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私が占い師になったワケ(闘病記⑰滑膜炎 27歳)

2005年12月13日。コルヒチンを服用していたのにも関わらず、前夜から右ひじが痛み出す。今朝、目が覚めたら右ひじに水が溜まり、再び曲がっていた。

今日は昔通っていた整形外科にレントゲン写真を借りに行く予定だが、その足で東京の頃からお世話になっている整形外科へ行き、水を抜いてもらう。

前日に都内の大学病院までレントゲン写真を借りに行って来たので、MRIの画像を整形外科の先生に診てもらったが、結果は同じだった。

画像を見てもどうして病気になったのか。

わからないとのこと。
他に治療法はないのだろうか。

相変わらずではあるがこの日もまた右ひじの水を抜き、リンデロンを注射する。

2005年12月16日。昨晩から右ひじに違和感があり、痛みで目が覚めた。コルヒチンを2錠飲み、ボルタレンサポ50㎎(座薬)を入れ、暫くの間、横になる。

するとどうだろう。

再び、目を覚ましたころには、嘘のように痛みが消えていた。

ボルタレンサポ50mgが効いているのかもしれない。

薬が切れたらまた私はあの痛みに襲われるのだろうか。

病気の原因がわからない限り、再発を食い止めることなど誰にもできやしないだろう。

2005年12月17日。昨日に引き続き、右ひじに水が溜まっている。ボルタレンサポが効いたのか、コルヒチンが効いているのかはわからないが、死ぬほど痛いわけではなかったので、今日は整形外科へ行かなかった。

長期戦になりそうだ。

2005年12月18日。昨日よりも少しだけ右ひじが痛む。
もはや限界。
こんな生活はいつまで続くのか。

2005年12月20日。なかなか右ひじの痛みが治まらない為、今日は整形外科へ行き、研修医の先生にも今まで撮ったレントゲン写真やMRIの画像を見てもらった。
やはり都内の大学病院で精査入院するしかないのだろうか。

2005年12月22日。今日はリウマチ内科で検査をし、コルヒチンがあまり効かないので、他に薬はないのか尋ねてみた。
すると何故かファロム錠という抗生物質が処方された。

今思うとこのときどうしてファロム錠が処方されたのか、謎である。

2005年12月26日。今日は何故か病院の受診日を間違えてしまった。
整形外科の窓口に行くまでまったく気が付かなかった。そろそろ痛みにやられて曜日さえもわからなくなってしまったのだろうか。

とりあえずリンデロンを注射してもらった。

2006年1月5日。リウマチ内科へ行った。早くもファロムの副作用が出たため、服用を中止したことを伝える。
できればコルヒチン以外の薬を使いたいが、今回は骨シンチグラフィーをやりたいので、ダメだと言う。

結局、何も解決せず病院をあとにした。

2006年1月6日。今朝、目が覚めると右ひじは曲がったまま、まっすぐには伸ばせない。この日の日記には、私はいったいいつまでこんな生活を続けるのだろうか。

できるものならば末期がんにでもなって早く死んでしまいたいと書かれていた。

末期がんの患者を前に失礼な話である。

2006年1月20日。今朝もまた右ひじの激痛で目が覚めた。ほとんど寝ていない。2.3日前から右ひじが曲がりそうな兆候はあったが、コルヒチンを服用していたこともあり、暫くの間、まのがれていた。

とにかくこの日の右ひじはマックスで腫れていたので、腫れが酷い状態で骨シンチグラフィーの検査はできないだろうかと思い、病院のアイソトープ検査室に電話をするも、今日の人数分しか薬がないと言われ、案の定断られる。

仕方がないので、今日は病院へは行かず、ボルタレンサポ50mgのみならず、ボルタレン錠25mg、さらにコルヒチンを服用し、激痛を飛ばすしかなかった。

今日は1日中、死んだように生きるしかない。

2006年1月22日。昨日に比べると右ひじの水はかなり減っている。それに伴い痛みはやや軽減した。明日はいよいよ骨シンチグラフィー。

こんな状態でいったい何がわかると言うのだろうか。

おそらくまた「骨には異常がない」と言われ、診察室をあとにすることになるだろう。


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