スティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』(上)より

”科学とは客観的な情報を収集し古い迷信を破壊しながら真理へと向かうゆらぐことのない行進ではない。科学者は、普通の人間と同じく、その理論の中に、その時代の社会的・政治的制約を無意識のうちに反映させる。彼らは、社会の特権的な成員として、結局は、現在の社会体制を生物学的にあらかじめ運命づけられていたものとして養護してしまうことがしばしばある。”(「プロローグ」16頁)

”科学とは「体系化された常識」ではない。科学が最もわれわれを興奮させる側面とは、それがわれわれが直観と呼ぶ古来からの人間中心的な偏見に対して強力な理論を対峙させ、この世界についての見方をまったく変えさせてしまうところにあるのである。”(10章「生物の知恵」127頁)

”常識は科学上の洞察にとっては非常にへたくそな案内人にすぎない。なぜなら、常識は、裸の王様を前にした小さな子どもの生まれつきの正直さを反映するよりも、文化的な偏見を表現していることのほうが多いからである。”(12章「完成化の問題」155頁)