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趣味は読書とクラシック音楽鑑賞。合気道弐段。韓氏意拳もやってます。最近のマイブームは、…

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趣味は読書とクラシック音楽鑑賞。合気道弐段。韓氏意拳もやってます。最近のマイブームは、町中華&定食屋さん&温泉巡り。

最近の記事

青木理『時代の異端者たち』より

”政治家はもちろんですが、責任ある立場にいた官僚もいずれは歴史の法廷で裁かれます。そして自分の心に嘘はつけない。いずれ歴史の法廷に立って裁かれることを常に考え、自分の心に従い、官僚を後輩たちはそれに恥じないような行動をとってほしい。自分の行動を律し、おかしなことには誠実に声を上げていってほしい。心からそう願っています。”(平嶋彰英)

    • 『平家物語』より

      ”聖徳太子十七箇条の御憲法に、『人皆心あり。心おのおの執あり。彼を是し我を非し、我を是し彼を非す。是非の理、誰かよく定むべき。あひともに賢愚なり。環のごとくにして端なし。ここをもつて、たとひ人怒るといふとも、還つて我が咎を恐れよ』とこそ見えて候へ。”(巻第二「教訓状」)

      • 世界の名著6『プラトンⅠ』(田中美知太郎編、中央公論社)より

        ”ひとかどの人物と思われている者にとっては、何が恥ずかしいことだといって、自分自身の力によらずに、祖先の名声によって自分を尊ばれるものにすることほど、恥ずかしいことはないのだ、ということをよく知っておいてほしいのだ。”(「メネクセノス」215頁) ”まずたいていのばあいは、よき友よ、権力を持った人たちというものは悪しき人間となるのがつねなのだ。”(「ゴルギアス」402頁) ”人は、自分が不正を受けることを警戒するよりも不正をはたらくことのほうを警戒して避けなければならぬ。

        • アミラ・ハス『パレスチナから報告します』より

          ”やむにやまれぬ大胆さで法律が破られるとき、人は立法や行政にたずさわる当局についてよくよく調べてみなければならない。ソビエトのユダヤ人は禁止行為であったにもかかわらず、ヘブライ語を学んだ。1960年代まで米国南部の法律は、バスの前部座席に黒人が座ることを禁止していた。19世紀の法制度は、奴隷が読み書きを学ぶことを禁じていた。チャウセスク時代のルーマニアでは、ラジオで海外放送を聴くことは重大な犯罪とみなされた。人はいつだって、正義と平等の基本原理に反する法律を破ってきたのだ。”

        青木理『時代の異端者たち』より

          H.D.ソロー『森の生活』(上)より

          ”ある階級の贅沢は、他の階級の貧困によってつりあいを保っている。一方に宮殿があれば、他方には救貧院と「もの言わぬ貧民」がある。”(「経済」66頁)

          H.D.ソロー『森の生活』(上)より

          岡 真理『ガザに地下鉄が走る日』より

          ”(イラン・パペ)ユダヤ人と謂えども、この惑星に暮らす他の人々と異なっているわけではないのだ。ほぼすべての人間集団に対して、他のある人間集団を非人間化することを教え込むことができる。このようにして、ごくふつうのドイツ人がナチスの死の機械に、アフリカ人がルワンダのジェノサイドに、農民たちがカンボジアのキリング・フィールドのとりこまれていった。自分たちのことを、非人間化の犠牲者だと主張する者たちでさえ、そうだ。1948年のシオニスト部隊は、パレスチナで、老若男女問わず殺害するとい

          岡 真理『ガザに地下鉄が走る日』より

          スティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』(下)より

          ”古い理論の指導のもとに古い方法で収集された新しい事実は、思想を本質的に修正するようになることはめったにない。事実が「みずからを語る」ことはない。それは理論の光のもとで解読されるのである。創造的思考は、芸術におけるがごとく、科学においても、意見を変えるための原動力である。科学は本質的に人間の活動であって、論理の法則によって不可避的な解釈にゆきつくというような、客観的情報の機械化されたロボット的集積ではない。”(20章「大陸移動説の妥当性」42頁)

          スティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』(下)より

          スティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』(上)より

          ”科学とは客観的な情報を収集し古い迷信を破壊しながら真理へと向かうゆらぐことのない行進ではない。科学者は、普通の人間と同じく、その理論の中に、その時代の社会的・政治的制約を無意識のうちに反映させる。彼らは、社会の特権的な成員として、結局は、現在の社会体制を生物学的にあらかじめ運命づけられていたものとして養護してしまうことがしばしばある。”(「プロローグ」16頁) ”科学とは「体系化された常識」ではない。科学が最もわれわれを興奮させる側面とは、それがわれわれが直観と呼ぶ古来か

          スティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』(上)より

          フリードリヒ・グルダ『俺の人生まるごとスキャンダル』より

          ”俺がまだ十六歳だった一九四六年、ジュネーブの国際コンクールでだった。コンチェルトを弾いていて、ある箇所にきたとき、俺自身が弾いているんじゃない、「それ」が弾いている、っていう感じがした。なにかこう、背筋が寒くなるような思いがしたよ。なにしろうとくにうまくいっていて、まさにただしきて、思い通りに弾けているときだったからね。後になってわかったんだけど、この感覚は向こうからひとりでにやってくるものじゃない。その都度あらたに努力して獲得しないといけないんだ。”(1「異端の肖像」16

          フリードリヒ・グルダ『俺の人生まるごとスキャンダル』より

          那珂太郎編『西脇順三郎詩集』より

          一六五 種は再び種になる 花を通り 果(み)を通り 人の種も再び人の種となる 童女の花を通り 蘭草の果を通り この永劫の水車 かなしげにまはる 水は流れ 車はめぐりまた流れ去る 無限の過去の或時に始まり 無限の未来の或時に終る 人命の旅 この世のあらゆる瞬間も 永劫の時間の一部分 草の実の一粒も 永劫の空間の一部分 有限の存在は無限の存在の一部分 (「旅人かへらず」162〜163頁)

          那珂太郎編『西脇順三郎詩集』より

          カミュ全集5『戒厳令、正義の人びと』より

          ”私は現代の連帯責任者であるから時代を高所から裁く権利はまったくない。裁くとすれば内側から、時代と一体になってである。しかし私は己や他人について確実に知っていることを言う権利は保留する。それは世界の耐えがたい不幸になにかをつけ加えるためではなく、われわれが手さぐりしていいる暗い壁に扉が開かれるかもしれない未知の場所を指示するためである。そうだ、私は自分の知っていることを言う権利を保留する。そして私は発言するだろう。私が関心をもつのはただ新生(ルネッサンス)だけである。”(「反

          カミュ全集5『戒厳令、正義の人びと』より

          パスカル『パンセ』より

          9”人を有益にたしなめ、その人にまちがっていることを示してやるには、彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。なぜなら、それは通常、その方面からは真なのであるから。そしてそれが真であることを彼に認めてやり、そのかわり、それがそこからは誤っている他の方面を見せてやるのだ。彼はそれで満足する。なぜなら彼は、自分がまちがっていたのではなく、ただ全ての方面を見るのを怠っていたのだということを悟るからである。”(第一章「精神と文体とに関する思想」13頁) 10”

          パスカル『パンセ』より

          ロラン・バルト『明るい部屋』より

          ”それは、ストゥディウム(studium)という語である。この語は、少なくともただちに《勉学》を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。(…)ストゥディウム(一般的関心) ストゥディウムの場をかき乱しにやって来るこの第二の要素を、私はプンクトゥム(punctum)と呼ぶことにしたい。(…)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことでありーしかもまた、骰子の一振りのことでもあるからだ。(…)

          ロラン・バルト『明るい部屋』より

          澤地久枝、半藤一利、戸高一成『日本海軍はなぜ過ったか』より

          ”当時の海軍士官の多くは「実は戦争には反対であり」「戦えば必ず負ける」と考えていたにもかかわらず、組織に中に入るとそれが大きな声とはならずに戦争が始まり、間違っていると分かっている作戦も、誰も反対せずに終戦まで続けられていった、という実態である。 そこには日本海軍という組織が持っていた体質、「縦割りのセクショナリズム」「問題を隠蔽する体質」「ムードに流され意見を言えない空気」「責任の曖昧さ」があった。”(藤木達弘ーNHK大型企画開発センターチーフ・プロデューサー「はじめに」ⅶ

          澤地久枝、半藤一利、戸高一成『日本海軍はなぜ過ったか』より

          久住昌之『面(ジャケ)食い』より

          ”事前にガイドだのネットだのは一切調べない。己の勝負勘を磨く。最近の輩は、失敗しないように、ネットで事前に調べる。店の前まで行って、スマホでその店を検索して、メニューや値段や、他人の評価を確認する人も多い。セコい。そんなことばかりしていたんでは、いい店を見抜く力は、一生つかない。他人頼りで、そのくせ文句ばかりつける、嫌なジジババになのだ。 己の足で歩き回って、見つけて、観察して、考えて、勝負する。それで、よかったり、失敗したりの経験を積み重ねるしか、自分好みのおいしい店を見つ

          久住昌之『面(ジャケ)食い』より

          松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』より

          ”政治学者の吉田徹(北海道大学大学院法学研究科准教授)によれば、ポピュリズムの核心は「否定の政治」にあるのだという。既存の権力を敵とみなし、「人々」の側に立って勧善懲悪的に振る舞う。ゆえにポピュリストは素人っぽさや庶民感覚を売りにする、と。まさに橋下の政治手法そのものという気がする。”(第3章「標的になるメディア」92頁) ”漸進的な改善策や定常型の社会よりも、新しく大胆な「改革」や「変化」を良きものと持て囃す。「納税者」というより「消費者」的な損得勘定で、行財政コストや公

          松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』より