二人の少女を結びつける、インペリアルトパーズの指輪……一方の二十年後、匿名掲示板の書き込みの中から見つかる「タチバナカナ」の名前。或いは『フワつく身体』第十回。
※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第十回です。(できるだけ毎日更新の予定)
初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」
前回分はこちら:日蝕をキーワードに浮かび上がる九つの死体。事態は新たな様相を見せ始める。或いは『フワつく身体』第九回。
『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?
八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。
本文:ここから
●一九九七年(平成九年) 六月五日 世良田美頼の日記
カナは、放課後の窓辺で中谷美紀の「砂の果実」を歌いながら、クシで髪をといていた。
I would rather not be born in this world, acttualy
love is the sand fruits.
the sky is below freezing blue...
坂本龍一が作ったこの局は、毎月何曲もリリースされる小室哲哉だとかビーイング系の曲とちがって、静かで悲しくて綺麗な曲だ。聞いていると、なんだかさみしくて涙が出そうになる。
でも、would rather not be bornなんてカナらしくないと思った。
カナは、つややかなショコラクリームのような髪をすき終わると、アタシの方を見て
「ねえ、神戸の事件ヤバくない? 第二の犯行声明が届いたんだって?」
と言った。
テレビをつければどこもそのニュースでもちきりだった。神戸で小学生の男の子が殺されて、中学校の門の上に、犯行声明を咥えて乗せられていた。
そして、昨日、第二の犯行声明が神戸の新聞社に届いたのだと言う。
「犯人どんなやつなんだろう? ね、どんだけヤバいやつなんだろ?」
カナはこの残酷な事件を楽しんでいるようにも見えた。
「なんか超怖い事件だよね。早く犯人捕まればいいね」
アタシは、カナみたいに不謹慎にはなれなくて、そう返しただけだった。
「ところでさ、ボク、超欲しいものがあるんだ。シャネルとかヴィトンみたいなブランドものじゃないんだけど、一緒に見に行かない?」
アタシが事件についてあんまり興味がなさそうだったから、カナはくるっと話題を変えた。
「それって渋谷?」
「そう渋谷」
そうして、アタシたちはいつものように、京王線に乗った。調布からそのままだと、新宿に行っちゃうので途中で井の頭線に乗り換える。
井の頭線の改札の周りは工事中で、真っ白い板に覆われている。ときどき、工事のドリルの音が、ブレイクビーツみたいな音を響かせている。
パネルのトンネルを出ると、アタシたちみたいな女子高生の群れにぶつかった。みんな髪の色を脱いて、ルーズソックスを履いて、渋谷の街を漂っていた。
どの子もみんな似ている。誰が誰でも同じだ。前に「そう言うの記号性って言うんだよ」ってカナが言ったのを覚えている。そうみんな同じ。どこにでもいる人の群れ。そう言うのにならなければならないんだって、カナはこのあいだ、巻紙に会ってから特にそう言うようになった。
アタシにはよく分からなかった。だってどんなに同じように見えてもカナは特別だもの。行き交う女子高生たちはみんな似ているけど、カナみたいに綺麗な子はいない。
カナは、女子高生でいっぱいの道玄坂を下って、東急線のホームの上の東急デパートの方に向かった。デパートの中は通りほど女子高生の姿がない。それで、エスカレーターに乗って上に登るとだんだん女子高生はいなくなって代わりに中年のマダムみたいな人が増える。
「こっちこっち」
カナは八階でエスカレーターを降りて、宝石売り場の方に歩いていった。
宝石売り場にはさすがに女子高生の姿なんてなくて、アタシたちはだいぶ目立ってしまっていた。
カナは気にしないで売り場の中を歩いて、真ん中のショーケースの前で止まった。
「これ」
カナが指差したのは、鮮やかな、はちみつ色の宝石がはまった指輪だった。
「インペリアルトパーズ。十二万八千円?」
アタシが値札の文字を読むと、
「ねえ、すごく綺麗じゃない?」
ショーケースのライトに照らされて、夕方の太陽のような色に輝いていた。
「トパーズは、同じような色のシトリンなどに比べて硬いので、その分強い輝きを放つんですよ」
ショーケースの反対側にいる店員のお姉さんがそう言った。
「だって。ボク、これを見たとき、もうこの宝石以外のものが視界に入らない気さえしたんだ」
