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#愚痴が止まらない環境は脱ぎ捨てる



はじめたてのコンビニバイトだけど、”求人で案内されていた1250円の時給は4月末までで5月からは960円”ということを契約書の条件欄を見るまで伏せられていたこととか、3月・4月のシフト希望を4回も聞かれて、面接の時にダメって言った曜日入れられそうになってたこととかメモあるのに確認と言って最後1回は勤務前日の21:30に電話が来たこととか、他にも色々と店長がやばすぎて時給960円になる1ヶ月後には辞めようかな、と思って次のバイトを探しつつある。


#私にとって自然なこと
今回は私が幸せに生きるためのヒントの1つ。


連載のバックナンバーはこちら▽






これまで 個別指導の塾講師、スイミングスクールのコーチ(現職)、小学校受験用の幼児教室、企画職フルリモート長期インターン×2、大学実験補助…
と、教育系に大きく偏りつつも色々なバイトを経験してきたけれど、続いたものが塾講師(1年)と、大学の授業補助(昨年の春・秋学期)と、水泳のコーチ(4年間)しかない。


個別指導の塾講師は、週3で結んだ契約は2週間くらいで破られて週5になって、毎週勤務日と勤務校舎がコロコロ変わって、心身のストレスで機能性ディスペプシア(腹部膨満感とかで食べたいのに食べられなかったり吐いたり)を患って辞めた。受け持っていた生徒への責任感から無理やり1年間続けたのに辞める時に「責任感がない」って言われて、私が辞めた後に校舎長が他の講師に私の悪口を言いふらしていたらしく、本当に心外だった(おかげで友達1人減った)。あと、私立高校の受験直前の生徒に、塾の勝手な方針の教科書の音読をさせずに過去問を解かせていたら怒られたのも納得がいかなかった。まあとにかく、校舎長がアタオカな塾だった。

幼児教室は、1ヶ月の試用期間でスケジュールに無理があると思って試用期間で辞めた。単純に教室が暗かったし、あとはこの教室でしていることは礼儀・躾け・教育という名で子どもらしさを殺すように思えて、そんな風に子供と接することは私にはできなかった。(給料が手渡しなのはよかったけど)

長期インターン1社目は、フルリモート・フルフレックスの、ある意味代償でプライベートと仕事の境目がないことに耐えられなかった。Googleカレンダーで「大学でNG」としているのに普通にミーティングを入れてこようとしているところとかが無理すぎて4ヶ月で辞めた。
2社目は、大学のプログラムからの案内で参加したけれど「自由」という名目でろくに仕事が与えられなくて、1ヶ月で辞めた。(ちなみに会社自体、本当に仕事があるのか怪しかった)


対して、


大学の授業補助は、コマ給(1.5h)で2048円で、他の授業で大学に行くついでに稼げるという利点で入っていた。業務時間もパソコンで他のことできるくらいには暇。欠点は事務室がポンコツすぎて最初の1ヶ月分の給料が常に1ヶ月振り込まれるのが遅れることくらい。

スイミングスクールのコーチは、サブコーチや監視は960円、クラス持ちのコーチは時給1260円。私は勤務時間全部がクラス持ちなので時給は1260円。正直、そんなに時給がいいわけではないし、髪が濡れるからバイト後に予定入れにくいし、体調不良であっても休む時は代理探さないといけないけど、欠点はそれくらい。(たまに当日の朝に「今日は入れますか?」LINEがくるけど断っても何の不利益もない。)
生徒が本当に可愛いし、水泳と関われるし、週1, 4時間勤務でも感謝されるし、社員もバイトもみんないい人で仕事できる人ばかりだし、給料以上のものをもらっていると思う。(社員さんはみんなブラック勤務そうだから社員にはなりたくないけど、バイト先としては最高。)



「すぐに辞めた」という話をしてきてなんだけど、私は人より忍耐力や責任感や継続力がある方の人間だと思う。いじめられても中学3年間、無遅刻無欠席(最後の遠足だけ休んでやった)だったし、水泳部も高校3年間続けた。通知表等では常に「責任感」を褒められていて、それがあって文化祭実行委員に推薦されて、生徒会副会長につながった。水泳でどんなにキツい練習メニューでも最後まで諦めずにこなしてきたし、中学受験も高校受験も大学受験も経験した。


だけど私が持っている責任感は「自分で考え、決め、行動したこと・その結果」に対するもので、「言われたことをそのままやる」とか「時給分の仕事を時給分の態度でこなしたらいい」とかができない。結局、「時給分の仕事を時給分以上の態度で」こなすのだけど、賃金に見返りもなくて、好きな仕事でもないからそれに耐えられない。


