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夏がゆく。



いつのまにか心地の良い風が吹き抜ける日が増えてきた。

ついこのあいだまで、家の中では窓を開けただけでもムシムシする暑さに耐えられなくて冷房が必須で、暑すぎてうっすい布団すら寝ている間に蹴飛ばして冷房が止まるたびに暑苦しさに目を覚ましていたというのに。
外を歩けば一瞬で汗が噴き出て強い日差しが肌に突き刺さり、比喩でなく、本当に肌が焼けるのではないかと、命の危機を感じる暑さだったというのに。


大学生となった私は8月31日を過ぎても大学は始まず、夏休みはまだまだ続く。

けれど、お盆を過ぎ、花火大会に行き、BGMのつもりだった24時間テレビをなんだかんだ一日中ソファに寝転がってちゃんと見て、サライの頃には”また夏が終わる”と感じて泣きそうなほどに寂しくなってしまうのは、小学生や中学生や高校生じゃなくなっても一緒で。きっとこれから先も変わらない日本人の感覚ヤマトダマシイ?なんだろうな、と思う。




中学2年の妹はこの月曜から学校がはじまった。

読書感想文は考え方を教えてヒントをあげて手伝ってあげたというのに、前日まで読書感想文や体育かなにかのレポートに追われ、始業式から帰ってきたら次の日は課題考査があるというのに、夜中までテスト勉強をしなくて一夜漬けしていた。

その様子を見ていたら、自分の学生時代の夏を思い出す。

小学校時代は妹と同じようにギリギリまで宿題に追われていたけれど、中学と高校は希望制の夏期講習があったので、その合間に夏の課題はある程度終わらせている学生だった。


その分、水泳に打ち込む夏だった。

中学も高校も6月第1週に市大会があって、やっと夏の訪れを感じていた。
中学時代は7月末に中学総体があって、高校時代は8月第1週に市高校大会があって。お盆明けに2泊3日の合宿をする。朝昼晩泳ぎ尽くして、練習直後にすぐにアイシングをして、夜は満身創痍で泥のように眠り、朝は隣の部屋にも聴こえるんじゃないかくらいの騒音レベルのスマホ目覚ましで眠い目を擦りながら筋肉痛だらけの身体に鞭打って起きる。キツ過ぎて泣きそうな練習があっても頑張って、決まったメニューを完遂できたら達成感でいっぱいで。最終日には一皮剥けて”この合宿を乗り切ったんだ”という自信と共に、中学時代は8月末の、高校時代は9月第1週の大会を迎えていた。中学の顧問も高校の顧問も自主性を重んじる人で、練習メニュー等は自分たちで考えさせる方針がすきだった。

中学時代は県内の田舎まで足を伸ばして合宿をしていた。ボロい宿で畳の部屋を、中学3学年で1部屋、高校3学年で1部屋で泊まって、虫もたくさん出て、星が綺麗に見えるほどに真っ暗な夜の中、夕食後に線香花火をした。

高校時代は学校での合宿だったけれど、それはそれで楽しかった。合宿といえばここ、の施設が高校の敷地内にあって、生徒会の合宿もしたその場所には3年間で計3回、お世話になった。懐かしい。



だけど、私の中の「夏といえば」は、いつだって父方の祖母の実家で過ごすお盆だ。


父も、私も、家族揃って物心つく前から毎年毎年通った家。

父が小さな頃までは、お店を構えていたらしい。私が小さな頃までその名残が家に残っていて、そこに卓球で全国に進むレベルだった父の従兄弟用に卓球台が置かれていた。今はコンクリートからフローリングとなって、卓球台は遊び道具として残っている。

日本昔ばなしに出てきそうなほどの田舎で、山と海がすごく近く、電車がまだ単線で走っているような土地。数年前にやっと、車や自転車を少し走らせたところにマックスバリューができたような土地。

