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いつか、あの頃の私が笑えるように。

私はNOというのが苦手だ。
NOというと、ワガママを言っているように思えて、自分を嫌になってしまう。

しかし、中学に入るまで私はそんな人間ではなかった。
今でも連絡をとりあい、遊びに行くような親友4人と男友達何人かに恵まれて、楽しい時間を過ごしていた。

思ったことは、はっきりと伝えるし表裏もないことを色んな人から褒められた。

寄せ書きには「あなたの笑顔が好きだ」とたくさんの人から書いてもらえた。

嫌われてるかもしれないな、と思っていた子と仲良くなれたかな、と思った頃に、バレンタインの友チョコとともに、

「いままで苦手だったけど、ドットのそばにいてたくさん話しているうちに、ドットは面白いし一緒にいて楽しい子だと思いました。
今まであまり仲良くなかったかもしれないけど、良かったら私と友達になって下さい。」

というメッセージカードをもらったこともあった。すごく嬉しかった。

その頃の私は自分や周りの人を疑うことなんて知らない、底なしの明るさと笑顔が取り柄の人間だった。

そんな私がこうなってしまったきっかけは、たくさんあるが、主に次の3つだと思っている。

中1の私

私立中高一貫の女子校に入学したわたしには、当時仲のいい友達がいた。

朝も一緒に登校し、部活も一緒、冗談も言い合えるような子だった。

しかし、彼女は遅刻癖やサボり癖があり、理屈っぽいようなところのある面もあった。

そして、あるときから部活にこなくなった。

「また遅れてきたの?」

「なんで今日も部活に来なかったの?」

そう聞いたある日突然いわれた。

「あなたといるのが辛いのだ」と。

あなたのように成績も良くないし、運動もできない。部活に1年があなたと私の2人しかいない状況だと比べられているように感じて辛いのだ。また、あなたはいつだって正しい。冗談のつもりで笑いながら言うことだって、正しくて、毎日のように遅れてくるのが許せないのもわかる。
だけど、私はそんなできた人間じゃない。
正しさで息が詰まりそうで苦しい、もう一緒にいたくない。

そのようなことを言われた気がする。
もうあまり覚えていない。
消し去りたかったから。

**

その後、彼女は退部していった。
2年になると、クラスも違うのに学校にも来なくなった。

当時信頼していた先生に、自分を責めて
相談しにいった。先生は言った。

「彼女からも彼女側の話は聞いている。
だけどあなたは悪いことはしていないから注意するようなことがなにもない。ある意味彼女の被害妄想的な部分もあるから何もできない。
だから僕には何も言えない。」

