パスカル『パンセ』より

9”人を有益にたしなめ、その人にまちがっていることを示してやるには、彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。なぜなら、それは通常、その方面からは真なのであるから。そしてそれが真であることを彼に認めてやり、そのかわり、それがそこからは誤っている他の方面を見せてやるのだ。彼はそれで満足する。なぜなら彼は、自分がまちがっていたのではなく、ただ全ての方面を見るのを怠っていたのだということを悟るからである。”(第一章「精神と文体とに関する思想」13頁)

10”人はふつう、自分自身で見つけた理由によるほうが、他人の精神のなかで生まれた理由によるよりも、いっそうよく納得するものである。”(第一章「精神と文体とに関する思想」14頁)

37”すべてを少しずつ
人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうるすべてを知ることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜなら、すべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべてを知るよりずっと美しいからである。このような普遍性こそ、最も美しい。”(第一章「精神と文体とに関する思想」28頁)

88”すべて進歩によって改善されるものは、同じく進歩によって滅びる。”(第二章「神なき人間の惨めさ」67頁)

100”人生はまやかしの連続である。人は互いにだまし、互いにへつらうことしかしない。だれもわれわれのいるところでは、われわれについて、われわれがいないところで言っているようなことは言わない。人間同士の結合は、このだまし合いの上に築かれたものにすぎない。”(第2章「神なき人間の惨めさ」77頁)

183”われわれは絶壁が見えないようにするために、なにか目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っているのである。”(第二章「神なき人間の惨めさ」120頁)

205”私の一生の短い期間が、その前と後との永遠の中に<一日で過ぎて行く客の思い出>のように呑み込まれ、私の占めているところばかりか、私の見るかぎりのところでも小さなこの空間が、私の知らない、そして私を知らない無限に広い空間の中に沈められているのを考えめぐらすと、私があそこでなくてここにいることに恐れと驚きとを感じる。なぜなら、あそこでなくてここ、あの時でなくて現在の時に、なぜいなくてはならないのかという理由は全くないからである。だれが私をこの点に置いたのだろう。だれの命令とだれの処置によって、この所とこの時とが私にあてがわれたのだろう。”(第三章「賭けの必要性について」146頁)

206”この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる。”(第三章「賭けの必要性について」146頁)

347”人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬこと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。”(第六章「哲学者たち」225頁)