アミラ・ハス『パレスチナから報告します』より

”やむにやまれぬ大胆さで法律が破られるとき、人は立法や行政にたずさわる当局についてよくよく調べてみなければならない。ソビエトのユダヤ人は禁止行為であったにもかかわらず、ヘブライ語を学んだ。1960年代まで米国南部の法律は、バスの前部座席に黒人が座ることを禁止していた。19世紀の法制度は、奴隷が読み書きを学ぶことを禁じていた。チャウセスク時代のルーマニアでは、ラジオで海外放送を聴くことは重大な犯罪とみなされた。人はいつだって、正義と平等の基本原理に反する法律を破ってきたのだ。”(第1部3「1998年7月15日 法制度という偽装のもとに」32頁)

”イスラエル人は、自爆攻撃はパレスチナ人固有の残虐性と、彼らの宗教およびメンタリティの結果であるという結論をくだす。人びとは社会・歴史学的説明ではなく、生物・宗教学的説明に頼ろうとする。これはきわめて重大な誤りだ。一般的にテロ攻撃を終わらせたいなら、とりわけ自爆テロを終わらせたいなら、なぜ、パレスチナ人がそれを支持するか、という問いを立てねばならない。人びとの支持がなければ、パレスチナ人の組織はあえて自爆攻撃者を送り出し、予想されるイスラエル人側の、規模拡大にるながる対応を「招く」ようなことしないはずだ。パレスチナ人が、どれほど冷酷な攻撃であってもそれを支持するのは、イスラエルの支配体制が真にターゲットにしているのは、自分たちであり、自分たちの存在であり、自分たちの国家としての未来であることを確信しているからである。”(第4部32「2002年6月26日」231〜232頁)

”私は「客観的」ということがほんとうのジャーナリズムの原則とは思いません。すべてのジャーナリストは報道するとき、それぞれの意見を持っているものです。もし自分の意見を持たないとしたら、それは一体どういうことか。そのこと自体が大きな問題ですだれも「客観的」などではありえないのです。重要なことは読者がその意見を知ることです。”(解説〈著者へのインタビュー〉290頁)

”私自身、仕事を通してジャーナリズムのあり方についての考えを発展させています。ずっと一貫しているとは思いません。ただジャーナリストの主要な仕事は〈権力中枢をモニター(監視)すること〉という信念は変わりません。つまり支配者がどのように被支配者に影響を及ぼしているかを観察し、批判することです。ジャーナリストは弱者を追跡するスパイとなるべきではありません。強者をこそ追跡するべきです。”(解説〈著者へのインタビュー〉297頁)