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【ヒデコ日記⑦】近所のバカ

facebookで、ヒデコ(母、でぶ)のことを「ヒデコ日記」というタイトルでたまに書いている。ヒデコにまつわるコラムも電子書籍で書いたことがある。その原稿を時系列もバラバラながら、ここに少しずつアップて残していこうと思う。ヒデコがこの世を去った時、思い出すために。

ビートたけしさんがよく「お前は近所のバカか」とツッコんだりする。今は知らないが、確かに昔、うちの近所にも、「近所のバカ」的な大人がいた。
静岡県磐田市に生まれ、中部小という磐田の中では一番都会の小学校に通っていた。駅こそ近かったが、ちょっと行くと田んぼや川が流れているド田舎だった。小学校の頃、近所のバカは2人いた。

一人は、おむつ泥棒で有名な、通称「イサボー」。イサオという名前の30歳ぐらいのいい大人だが、ちょっと頭が弱く、独身、無職。
ヒデコ曰く、「うちも昔、あんたのおむつが、よくイサボーに盗まれただに」
でも、当時田舎は平和なもんで、それを警察に言ったり、大きな問題にすることなく、「ああ、またイサボーか、しょうがねえら」と、みんな許しながら共存していた。

そしてもう一人は、ロリコンでホモの鎌田くん。当時17歳ぐらい。ちょっと頭が弱く、学校にも行かず、ママチャリでフラフラし、男子小学生を見つけると「いいもん見せてやるで、ちょっと来い」と子供に声をかけ、神社の裏で、股間を見せてゴシゴシし、僕らにお小遣いをくれる変態お兄さんだった。
実は彼、親が工場を経営する近所で有名な家のお坊ちゃま。なので彼の財布は、いつもお札でパンパン(股間もパンパン)。通称「カマちん」とか「チンボー」など、そのまんまなあだ名で、僕ら小学生に呼ばれていた。

僕がカマちんを初めて見たのは、小1のときだった。そんな変態が近所にいることも知らないある夜、一人で商店街の文房具店に消しゴムを買いに行くと、その帰り、ゴリラ顔のたれ目のデブが、ママチャリで近づいてきて、僕の前に立ちふさがり僕に言った。
「いいもん見せてやるで、ちょっと来い」
僕は「誘拐される!」と思って、半泣きになりながら走って家に逃げ帰った。あまりに怖すぎて、そのことをヒデコ(母、でぶ)にも言えず、震えながら則幸(3つ上の兄)に話すと
「それ、カマちん」。
ついて行くと何をされるか教えられゾッとした。以来、近所を歩いてると、とにかくカマちんに会うのが怖かった。
そして、僕らが公園で遊んでると、夕方、必ずカマちんが現れ、まるでお化けが出たように、「カマダが出たーーー」と走って家に帰った。

そんなある日、ヒデコと浜松(となりの街)へ出かけると、電車でカマダらしき姿を発見。なぜこんな所に? と、ホラー映画のように怖くて震え上がった。
本当にカマダか確認しようと気にして見ていたら目が合い、僕のことを気づかれてしまった。その瞬間、ニヤリと笑い、ゴリラのような変態が、人ごみをかきわけ、股間をもぞもぞしながらこっちに近づいて来る。ヤバい、どうしよう、ヒデコに全てを話して逃げよう、そう思った瞬間、ヒデコが甲高い声で、
「あら、かまちゃん!」
カマダと親しげにしゃべりだした。僕はヒデコの影に隠れ、カマダと目を合わせないようにした。カマダが去るのを待つが、全然、話が終わらない。ヒデコはずっと僕の前でしゃべってる。あの夜、誘拐の恐怖に震えた変態ゴリラを前に、僕の足がガタガタ震えてることも知らず。
会話を聞いてると、どうやらこういうことだ。
僕の家は、ヒデコが商売をしていた。小さな駄菓子屋というか、雑貨屋というか、小さくて汚い店。店に何度か来たことがあって、それで面識があるらしい。
やっとカマダがいなくなり、カマダの裏の顔を知らないであろうヒデコに、先日の事について僕が話し始めた。
するとヒデコは
「知ってるよ、カマチンだら? 立派なおうちの子だに。普通の学校、入れなくてね。ああなっちゃったもんで、親もお金だけあげて、ほったらかしで、かわいそうに。ほんでも、あの子はとっても優しい、いい子だに。“お母さん、お母さん”って、うちの店にも来てくれてね。いっつもアイスを2つ買ってくれて、お母さんに1つくれるの。もらって一緒に食べるだよ、お金は半分返すけどね。いろんなこと話してくれるに。寂しいだよ、きっと。チンボー見させられたぐらいで怖がらんくていいで。」

なんという狂った母親だ。我が子が恐れる変態ゴリラを、何とも思っちゃいない。たまには、チンコの1本や2本見てやれぐらいな勢い。あの図太さは、ヒデコの樽のような太いウエストの太さに比例してるいる。
(2013年の電子書籍「離婚は遺伝だでね」より)
※写真はイメージ


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