と。

いくら自分が悪くなくても、親友だと思っていた人を無意識に傷つけていた自分を許せなかった。親友を失ったのは私のせいだ。

そのようなことを、たくさんたくさん考えて、悩み抜いた末に結論づけた。

中2・中3の私

その後、親友を失った私だが、彼女と関わらなくなってから、他の子たちが話しかけてくれるようになった。

近づいてくる子たちは口々にいった。

「あの子ちょっとおかしかったし、うざかったのよね。」

「みんな、関わらないようにしようって言ってたんだよ。そしたらドットがハブられたって聞いてさ。」

「でも、それでよかったと思うよ。
ドットはまともだったんだね、ってみんな言ってるもん。」

私はそうは思っていなかったから、否定も肯定もしなかった。
だけど、話しかけてくれるのは嬉しかったし、仲良い子が増えるのだと思うと嬉しかった。

しばらくその子たちと登下校したり、休み時間一緒にお弁当を食べたり、喋ったりする日が続いた。遊ぶ約束をしたこともあった。

だけどまた突然

登下校中私だけがわからない話題になることが増えた。3人で歩くと、私だけが後ろに行くことが増えた。

そして、遊ぶ約束を当日の朝にドタキャンされた。

次第に無視されるようになっていた。

あぁ、次は私か。

この子達は友達でもなんでもなかった。

そう気づいた時、すでに私の心は真っ暗闇で、
登下校は1人、休み時間は1人で本を読むようになっていた。

教室でお弁当を食べるのも辛くなって、
お弁当を5〜10分で食べるとすぐに図書館へ行き、本を読んだり、勉強をするようになった。

私が、母校である高校に入学できたのはこのとき勉強する道を選んだからだ。

**

それからあとにも部活に4人同級生が入ってきた。

内1人は入って、先輩の私への信頼を切ろうとして、入って1ヶ月で辞め、学校まで去っていった。よくわからなかった。

内2人は2人の間で喧嘩し、仲間割れし、双方ともに私を板挟みにして、知らぬ間に辞めていった。双方の愚痴聞きで、私はヘトヘトだった。

そして、4人中4人目。
親友と呼べる子が1人できた。

その親友はトラブルメーカーで、先生たちも厄介だというほどに、被害者意識の強い子だった。

その子の言うことを信じて、味方でいたつもりだった。

だけど、3年になりクラスが一緒になった。

途端に、教室では私を無視し、部活では私に媚を売ってくるようになった。

私はどっちの彼女を信じれば良いかわからなくってたくさん迷った。

だけど、修学旅行のとき。

寝る部屋が同じになった。
5人部屋でみんなで枕投げしたりはしゃいでいたとき、ベッドに無造作に置かれていたその子の携帯が光った。

画面が上になっていたのでLINEの通知が見えてしまった。

「ドット、まじうざい。しね。」

そう書かれたLINEが送られてきたのをみて、
私は部屋を飛び出した。

もう無理だ。
こんなところにいたら私は壊れてしまう。

こんなに我慢しているのに
こんなに理不尽に耐えているのに
なんで私だけこんな目に遭うんだろう

その日、夕食にちらし寿司が出た。
その上のグリーンピースを嫌う子が5〜6人いて、その子たちの分のグリーンピースを全部引き受けて、食べた。

嫌われないために、必死だった。

だけど、私の胃はストレスで受け付けてくれず、その後気分が悪くなり、トイレでもどしてしまった。

その後、心も体もヘトヘトになって保健の先生がいる部屋へ向かった。

その夜、人生で最初で今のところ最後の私は過呼吸になった。
ストレス性胃腸炎だといわれた。
これまでお腹の調子を悪くしたことのなかったのに。

もう無理だ。逃げたい。


修学旅行から心身ボロボロになって帰った私を見て、母が泣いた。

**

私は壊れてしまった。
自分を押し殺して、嫌われないように色々我慢したのになぜうまくいかないんだろう。
どうすれば私は人とうまく付き合えるようになるのだらう。
そう思った。

その後もいくつかの理不尽と我慢を経て、
たくさん悩んだ末、
中3の12月。
内部進学をやめる決断をした。

悩んだのは、部活の先輩・後輩や先生のことは大好きだったからだ。

その人たちとの絆が消えるのは嫌だった。

しかし、消したくない絆は消えない。

今でも中学の頃の部活の先輩・後輩や先生とは連絡をとれる。すごく幸せだ。ありがたいと思う。

高校受験を決断した私は、

私を傷つけた人を学力で見返すこと
水泳を続けること

そのために無我夢中でくぐりぬけ、
わずか4ヶ月の受験期間で、
地元1の公立の進学校に入学することになる。

中学はインフルの出停以外、1度も欠席しなかった。登校拒否にならなかったのが奇跡みたいだ、と今でも思う。

高校生の私

高校に入学してからの私は、しばらくとても幸せだった。

すぐに友達ができた。

中学の頃のような理不尽なことは一切なく、
自分を見てもらえた気がした。

クラスや学年の一部のパリピ・権力を持っている人には怯えて、声がワントーン上がってしまう。壁をなくして接することはできなかった。

だけど、それを気にしなくてもいいほどに仲良い友達ができた。それがなによりの幸せだった。

先生の推薦でしかなれない文化祭実行委員になったことが、私を大きく変えた。
その後、生徒会にも推薦を受け、入ることになったからだ。
そこではたくさんの親友と仲間に出会い、
今の彼氏に出会うことになる場所でもあった。