2泊3日間、歩いて行ける距離には個人商店と公園とお墓しかなくて、1日目の昼は個人商店でお菓子を買って、公園に寄って青空の下で鼻歌を歌いながらブランコを漕いで、家で卓球、夜は盆踊り。2日目は朝またお菓子を買いに行って公園に寄って、昼からはプールに行く。夜はテレビで『世にも奇妙な物語』とかお盆の特別ドラマなんかを見る。3日目はお墓参りをして、みんなが徐々に帰っていくのをお見送りして、「今年も夏が終わるね」と言いながら私たちも帰路に着く。

夜ご飯は少し歩いたところにある魚市のお魚がよく並び、朝ご飯にはトーストとヨーグルト、昼ごはんにはそーめんがよく並ぶ。食後には誰かが買ってきてくれたサーティワンだったりケーキだったり、そして地元の果物は欠かさず並ぶ。車で行っていた間は、行き帰りのサービスエリアにあるスタバを飲めるのが嬉しかった。電車で行くようになってからは、乗り換えの駅で駅そばを食べることと電車の中から景色を見ながら本を一気に読めることが嬉しかった。

祖母と祖母の妹と祖母の弟と、そのそれぞれの家族と、max16人ほどが毎年集まって、そんなふうに過ごしていた。歳の近い祖母の妹家族の子どもたちと遊んでいた幼少期の夏も、彼女らがめんどくさがって来なくなってから大人たちに囲まれて過ごす夏も、みんなあたたかくて、やさしくて、大好きだった。父が毎年帰り道に小さなころの思い出話をするのを聞くのが好きだった。「夏が終わるの寂しいなぁ」という呟きにたいする相槌は「うん」と適当だったけれど、心の内ではいつもちゃんと寂しく思っていた。


みんな歳が歳だから、いつまでみんなで集まれるかが心配だった。毎年毎年「今年が最後かもしれない」と思いながらも、「また今年も来れた」と胸を撫で下ろす夏を何度も繰り返していて、"自分も結婚する時には結婚相手をここに連れてきてみんなに紹介するんだろう" と当たり前のように思っていたのに、コロナであっさり消えてしまった。

そしてその間に、祖母は亡くなってしまった。

そして私たちは祖母が亡くなってから、あのあたたかく、やさしい夏を過ごせていない。

あの土地に足を運ばなくなってから、父はお盆付近に海水浴ができるエリアにちょっとした家族旅行を計画するようになった。毎年恒例のその土地は、毎年恒例だった祖母の実家にどことなくよく似た田舎で、父もあの夏を求めているのだろう、と思う。

毎年泊まる宿は違えど、離れで畳があるお風呂付の宿。良いものがたくさん出てくるコース料理はおいしいし、部屋で食べられることは快適だけど、祖母たちが作ってくれる手料理をみんなで囲む、大好きなあの夏を超えることはできないように思う。

上2つは大好きな夏の風景だけど、これは旅行先。



水泳に打ち込み、田舎でお盆を過ごし、8月31日が本当に夏の最後だった高校生までの夏を、そんなキラキラした夏の1つ1つを、
コロナばかりの大学生以降の夏に、
時々ふと思い出す。


そしてあの頃と変わらず、夏の終わりには『夏の終わりに想うこと(嵐)』と『君がいた夏(Mr.Children)』を聴いて、ゆっくりと目を閉じてその切なさに浸る。




暑さに弱く、食欲が失せて体調が悪くなりがちな夏は私にとって気温的には最悪なはずなのに、暑い暑いと文句を言いながら外に出たいような出たくないような日々を過ごすくせに、ムダ毛の処理もめんどくさいと思っているくせに、本名に「夏」の字が入る私はそれが運命かのように、夏のスポーツである水泳を愛し、夏服が着れなくなっていく秋を毎年恨めしく思うくらい、夏という季節を愛し、その季節にまつわるさまざまな思い出から逃れられずにいる。


今年もまた、夏が終わる。









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