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中勘助『銀の匙』より
”蚕が老いて繭になり、繭がほどけて蝶になり、蝶が卵をうむのをみて私の知識は完成した。それはまことに不可思議のなぞの環であった。私は常にかような子供らしい驚嘆をもって自分の周囲をながめたいと思う。人びとは多くのことを見なれるにつけただそれが見なれたことであるいうばかりにそのまま見すごしてしまうのであるけれども思えば年ごとの春に萌えだす木の芽は年ごとあらたに我れらを驚かすべきであったであろう”(後篇「
もっとみる宇沢弘文『自動車の社会的費用』より
”社会的共通資本は、その使用に対して、社会的費用が発生しないように設計され、管理されなければならない。上に考えたような社会的費用はもともと発生してはならないものであって、社会的費用の発生をみるような経済活動自体、市民の基本的権利を侵害するものであるという点から、許してはならないはずである。”(「おわりに」175頁)
青木理『時代の異端者たち』より
”政治家はもちろんですが、責任ある立場にいた官僚もいずれは歴史の法廷で裁かれます。そして自分の心に嘘はつけない。いずれ歴史の法廷に立って裁かれることを常に考え、自分の心に従い、官僚を後輩たちはそれに恥じないような行動をとってほしい。自分の行動を律し、おかしなことには誠実に声を上げていってほしい。心からそう願っています。”(平嶋彰英)
世界の名著6『プラトンⅠ』(田中美知太郎編、中央公論社)より
”ひとかどの人物と思われている者にとっては、何が恥ずかしいことだといって、自分自身の力によらずに、祖先の名声によって自分を尊ばれるものにすることほど、恥ずかしいことはないのだ、ということをよく知っておいてほしいのだ。”(「メネクセノス」215頁)
”まずたいていのばあいは、よき友よ、権力を持った人たちというものは悪しき人間となるのがつねなのだ。”(「ゴルギアス」402頁)
”人は、自分が不正を
アミラ・ハス『パレスチナから報告します』より
”やむにやまれぬ大胆さで法律が破られるとき、人は立法や行政にたずさわる当局についてよくよく調べてみなければならない。ソビエトのユダヤ人は禁止行為であったにもかかわらず、ヘブライ語を学んだ。1960年代まで米国南部の法律は、バスの前部座席に黒人が座ることを禁止していた。19世紀の法制度は、奴隷が読み書きを学ぶことを禁じていた。チャウセスク時代のルーマニアでは、ラジオで海外放送を聴くことは重大な犯罪と
もっとみるH.D.ソロー『森の生活』(上)より
”ある階級の贅沢は、他の階級の貧困によってつりあいを保っている。一方に宮殿があれば、他方には救貧院と「もの言わぬ貧民」がある。”(「経済」66頁)
岡 真理『ガザに地下鉄が走る日』より
”(イラン・パペ)ユダヤ人と謂えども、この惑星に暮らす他の人々と異なっているわけではないのだ。ほぼすべての人間集団に対して、他のある人間集団を非人間化することを教え込むことができる。このようにして、ごくふつうのドイツ人がナチスの死の機械に、アフリカ人がルワンダのジェノサイドに、農民たちがカンボジアのキリング・フィールドのとりこまれていった。自分たちのことを、非人間化の犠牲者だと主張する者たちでさえ
もっとみるスティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』(下)より
”古い理論の指導のもとに古い方法で収集された新しい事実は、思想を本質的に修正するようになることはめったにない。事実が「みずからを語る」ことはない。それは理論の光のもとで解読されるのである。創造的思考は、芸術におけるがごとく、科学においても、意見を変えるための原動力である。科学は本質的に人間の活動であって、論理の法則によって不可避的な解釈にゆきつくというような、客観的情報の機械化されたロボット的集積
もっとみるスティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』(上)より
”科学とは客観的な情報を収集し古い迷信を破壊しながら真理へと向かうゆらぐことのない行進ではない。科学者は、普通の人間と同じく、その理論の中に、その時代の社会的・政治的制約を無意識のうちに反映させる。彼らは、社会の特権的な成員として、結局は、現在の社会体制を生物学的にあらかじめ運命づけられていたものとして養護してしまうことがしばしばある。”(「プロローグ」16頁)
”科学とは「体系化された常識」で
フリードリヒ・グルダ『俺の人生まるごとスキャンダル』より
”俺がまだ十六歳だった一九四六年、ジュネーブの国際コンクールでだった。コンチェルトを弾いていて、ある箇所にきたとき、俺自身が弾いているんじゃない、「それ」が弾いている、っていう感じがした。なにかこう、背筋が寒くなるような思いがしたよ。なにしろうとくにうまくいっていて、まさにただしきて、思い通りに弾けているときだったからね。後になってわかったんだけど、この感覚は向こうからひとりでにやってくるものじゃ
もっとみる那珂太郎編『西脇順三郎詩集』より
一六五
種は再び種になる
花を通り
果(み)を通り
人の種も再び人の種となる
童女の花を通り
蘭草の果を通り
この永劫の水車
かなしげにまはる
水は流れ
車はめぐりまた流れ去る
無限の過去の或時に始まり
無限の未来の或時に終る
人命の旅
この世のあらゆる瞬間も
永劫の時間の一部分
草の実の一粒も
永劫の空間の一部分
有限の存在は無限の存在の一部分
(「旅人かへらず」162〜163頁)
カミュ全集5『戒厳令、正義の人びと』より
”私は現代の連帯責任者であるから時代を高所から裁く権利はまったくない。裁くとすれば内側から、時代と一体になってである。しかし私は己や他人について確実に知っていることを言う権利は保留する。それは世界の耐えがたい不幸になにかをつけ加えるためではなく、われわれが手さぐりしていいる暗い壁に扉が開かれるかもしれない未知の場所を指示するためである。そうだ、私は自分の知っていることを言う権利を保留する。そして私
もっとみるパスカル『パンセ』より
9”人を有益にたしなめ、その人にまちがっていることを示してやるには、彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。なぜなら、それは通常、その方面からは真なのであるから。そしてそれが真であることを彼に認めてやり、そのかわり、それがそこからは誤っている他の方面を見せてやるのだ。彼はそれで満足する。なぜなら彼は、自分がまちがっていたのではなく、ただ全ての方面を見るのを怠っていたのだとい
もっとみるロラン・バルト『明るい部屋』より
”それは、ストゥディウム(studium)という語である。この語は、少なくともただちに《勉学》を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。(…)ストゥディウム(一般的関心)
ストゥディウムの場をかき乱しにやって来るこの第二の要素を、私はプンクトゥム(punctum)と呼ぶことにしたい。(…)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点
澤地久枝、半藤一利、戸高一成『日本海軍はなぜ過ったか』より
”当時の海軍士官の多くは「実は戦争には反対であり」「戦えば必ず負ける」と考えていたにもかかわらず、組織に中に入るとそれが大きな声とはならずに戦争が始まり、間違っていると分かっている作戦も、誰も反対せずに終戦まで続けられていった、という実態である。
そこには日本海軍という組織が持っていた体質、「縦割りのセクショナリズム」「問題を隠蔽する体質」「ムードに流され意見を言えない空気」「責任の曖昧さ」があっ