まさに幸せの渦中にいたその一方で、
部活では厳しい立場に立たされていた。

先輩や顧問の先生、後輩や同級生の何人かには恵まれた。

しかし、同級生の女子のほとんどからは嫌われていた。

水泳の大会は中高合同のものもある。
中高一貫だった私は、高校の大会を応援のためにいったりもしていたからかもしれない。

そこで見かけた、のちの私の高校の水泳部に憧れた。

あぁ、こんなところで泳げたら幸せだろうなぁ

と思えるような部活だった

はずだった。

水泳部で私達の学年は、他の学年とは違って
男女仲が良くなかった。

男子は男子だけ、女子は女子だけでかたまり、
それぞれでサボるようになった。

最初は仲良くしていた同級生の女子たちが、
高1の冬、インフルエンザで休んで復帰した頃からよそよそしくなった。
無視もされたし、話に入れてもらえなくなった。

先輩たちがいる間はよかったものの、先輩たちが引退すると、いよいよ見ていられない部活に変わっていた。

練習メニューは完遂できないのが当たり前。
寒いと言ってプールサイドで何人かで溜まって喋り、
泳いでいる途中で立ったり、説明中に喋っては
「え?聞いてなかった。もう一回言って」
と言われる。

頑張って耐えようと思った。

先輩が引退した中2の7月中頃から自分たちが引退する中3の7月中頃まで。

私が我慢すればいい。
見て見ないふりをすればいいんだと、
何回も思った。

先輩たちから

「部活崩壊を止めて欲しい。あなたにしか頼めないの、お願い。」

と何回も言われた。

後輩がその間に1人、何も言わずに退部していった。

こんな部活、嫌いだ。

変えたいけど、でも。

見ないふりをするのも、先輩の頼みを断るのも嫌になり、
中2の冬、私は勉強と生徒会を言い訳にし、部活に行くのをやめた。

でも、自分の気持ちを止められなかった。

引退が間近に迫ったある大会でのこと。

後輩と私達の代で選手の女子は9人。
内、2人は市の代表で高校の名前ではその大会に出られなかったことがあった。

水泳にもリレーという種目がある。
4人それぞれが100mずつ背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、クロールを泳ぐメドレーリレーと、
4人全員が100mずつ原則クロールを泳ぐ、フリーリレーだ。

いつもは2人の市の代表の子+私+後輩でスイミングスクールの選手コースの子がリレメンとして出場していたが、市の代表の2人が今回は出られないから、ということで代理を立てなければいけなくなった。

9人のうち市の代表2人とリレー出場が決定していた、私と後輩を除く5人中、後輩1人・同学年4人。
そのうち後輩1人は出場が確定したものの、あと1人が決まらなかった。

なぜなら、
同学年4人中2人が怪我をし、残り2人が出たくない、と駄々をこねていたからだ。

2人が出なければ、高校としてリレーは出られなくなる。
別に「県大会へ行く切符の瀬戸際だから、
プレッシャーのかかるタイミング!」
などというわけではなかった。

ただ、出てくれさえすれば良いのに
出ない出ないと駄々をこね、結局怪我をしている子の1人が出ることになった。
その子は、泣いていた。

…なんでこんなことになるんだろう。

意味がわからなかった。
リレーに出るのは本来喜ぶべきことだ。
ただ、喜べはしなかったとしても、怪我人で致し方ない状況なのだから、出るくらいはするだろう。チームのために何ひとつ行動せず、自己中心的なことばかりするチームメイトに心底腹が立った。

もうすぐ引退なのに、そんなこともできないのか。

許せなくなった。

大会の次の部活のミーティングのとき、
私はみんなの前でいった。

なぜ練習もまともにできず、リレーにも出ないということができるのか。
喋るのが悪だと言っているわけではない。
出たくないことに対して間違っていると言いたいわけではない。

