岡 真理『ガザに地下鉄が走る日』より

”(イラン・パペ)ユダヤ人と謂えども、この惑星に暮らす他の人々と異なっているわけではないのだ。ほぼすべての人間集団に対して、他のある人間集団を非人間化することを教え込むことができる。このようにして、ごくふつうのドイツ人がナチスの死の機械に、アフリカ人がルワンダのジェノサイドに、農民たちがカンボジアのキリング・フィールドのとりこまれていった。自分たちのことを、非人間化の犠牲者だと主張する者たちでさえ、そうだ。1948年のシオニスト部隊は、パレスチナで、老若男女問わず殺害するという仕事にいたく熱心にいそしんだのである。”(第三章「ノーマンの骨」56〜57頁)

”1923年9月、大地震のあとの関東地方で「朝鮮人」と名指しされた者たち、1948年の済州島で「アカ」と名指しされた者たち。あるいは、2001年のアフガニスタンで「アルカイダ」と、2003年のイラクで「テロリスト」と名指しされた者たち。そして、1948年のパレスチナで、シオニストに「アラブ人」と名指しされた者たち。そのように名指しされることで、これらの者たちは、「これほど全面的に、何かをされようとそれが犯罪として現れることがないほどに[…]自らの権利と特権を奪われることが可能」になった。それはいったい「どのような法的手続き、政治的装置を手段としてのことだったのか(アガンベン)。収容所とは、そのようなすべてが可能になるトポスだ。「アカ」「アルカイダ」「テロリスト」「アラブ人」、あるいは1923年の東京で、埼玉で、千葉で、神奈川で、「朝鮮人」と名指しされた者たち。そのような者として名指しされたとき、そこは、すべてが可能な「収容所/ノーマンズランド」へと変貌し、彼らはそのヘテロトピア(異化された空間)の囚人、非人間<ノーマン>となって殺された。”(第3章「ノーマンの骨」58頁)

”「テロと報復の連鎖」「暴力の悪循環」といった文言が、パレスチナ・イスラエルを語る際の枕詞のように、日本のマスメディアでも繰り返された。しかし、十代、二〇代の若者が、ダイナマイトで自らの肉体を木端微塵にすることで周囲の人間を殺傷する能力と、最新式の兵器で重武装した占領軍が、戦闘機や戦車や軍事用ブルドーザーで市街地を攻撃し、住民を殺傷し、難民キャンプを瓦礫の山にする圧倒的な暴力が、どちらも「暴力」にちがいないとはいえ、それらは果たして「同じ暴力」なのだろうか。両者のこの圧倒的な非対称性を無視し、「暴力」ということばで平準化して、事態を「暴力の悪循環」に還元してしまうことが果たして、彼の地で起きている出来事を適切に表象していると言えるのか。イスラエル領内に侵入したパレスチナ人がそこで行う自爆攻撃がよしんば「テロ」と呼びうるとして、では、パレスチナ人のその「テロ」はいかなる状況が生み出したものなのか。未来あるはずの若者たちを自爆にまで追い詰めずにはおかない状況とは、いったい、いかなる類のものなのか。そうした状況を生み出す問題の根源と何なのか。
そうしたもろもろの問いを問うことなく、「テロと報復の連鎖」や「暴力の悪循環」といった枕詞を冠せられて書かれる記事は、そこで起きている出来事を報道しているようでいてその実、占領者と被占領者があたかも対等な存在であるかのように、両者のあいだの圧倒的な非対称性を覆い隠し、さらにパレスチナ人のテロルが、この当時すでに三十数年、違法に続いている占領の暴力によって生み出されているという根源的な事実を隠蔽してしまう。”(第4章「存在の耐えられない軽さ」64〜65頁)

”普遍的人権、人間の尊厳、人間の自由、平等、平和、そういったことがまことしやかに語られる二一世紀のこの同じ地球上で、人権も平和も自由も尊厳も、空気のように享受している者たちがいる一方で、人権も平和も自由も尊厳もなく、日々、殺されて一顧だにされない者たちがいる。人間が虫けらのように殺されるという不条理、だが、その物理的暴力以上に、世界がその不条理を耐えがたいこととして感じていないという事実ー存在の耐えられない軽さーこそが、人間にとって致命的な暴力なのではないだろうか。”(第四章「存在の耐えられない軽さ」70頁)

”白燐弾で人間を生きたまま焼き殺す物理的暴力と、無関心によって、彼らが私たちと平等な人間であることを否定する暴力と。私には無関心による他者の人間性の否定のほうが、より罪深いものに思えてならない。”(第四章「存在の耐えられない軽さ」72頁)

”世界の無知・無関心・忘却という暴力のなかで人間性を否定され、世界からノーマンとされてなお、人間であり続けること。人間の側にとどまり続けること。この許しがたい世界をわが身もろとも破壊してそれに終止符を打つのではなく、自らの人間性を決して手放さず、自分たちの手で、非暴力の手段によって、世界を変えていくこと。それは、オリンピックで金メダルをとることよりも、ダイナマイトで自分の肉体を吹き飛ばすことよりも、はるかに困難で、はるかに勇気の要ることだ。《ガザ》に生きるとは、人間がそのような闘いを闘うということだ。”(第四章「存在の耐えられない軽さ」74頁)

”第二次世界大戦後、絶滅収容所の真実が明らかになると、ドイツ人は「私たちは知らなかった」と弁明した。本当に知らなかったのかどうかはここでは措こう。「知らなかった」ということが弁明になりうるのは、知っていればこのようなことは許しはしなかった、必ずやそれを阻止しようとしただろう、という含意があるからだ。だが、本当にそうなのだろうか。ガザの殺戮と破壊は、世界注視のなかで起きている。最新兵器の実戦デモンストレーションでもあるのだから当然だ。日本のメディアでも報道された。私たちは決して知らないわけではない。無知がホロコーストというジェノサイドの可能にしたのだとしたら、繰り返されるガザの虐殺を可能にしているのは、私たちの無関心だとも言える。茶の間に流れるガザのニュースは、一瞬、心を波立たせはしても、多くの者にとってそれ以上のものではないのだ。”(第十二章「人間性の臨界」248頁)

”いかなる不正義も永久に続くということはありません。ナクバ以来、パレスチナ人が被っているこの苦しみー終わらないナクバーに終止符が打たれる日が必ず来ます。問われているのは、私たちがそれにどのように関わるか、そして、その日が少しでも早く訪れるように私たちは何をするのか、だと思います。”(「あとがき」305頁)