で地上へとあがる階段は天国への扉のようで、私がパリに来たことを祝福してくれているかのようだった。



地上にあがって初めて見たパリの中心地の光景(ヘッダー)は一生忘れない。そこはあまりにもパリで、パリすぎて、「私が憧れ続けた街だ…」という感動が心を満たした。


パリに着いたらまずエッフェル塔へ行くんだ、と思ってきた。実際は、パリ市庁舎の観光案内所を目指していてサンジャックの塔に出会ったから、そこが私の初上陸地だった。

私がパリに辿り着いた朝は、よく晴れた朝だった。



(編集後記)

もうパリにきて1週間が経とうとしているのに、noteではまだ1日目のパリ観光が始まってないところですでに1記事、3700字を超しているなんて…きもすぎますね、私。

こうしている間にも、もうすでに記憶は消えつつあるのかもしれない、と思うとき、私の心は「いやだ!ぜんぶ、忘れたくない…!」と叫んでいます。

noteが出せなかったのは、書く時間が惜しいというよりも、毎日暇さえあれば歩きまわって観光しているので疲れすぎてすぐ寝てしまうせいです。20:00頃までには帰るようにしていますが、日が沈むのが遅く、パリの夜は21:30頃からなので、それでも治安的には余裕です。

ほんとうはミラーレスで撮った写真を転送してそれを使いたいのですが、そんなことをしている間に忘れてしまいそうで怖いので、こうして記事にしています。

備忘録のためにも簡潔に記しておくと、

初日(着いた日)
サンジャックの塔→市庁舎→エッフェル塔を目指してひたすら歩きつつ、この日が最終日だったチュイルリー公園の遊園地で観覧車に乗る など

2日目
ギュスターブモロー美術館→ジュテームの壁→モンマルトル(サクレクール寺院)→ノートルダム大聖堂→市庁舎(rendezvous shop)→monoprix

3日目
am:オペラガルニエ(見るだけ)→オルセー美術館
lunch:語学学校近くのカフェ

4日目
pm:マドレーヌ寺院→オランジュリー美術館→プティ・パレ→シャンゼリゼのパン屋さん→チーズ屋さん

5日目
am:シャンゼリゼのmonoprix→市庁舎(観光案内所)→カンチェラタン→サントシャペル→コンシェルジュリー→パン屋さん


といった感じです。毎日が幸せです。


インスタリア垢に、たくさんストーリーあげていたら邪魔が入り、私が自由にできる場所はやっぱりnoteしかないと思ったので、
できるかぎり書いて、この宝物のような日々を書き残していこうと思います。






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