だけど、だからせめて真面目に泳ぎたい人の邪魔はしないでほしい。
泳ぐ時は泳いで、しゃべるときはしゃべる。
他の部活が当たり前にできていることくらいやろう。

と。

はじめて人前でキレた瞬間だった。
泣かずに、淡々と低い声で、私の意見だけを述べる。

今まで散々我慢させられてきたのだから、これくらい言わせてくれ。

そんな気持ちだった。

次の日。

生徒会室で仕事をしていた私のところに、
部活の女子2人くらいが私を訪ねてきた。

「3年女子だけでミーティングやるからきてくれへん?」

と。

嫌な予感がして、行きたくないと私の心は言った。

でも

「その仕事、本当に急ぎなん?」
「ほんまにドットじゃないとできひん仕事なん?ちょっとくらい時間とってよ」

などと責められ、仕方なく行くことになった。


部室で3年の女子
____正確にいうと、先の大会で市の選抜に選ばれた選手の2人以外の女子だけがそこにいた。

そして、

「昨日のドットの話と今までのドットを見ていて思ったことを言う会にする。」

と急な開会宣言がなされ、ひとりひとり口を割り始めた。

「ドットのこと最初から嫌いだった。
なんでかわからないけど、なんか嫌いでなんでか考えてみた。そしたら、"自分はがんばってるのになんでみんなついてきてくれないの"って、悲劇のヒロインぶってるようにしかみえないところが嫌いだって思った。だからわりとみんなドットの悪口裏で言ってたし、わたしもこれまで言ってきた。でももうこれで終わりにしたい。だからそんなのやめてよ。」

「部活の欠席連絡で、生徒会の〇〇の仕事で休みますっていうのなんなん?
自己顕示欲が垣間見えて嫌なんだけど。」

「本当に親友って思ってもらえてるか、親友っていう立場を利用して、みんなと繋がるために私を利用してたんじゃないのか不安だった」

「ずっとドットに対して嫌な思いしてたのに、この子は我慢してくれてたんだよ」

「ドットって変わってるよね。変わってるって自覚したほうがいいよ。」


何を言われているのかわからなかった。

そんなつもりでいってきた言葉たちじゃない。
そんなつもりでとってきた態度たちじゃない。

悲劇のヒロインぶってるってなに。
実際こんなふうにされたら悲劇のヒロイン以外の何者でもないでしょ。

自己顕示欲?は?
休むんだから、失礼のないように事情説明することのなにがそんなに悪いわけ?

親友だっていいながら、私のことそんな信用してなかったんだね。

我慢?いや、こっちのセリフ。
そっちは自分の嫌だって気持ち全面に押し出して私のこと無視して、傷つけてきたくせに。

変わってるって何。
あんたの方が変わってる。
自覚って何。

今なら言い返せる。
理不尽だってわかるから。
私は悪くない、と自分を信じられるから。

いろんな言葉が浮かんでは消えた。
いや、消された。

どんどん私の感情は消されて、無になった。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
許されることじゃないかもしれない、みんなを不快な気持ちにさせてきてごめんなさい。

謝りながら、泣いた。

何も悪くないのに。

あの時ほど虚しいことはなかった。
同じ人間なのにこんなにも、伝わらない。

そして私はいとも簡単に潰されるし、潰れる。

部室で泣きながら謝り続ける私を、後輩たちが泣きながら見ていた。
あとから、あのとき助けられなくてごめんなさい、ドットさんは悪くないのに、正しいのに、ドットさんの味方になれなくてごめんなさい
と言ってくれた後輩がいた。

彼女たちの部活を、守れなかったことが私の後悔だ。

その後、同級生女子とはナカナオリをした。
私は、無になった。

人って無になると、体がどんよりするのだ。
頭からズシッときて、受験生なのに勉強に身が入らず、お腹が圧迫されて、ツン、とつつかれると涙が溢れてきそうなほどに、
生きてることが限界だった。

