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私が占い師になったワケ(闘病記㉑潰瘍性大腸炎の疑い 27歳)

2006年3月15日。今日はまた声が出ない。ただの風邪ならば良いのだが。喉に痛みを感じるものの、まだ何とか我慢できる痛みだったので様子を見ることにする。ステロイド(プレドニン)である程度の炎症は抑えられている為、私は痛みに対する感覚がやや麻痺しているのかもしれない。

2006年3月16日。今朝もまた声が出ない。仕方がないので近所の耳鼻咽喉科へ行くことにした。整体に炎症がないか鼻から確認してもらったが、全体的に炎症を起こしているだけで、これと言って異常はないとのこと。

とりあえず吸入しバイナス錠75mg、ムコダイン錠500mg、アクディーム錠90mg、アスベリン錠20mgを7日分処方してもらった。

前回、声がまったく出なかったときは、声が出るまでに1か月もかかってしまったので、今回もまたきっとそのくらいはかかるのだろう。気長に待つしかない。

2006年3月17日。数日前から右ひじの関節に水が溜まっていたが、今朝になると水はどこかに消えていた。ステロイド(プレドニン)が効いているのだろうか。

日記を見るとこの頃から徐々にではあるが、痛みや腫れが軽減されているようにと書かれている。

それならばプレドニンの副作用を考え5mgから2.5mgに減薬ではなく、5mgで聞かないのであれば、1回10mgに増量し、内服で病気を叩いたほうが良かったのかもしれない。

今更言っても遅い話だが。

2006年3月20日。昨晩から腹部より上の臓器が痛み出した。おそらく先週末から酷く咳き込んだのだが原因だろう。もちろん病院へ行くことも考えたが、この頃の日記にはもうレントゲンは撮りたくないと書かれている。

こどもの頃からずっと撮り続けているので、きっと検査そのものが嫌になったのだろう。

どんな検査をしてみたところで、原因は不明で病名もわからないと言われるのがオチだからだ。

2006年3月22日。今日は久しぶりに右足が痛い。明日はリウマチ内科の受診日なので無事に病院へ行けるだろうか。

冷蔵庫を開けるとボルタレンサポ50mg(座薬)がまだあった。

そのため、整形外科には行かず、家でじっとしていることにしよう。

2006年3月23日。今日は午後からリウマチ内科を受診した。午前中は耳鼻科へ行き、花粉症の薬(アレロック錠5mg、リノコートパウダースプレー、リボスチン点眼液)を処方してもらった。

採血の結果、異常はなかった。

それでもやはり病状が安定しているわけではないので、ステロイド(プレドニン)は朝、夕に分け、1mgを1日に2回、服用することになった。

アザルフィジンEN錠も処方されたが、これでもまだ右ひじに水が溜まると言うのであれば、リウマトレックスを処方するしかないそうだ。

とりあえずこの日は都内の大学病院へ通っていた時も潰瘍性大腸炎の疑いがあると言われたが、来月は大腸の検査と弁膜症の疑いもあるので心臓の検査をすることにした。

この時はまだ急激に体重が減っている訳ではないので、潰瘍性大腸炎の可能性は低いが、念の為、ファイバースコープの検査をして欲しいと言うことだった。

2006年3月24日。右足の足根骨が痛いので、整形外科を受診する。都内の病院ではよく、足根骨に痛み止めの注射を打ってもらったいたが、足根骨への注射は本当に痛いので、毎回打ってもらおうかどうしようかと躊躇う。

整形外科の先生からは「リウマトレックスが効かなければエンブレルという生物学的製剤もあるよ」と言われる。

但し、この時の私は無職だったので、薬価の高いこの薬を使うことに踏み切れなかった。

また私は40歳を過ぎてから「小児リウマチだった可能性がある」と言われ「両足の骨の変形がまだ痛いと言うことであれば、それは小児リウマチの後遺症ではないだろうか」と言われているのだが。

今ならば小児リウマチに対して生物学的製剤を使用するケースもあると思うが、今から40年も前には採血する注射器でさえ、ものすごく大きな注射器を使っていた時代なので、実は先ほど。

レミケードはいつから使われ始めたのか確認したら、2003年だった。

私が今、打っているシンポニー皮下注50mgオートインジェクターは2019年に発売されたものなので、どこをどう考えてもあの当時に生物学的製剤を打って骨破壊をとめることなどできはしなかったのだろう。


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