すずきB

放送作家。1970年4月5日、静岡県生まれ。正幸(父、めがね)とヒデコ(母、でぶ)の間…

すずきB

放送作家。1970年4月5日、静岡県生まれ。正幸(父、めがね)とヒデコ(母、でぶ)の間に生まれた次男。兄・則幸、弟・薫。現在は鬼(嫁)と娘と息子と4人暮らし。著書に「浮気とは午前4時の赤信号である」がある。すずきB公式サイトhttp://www.suzukib.net/

最近の記事

【ムスメ日記⑦】涙デトックス

2023年4月1日。 こうもムスメのことを連続して書くと、我ながらただの親バカに思えてくるのだが、備忘録的に、あくまで自分向けに書いておく。ムスメが旅立って1日、まだイタリアに着いてもないのに、そして、そんなにムスメと仲が良かったわけでもないのに、朝から虚無感というか、娘ロスというのか、モヤモヤ、ザワザワする。 失恋と一緒で、このモヤモヤを消すためには、思いっきりそのことを考えて、思いっきり涙を流すとスッキリし、忘れる性分だ。 ということで、朝、ウォーキングしながら、ムス

    • 【ムスメ日記⑥】今日、イタリアへ

      2023年3月31日。 朝ドラ「舞いあがれ」最終回だった今日は、大学生のムスメがイタリア留学へ旅立つ日。1年のお別れ。成田へ見送りに行こうか迷っていたが、結局、会議があるので、家で見送ることにした。その代わり、ムスメあての手紙を書いた。 LINEもできるわけだし、普通の手紙、書いてもなと思って「辛い時に読む手紙」と表に書いて、辛い時に励ます、勇気づける手紙を書いた。僕が好きな作曲家・松本隆の励まされる名言「スランプに陥ったら……」を引用したりして、すごく元気になれる手紙を書い

      • 【ムスメ日記⑤】ホテルで二人

        2023年3月23日。 昨日と一昨日は、WBCの準決勝、決勝の劇的な試合に感動し、泣きそうになった。 そして、今、自分のスケジュール帳を見て、ムスメのことで若干、泣きそうになっている(笑)。大学2年のムスメが、この春3年になるのを休学し、イタリアへ語学留学するらしい。「らしい」というのは、この計画に僕はあまり首を突っ込んで来なかったから。 ムスメは大学受験のときからコロナ禍で、「大学生になったら海外に行きたい」と言ってた夢も叶わず、入学早々ホームステイならぬ“ステイホーム”(

        • 【ムスメ日記④】初めての二人飲み

          2022年7月28日。 20年前、ムスメが生まれたとき、ムスメが20歳になったら馴染みのお鮨屋さんで酒飲みながらデートしたいな、と夢見ていた。 普段、よその女子とデートしたり浮気してる分、ムスメの20歳のお祝いぐらいは親子水入らずで、と。せめてもの罪滅ぼし。たまに家族孝行すれば神様は許してくれるはずと、自分なりの言い訳(笑) てことで、ムスメの成人祝いデートでお鮨屋さんへ。ムスメと2人で初めて鮨を食べながらお酒を飲むのは意外と緊張した。でもお互いほろ酔いになり、僕が鮨や酒

        【ムスメ日記⑦】涙デトックス

          【ムスメ日記③】W杯クロアチア戦

          2022年12月6日。 この春からムスメは思うところがあって海外で暮らすことになるらしい。自分で考えた道なら、進めばいい。お金も貯めなくてはと、年末年始はバイト漬けになるようだ。 受験のときからずっとコロナ禍。大学に入学したのに授業もリモートでほぼ家にいたムスメ。僕もずっと自宅仕事で、ムスメとは部屋がとなりなので、なんだかムスメとシェアハウスしてるような、寮生活してるような。そんな、当たり前のように家にいたムスメが、春から海外暮らしで、家にいなくなると思うと、それまで少しでも

          【ムスメ日記③】W杯クロアチア戦

          【ムスメ日記②】 成人になる

          2022年7月5日。 雅叙園で写真撮影、前撮り。母親が成人式に着た振り袖をムスメが着ることを「ママ振り」と呼ぶらしいのだが、それ。 荷物運びと送迎ついでに、家族写真も。 そう言えば、ムスメが生まれた頃、20年前に、こんな日記を書いていたな。 > ムスメが二十歳になったら、行きつけの鮨屋へムスメと2人で行き、酒が飲みたい。ムスメがトイレに行った時に、大将に「Bさん、新しいこれ(彼女)ですか?(笑)」と小指を立てて聞かれ、「ふふ、実はムスメなんですよ」と言って驚かせたい。 >