太陽のかけらを閉じ込めたみたいなキラキラした光にアタシの目も吸い込まれてしまう。なんて美しいんだろう。加奈にふさわしいんだろう。
「そうだね、カナの指は細くて綺麗だから、絶対似合うよ」
アタシはそう答えた。この世界にある全ての服もアクセサリーもカナに似合わないものはない。そのカナが欲しいと思ったのだから、もうこの指輪はカナのものなんだと思った。
アタシたちはショーケースを離れて、「やっぱウリしかないよね」ということになった。カナはあの指輪が本当にすぐに欲しくて、一週間も十日も待っていられないみたいだった。
そこにカワイイものがある。そしたら、そのときの欲しい、手に入れたいという感情が全てなんだ。それはアタシたちの中を吹き抜けていくだけで、長く持たないかもしれないから、できるだけ早く、間に合わなくちゃいけない。
でも流行りのブランドじゃなくて、こんな宝石が欲しくなるなんてカナはなんてセンスがいいんだろう。
「アタシが稼いだ分も使っていいよ」
と言うと、カナは
「本当に? でもミヨリが稼いだ分はミヨリのお金じゃん」
「ううん。だってアタシもカナがあの指輪はめてるところ早く見たいもん」
「分かった。ミヨリ大好き!」
カナはアタシに抱きついてきた。ドルチェヴィータの甘い香りがふわぁっ、って流れて来て、もうアタシはじゅうぶんに幸せになった。
その日、アタシとカナは、電話ボックスからテレクラに電話して、なんとか一人六万出してくれるオヤジを見つけた。伝言ダイヤルだと向こうから金額を提示して吹き込んで来るから、値段を上げづらい。援交をやる子が増えていて、どんどん値段が下がっている。だから、テレクラで交渉することにしたんだけど、けっこう難航した。一人はすぐに見つかったんだけど、もう一人がなかなかで、カナはなんとか、五万円と言ってきたオヤジを、友達の中絶代をカンパしてるから、とか適当な理由をつけて六万にした。
それで、センター街のコインロッカーに預けてあるS女の制服に着替えてから、それぞれのオヤジとエッチして、いつものセンター街のカラオケボックスで落ち合ったときには、もう東急デパートなんか閉店している時間になっていた。
お互いの体を指と舌で清め合いながら、アタシは、この指にあの指輪がはまったらどんなに美しいんだろう、って思っていた。
●一九九七年(平成九年) 六月六日 世良田美頼の日記
放課後、アタシたちは昨日稼いだ十二万円とカナのお小遣い八千円を握りしめて、東急の八階に行った。
店員さんは制服姿のアタシたちをちょっと訝しんだけれど、「すごく気に入ったからって両親に出してもらったんです」と言って押し切った。
インペリアルトパーズの指輪を試着すると、それはカナの指にあつらえたみたいにピッタリで、サイズ直しは必要なかった。
カナはそれを買うと、アタシたちは、とりあえずいつものカラオケボックスに行った。
そして、オレンジジュースを頼むと、店員が行ったあとにいつもよりも多めにテキーラを入れて、カナと祝杯をあげることにした。
「ねえねえ、せっかくだから、ミヨリ、ボクの指にはめてよ」
「えっ?」
「だって、一人ではめてもつまんないじゃん。あ、そうそう、それから、コレ、トパーズの指輪を買って、もういらないと思うから、ミヨリにあげるね」
そう言ってカバンからカナがゴソゴソとリングケースを取り出して、中に入っていたのは前にカナがはめていたシャネルのカメリアリングだった。
そうして、アタシたちはまるで結婚式みたいに指輪の交換をした。
アタシの指にカナがしてた大きな白い陶器の花のリングがはまっているのも嬉しかったし、そして、カナの細い指に、太陽の雫のようなインペリアルトパーズが輝いているのは本当に美しかった。
インペリアルトパーズは五ミリぐらいにカットされていて、台座の両側にダイヤモンドが埋め込まれていた。リングはゴールドで、石に近い部分はハート型にカットされていた。すごくカワイイ。
その指輪をアタシがはめただなんて、こんなに嬉しいことがこの世に他にあるんだろうかって思った。
■二〇一七年(平成二十九年) 九月十二日
環は渋谷駅構内の警らをしながらも、つい、タチバナカナのアカウントや皆既日蝕と踏切事故のことが気になってしまう。
分駐所に戻って、私物のスマホを見る。特に誰からも連絡が来ていない。
踏切事故の被害者のうちの最初の二人、城ヶ崎満と成田芳樹は職業不詳。その上、十五年も前の出来事なので、何で生計を立てていたのかは分からない。
三人目の田端文蔵からは、中年以上の社会的地位のある男性が続く。田端文蔵は、死亡当時、大手不動産の元会長。八十年代には海外の土地まで買収して名を馳せたが、バブル崩壊後に経営が悪化し、死亡の前年に経営していた会社は外資の手に渡っている。
四人目の新井勤は分類上では、地方公務員になるが、東京都の総務局の副局長のポジションにあった。やたらな国家官僚より地位が高いだろう。