その日、塾の自習を切り上げた私は泣きながら家へ帰った。

泣きながら帰ってきた私の事情を聞いた両親はキレた。

なんでそんないじめみたいな目に遭わされるのか、と。

私はみんなの前で、部の方向性のための意見を言った。

なのに、仕返しは3年女子だけで、しかもドット1人だけが集中攻撃されて。
卑怯だ、と。

私は泣き続けた。
今でも思い出したら泣いてしまうほどに、
人生で1番辛い日だった。

次の日。

学校休んでもいいねんで?部活なんてやめてきなさい。

そういう両親をなだめて、学校へ行った。

だけど、鬱状態の私は
話しかけられても上の空。
授業中も勝手に涙が溢れてきそうになるし、
それを防ごうとすると上の空。


…ああ、無理だ。
授業もまともに受けられない。

そう思った私は、3限の前に保健室へ行った。

保健室に着いた私は、目の前に同じクラスの男子がいて、こっちを見ているのも憚らずに泣き始めた。

「昨日辛いことがあって、まともに授業受けられないので保健室にいさせてください。」

そう言って泣き続ける私を保健室の先生は驚いた顔で、でも優しく案内してくれた。

「ゆっくりでいいから、落ち着いて、
よかったら何があったのか話してみて?」

そう言われた私は全部を話した。

何ひとつ否定せずに、
ひどいな、いじめやなそんなん、
なんであなたがそんな目に遭わなきゃいけないの、私まで涙出てくるわ
と、保健室の先生は一緒に泣いてくれた。

昼休み。

荷物を届けにきてくれた同じクラスの親友が、
私を見て驚いて、でも事情を聞いたあと
優しく抱きしめてくれた。

よくがんばったね。と。

嬉しくて、涙が出た。

放課後。

今の彼氏となる、当時生徒会で頼りにしていた彼にアポを取り、事情を相談した。

最後まで話を聞いてくれた。

正直今も昔も、彼は話を聞くのはあまり上手ではない。聞ききっても、余計なことを言ってしまうタイプだし、真面目だったり暗い話はあまり得意ではないのだ。

でもその時は最後まで話を聞き、私の味方になってくれ、元気付けてくれた。

そう。彼は、過去の傷を癒すのではなく、前を向かせるのがとても上手なのだ。

親友たちと彼、そして、事情が行き渡ったのち、水泳部内の男子数名にも助けられ、無事にわずか3日ほどで私は鬱状態から脱却した。

本当に人に恵まれた、幸せだと思った。

そして私は、自分の言動をふりかえりつつ、
同級生女子と、仲良くしなくてもいい、という選択をすることになった。

これはやっと私が
嫌われることを恐れなくなった瞬間だった。


この数日後、私は今の彼氏と付き合うことになる。

その後も少々いろんなことがあったが、
どれもこの部活の女子ミーティングの時に比べれば小さいと思えるほどのものだ。

それほど、私にとってあのミーティングは深く傷つけられた記憶なのである。

**

いまの私

私はあのミーティングの日を時折振り返る。
というより、振り返ろうと思っていなくとも
フラッシュバックしてきてしまうのだ。

そして、今の私ならどういうだろうと考える。

伝え方が少々まずかったかもしれない自覚はあるので、まずは伝え方から。

今の私なら、

「あなたたちは何部?」

と問いかけることから始めると思う。

ここは水泳部だ。泳ぐための部活だ。
部活はサークルともスクールの選手コースとも違う。泳ぐことを自分で選んだ者だけが入れる場所で、目的はしゃべることだけでも、泳ぐことだけでもない。

あなたたちは自分の責任で、泳ぎたいからこの部に入ってきたはずだ。

なら、泳ぐ時は泳ぐべきだ。
時間は限られているのだから練習メニューはこなせるように尽くすべきだ。


…こんな調子で、隙を見せずに、
あとから振り返っても自分が後悔なく、あくまでも自分は自分で正しいと思える理屈を使って説得すればよかった。

何度も夢にみた。

あのとき、説得に成功する自分。

何度もシミュレーションをした。

次こうなった時は、
自分の気持ちを伝えようとすることよりも、
説得の効果を得られる伝え方をすると決めた。

もう、2度と伝え方で後悔はしたくないのだ。
"あのときの伝え方"を後悔するような、説得の仕方をする人ではなくなりたい。

だから私は自己紹介で書いたようなひとになれるようになるために努力をする。

そのためには人間を理解する必要があると
考えた。
だから、心理学部に入った。

一言で言うと人間力のある人になりたいです.
伝えたいことを相手に響きやすい言葉・表現で伝えられるような人になりたい.

そんな、

#自分にとって大切なこと

それは、

自分を見捨てず、相手を諦めないために、
NOも言える人になること。

これは、NOをいえず、我慢していた私が
爆発したことで、NOの大切さに気づいたお話。

そのすべては、あの日の私が笑えるように。

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