世界の名著6『プラトンⅠ』(田中美知太郎編、中央公論社)より

”ひとかどの人物と思われている者にとっては、何が恥ずかしいことだといって、自分自身の力によらずに、祖先の名声によって自分を尊ばれるものにすることほど、恥ずかしいことはないのだ、ということをよく知っておいてほしいのだ。”(「メネクセノス」215頁)

”まずたいていのばあいは、よき友よ、権力を持った人たちというものは悪しき人間となるのがつねなのだ。”(「ゴルギアス」402頁)

”人は、自分が不正を受けることを警戒するよりも不正をはたらくことのほうを警戒して避けなければならぬ。人間がなににもまして心がけねばならぬのは、公私いずれにおいても、すぐれた人間だと思われることではなく、じっさいにすぐれた人間であるということだ。しかし、もし人がなんらかの点で悪しき人間となったならば、かならず懲らしめを受けなければならぬ。そして、そのことこそは、正しい人間であることについで第二番目に善きことなのである。すなわち、懲らしめられて罰を受け正しい人間となることが。また、あらゆるおべっかは、それを向ける相手が自分自身であれ他人であれ、少数の人間であれ大勢の人間であれ、すべてこれを避けねばならぬ。”(「ゴルギアス」404頁)

”いくら金銭をつんでも、そこから、すぐれた魂が生まれてくるわけではなく、金銭その他のものが人間のために善いものとなるのは、公私いずれにおいても、すべては、魂のすぐれていることによるのだから、というわけなのです。”(「ソクラテスの弁明」456頁)

”大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだ。”(「クリトン」473頁)