きっと私は「アルバイト」という勤務形態が恐ろしく苦手なのだろう。

能力的に可能でも「正社員として働くのはどうしても嫌」という人がいるように、私は基本的にバイトという働き方が性に合わないのだろう。

なにより、大学の授業にちゃんと出席してちゃんと課題を出してちゃんとA+かAの単位を取りたい、新しいことを学びたいし経験したい、彼や友達と遊びたい。”仕事”という大きなものをそんな日々の片手間で担いたくない。担うなら、小中学生が学問を本分に学校中心の生活を送るように、社会人として仕事を本分に学校の代わりを仕事に置き換えて、仕事と仕事以外の時間のオン/オフを切り替えられる生活になってからがいい。


そんなことを思ったりもしたし、単にバイト運がねえなあ、と嘆いたりもしたけれど、だからこそ気づいたことがある。


それが「愚痴が涌いてくる環境は脱ぎ捨てるべき」ということ。



心身ともにストレスだった塾講師を辞めて思ったことは、時給1300円のバイト先を失った不安でも、受け持っていた生徒と会えない寂しさでもなくて、「あー、まじで辞めてよかった。」だった。ちなみに他の辞めたバイト先も全部そう。

人はどうやっても「これで良かったんだ」と思えるように生きていく、という言葉がある。私もそのマインドで「時給1300円だしな」と1年続けていたわけだけど、でもあのとき辞めなかったら「辞めなかったこと」を後悔して生きていたと思う。


ストレスになるようなことは無理してやっても仕方ない。嫌ならすぐにやめる。それに尽きる。



これはいくつもバイトを辞めてみて思ったことではあるけれど、思えば私はずっとそうやって生きてきた。


地元の中学に進まなかったのは「ほとんどが私のことを知らない・私もほとんどの人のことを知らない環境で1から生きてみたかった」から。

中→高の内部進学を蹴って公立高校に進んだのは「真面目をバカにするようなこんな腐った環境で残り3年生きるくらいなら死んだほうがマシだと思った」から。

大学で参加した新規事業創出の通年プログラムを半年で辞めたのは「他のメンバーのアイデアになんのトキメキもなくて、他のことしていたいと思った」から。

対して、高校3年間、水泳部を続けたのは「部員はクソだけど、水泳は好きだった」から。(その頃は私の心が優しすぎて、続けていれば部員とも仲良くなれるかも、とすら思ってて、引退して目が覚めてからの方が愚痴は多かった。)


愚痴を言ってしまう人に、もし悪い所があるとすれば”その環境に見切りをつけられないこと”だと思う。”そのことを考えただけで愚痴が止まらない”とか、”ああ、いつも友達や恋人と会うたびにこれに関する愚痴言っちゃってるな”とか思うことがもしもあるならば、そういう環境って自分にとってだけじゃなくて、自分の大切な人にとっても害悪でしかない。楽しいはずの時間を愚痴によって汚されているわけだから。


「すぐバイト辞めるなんて」とか、「縁切るなんて」とか、言われてしまうような考え方かもしれない。でも、私が逆の立場だったら、合わないことは無理に続けてほしくないし、イヤイヤ来てるくらいなら辞めてもらっていい、と思う。


いま私が仕事をしないといけないのは、娯楽のため・パリ留学の現地金のためだけど、今後は生きていくため・周りに迷惑をかけないために仕事をこんな風にすぐ辞めるわけにはいかないかもしれない。縁を切れない人がいるかもしれない。


それでも、他にやり方・居場所・できることはいくらでもある。

自分の責任感・継続力で「辞めたい」と思うようなことって、どうしても性に合わないか、その環境がおかしいか、のどちらかなんだろうから、とにかく無理はしない。違和感が続くならすぐ辞める。私はそう思えるようになった。



辞めてきたバイトで理不尽な違和感に気づきやすくなったから、就活においても面接でそういうものを感じた会社はすぐに切り捨ててきた。今内々定をもらった企業は現段階でそういうものを一切感じなかった会社だった。


そんな私は、今後仕事で”愚痴だらけ”になりそうだったら、すぐに会社を辞めて転職するだろう。場合によっては起業とか、バイト生活とか、保育士資格で保育士になるとか、院に入り直すor実務経験で公認心理師になるとか、他の道を探すだろう。


自分が毎日愚痴なく、心に余裕を持ってゴキゲンで、幸せに生きるために。
そして、大切な人との時間を愚痴で汚さず、彼らの心の余裕がないときに真っ先に支えられるような人間で在るように。








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