五人目、松田正太郎は文部科学省の官僚を経て、出版社に天下りをしている。事故は、出版社の取締役を引退して三年後だった。東京で部分日蝕の見れた日に事故に遭っている。
六人目、早瀬健はミュージシャンで、死亡時は四十五歳。他に比べると若い。九十年代、CDが大量に売れていた頃、ヒット曲の編曲に携わっている。ただ、死亡した二〇一〇年頃になると、当時ほどCDは売れなくなっていたはずで、他と比べると経歴上、やや見劣りする感が否めない。
七人目、服部高広は元広告代理店の取締役。
八人目、高木将男は元文部官僚。六年前に死んでいる五人目の松田正太郎の後輩のようだった。
そして、九人目。巻紙亮二。
五人目の松田正太郎と八人目の高木将男以外は接点は見当たらない。もし、かつて援助交際をしていた立花加奈と世良田美頼と関わりがあると言うなら、顧客とでも言うべきだろうか。だが、そもそも推論の上に推論を重ねている状況には変わり無い。
こっそりロッカーから抜いておいた、私物のスマホが震えた。LINEメッセージが届いたようだ。送信元は環の兄、卓也だった。
環は小隊長や赤城にバレないように、席を立って、ロッカーに移動する。
ちぎりおじさん【環から言われたように、5chっていうか、2chのオカ版のログ漁ってみたぞ】
環はなぜ、兄のアカウントが「ちぎりおじさん」なのかは知らない。
環【なになに?】
例えば、この一連の踏切事故に関連があるのなら、匿名掲示板に噂が書き込まれていないだろうか。とは言え、そもそも事件かどうかも分からないのだから、鑑識やサイバーセキュリティー対策室に頼む訳にはいかない。
ということで、環が頼ったのは兄であった。無論、捜査違反である。
ちぎりおじさん【そしたら、面白いことが分かった】
環【マジで?】
ちぎりおじさん【とは言え、環、この仕事タダなの?】
環【は?】
ちぎりおじさん【タダ働きってことなら教えられんな】
環【そこは、きょうだいなんだからボランティアで】
ちぎりおじさん【ええ? 引きこもり十年間のスキル舐めんなよ】
環【それ、スキルって呼ばねえし!】
ちぎりおじさん【Google Playプリペイドカード一万円分でいいよ】
環【ガチャ廃人め!】
ちぎりおじさん【で、どうなん? プリペイドカードくれなきゃ、兄ちゃん教えないよ】
環【分かった。今度実家に返った時にコンビニで買ってあげる】
ちぎりおじさん【よっしゃ。環が指摘するような、皆既日蝕の日に渋谷周辺で踏切事故が起きるということに気づいた奴はまだいなかったらしい。皆既日蝕は一、二年に一度しか起こらないが、人身事故は毎日のように起こる。相関に気づいたのなんてお前ぐらいだと思う】
環【確かにね。偶然かもしれない。あるいは本当にオカルト現象なのかもとさえ思う。だから、警察の捜査機関じゃなくて、内々に兄貴に頼んだ訳じゃん】
ちぎりおじさん【ただ、環が送ってきた日蝕の日の前日に、毎回、『夜の女神を讃えるスレ』というのが立っている。と言っても毎回一人二人が書き込んでいるだけ。しかもスレ立てした奴が思わせぶりなことを言った後に、『キモい』とか『なんなの』とか後はAAの荒らしとそういうの。だから、スレ立てした本人以外は殆ど書き込んでいないと言ってもいい】
環【マジで? 兄貴よく見つけたじゃん】
ちぎりおじさん【だから俺の引きこもり十年のスキルを舐めるなってことだよ】
環【だが、妹はそれをスキルとは呼びたくないな】
ちぎりおじさん【内容は毎回、殆ど同じ。URLとキャプチャ画面を後で送るよ】
環【スレ立てしてるのは匿名なの?】
ちぎりおじさん【いや、最初の三回は匿名だったんだけど、四回目からはコテハンを名乗ってる。『タチバナカナ』って】
心臓が高なった。『タチバナカナ』
……やはりここで出てきてしまうのか。
兄から、オカ版スレのキャプチャ画像が送られてくる。
「【夜の女王を讃えるスレ】
タチバナカナ 2009/7/21 汚い野菜共よ、トパーズを拾え。
トパーズよ、闇より鉄の処女を呼べ。
闇を統べる夜の女王の贄とならん。」
本文:ここまで
続きはこちら:第十一回
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読者の皆様へ:
※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。
※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。
※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。
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