          【ムスメ日記②】 成人になる

          【ムスメ日記①】大学入学

          2021年2月27日。 ムスメが受かった大学について、なんだかムスメ以上に興味津々で恥ずかしいのだが。どんな著名人が卒業してるのか、どんな教授の、どんな授業が受けられるのか。そんな話を友達にしたら、「親バカ青春白書みたいにムスメと一緒に通えばいいじゃん」と言われ、そのドラマをHuluで見始めたのだが、なんだか異常に面白い。さすが、福田雄一監督・脚本。 ずっと女子校育ちだったムスメ(永野芽郁)が春から初めて男女共学の大学へ。 という部分、まさに我が家と同じ。 今時のキャンパ

          【ムスメ日記①】大学入学

          【ヒデコ日記⑨】 思い出の田原市

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、思い出すために。 「波乱爆笑」に大久保香代子さんが出て故郷の愛知県田原市のことを話していた。大久保さんをテレビで見るたびに、ヒデコ(母、でぶ)のことを思い出す。というのもヒデコは愛知県豊橋出身なのだが、ヒデコの母(僕にとって母方の

          【ヒデコ日記⑨】 思い出の田原市

          【ヒデコ日記⑧】 ピアノ問題

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、思い出すために。 今日家に一人でいたら、何やら業者から、ピアノの引き取りについて、とかいう電話が来た。事情を妻に聞いたら、中2の娘が勉強に集中したいからずっと続けてきたピアノをやめ、家にあるピアノを処分したいという。妻もそれに賛同

          【ヒデコ日記⑧】 ピアノ問題

          【ヒデコ日記⑦】近所のバカ

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、思い出すために。 ビートたけしさんがよく「お前は近所のバカか」とツッコんだりする。今は知らないが、確かに昔、うちの近所にも、「近所のバカ」的な大人がいた。 静岡県磐田市に生まれ、中部小という磐田の中では一番都会の小学校に通っていた

          【ヒデコ日記⑦】近所のバカ

          【ヒデコ日記⑥】ヒデコvsうなぎ

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、思い出すために。 僕の実家の磐田市は静岡県の西部、うなぎの養殖が盛んな浜松や福田(フクデと読む)に近く、今思えば子供の頃から、うなぎの蒲焼きをよく食べた。食べたと言っても、家で、なのだが。 我が家の場合は、正幸(父、めがね)が福田

          【ヒデコ日記⑥】ヒデコvsうなぎ

          【ヒデコ日記⑤】 ヒデコ式の作文

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、思い出すために。 今思うとヒデコ(母、でぶ)の教えは変だ。基本、子供の宿題には無頓着。 口を出さないし、やれとも言わない親だった。ただ、ヒデコが興味あるジャンルだと首を突っ込んでくる。例えば、絵の宿題だったり、作文だったり。 小

          【ヒデコ日記⑤】 ヒデコ式の作文

          【ヒデコ日記④】 ミス豊橋

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、読んで思い出すために。 僕は、幼い頃、迷子になったことが1度だけある。ヒデコ(母、でぶ)の故郷、豊橋の街で行われた「豊橋祭り」。ものすごい人ごみで、ディズニーのパレードのような、大きなオブジェやステージみたいなのがどんどん通過する

          【ヒデコ日記④】 ミス豊橋

          【ヒデコ日記③】 離婚は遺伝だでね

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップして残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、読んで思い出すために。 僕の母、ヒデコ(でぶ)が僕によく言っていた口癖、「離婚は遺伝だでね」。 「〜だで」は静岡県西部の方言(遠州弁)で、「〜だから」を意味する。 僕の父、正幸(メガネ)の家系は、離婚した人ばかりだ。正幸の兄姉6

          【ヒデコ日記③】 離婚は遺伝だでね

          【ヒデコ日記②】ヒデコが通うおしゃれパン屋

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップして残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、読んで思い出すために。 久しぶりに、実家(磐田市)のヒデコ(母、でぶ)から、日曜の朝、電話が来た。「もしもし」「あんた声が変だに、風邪かね?」 例の記者会見(宮迫博之・田村亮)を見て泣いてたタイミングだった。いつも間の悪いヒデコ

          【ヒデコ日記②】ヒデコが通うおしゃれパン屋

          【ヒデコ日記①】 ヒデコの進路指導

          facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップして残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、読んで思い出すために。 レタリング。明朝体。トレーシングペーパー。ポスターカラー。ケント紙。エアブラシ。当時、小学3年生で、この美術用語を知っているのは、学年でも僕とヨシユキ(同級生の秀才。父は教師)ぐらいだった。夏休み、学校か

          【ヒデコ日記①】 ヒデコの進路指導