見出し画像

カナは自分だけを見ていると思っていたのに……奔放な加奈に振り回される美頼。二十年後の環は捜査一課に出向く。或いは、『フワつく身体』第十一回。

※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第十一回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:二人の少女を結びつける、インペリアルトパーズの指輪……一方の二十年後、匿名掲示板の書き込みの中から見つかる「タチバナカナ」の名前。或いは『フワつく身体』第十回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

●一九九七年(平成九年) 六月二十九日 世良田美頼の日記


 今日、とてもショックなことが起きた。もうショックでどうにかなりそう。

 その日、カナは学校にいるときから一日中、神戸で起きた殺人事件の犯人が中学生だったことに興奮していた。援交はしないで、すぐにいつものカラオケボックスに入ったけど、 シートに座るなり、

「やっぱ、アレやったのが年下ってすごくない?」

 と改めておんなじことを、くり返した。

 ここ一月、テレビや週刊誌は犯人探しにやっきになっていたけど、どれも少なくとも十八歳以上の犯人だと思っていて、それが昨日捕まったのが、名前も公表できない中学生の少年だったということに、世の中じゅうが驚いていた。

「すごいかどうかで言ったらすごいけど、でも怖いじゃん」

「そう、彼はヤバイ。彼は犯行声明で、自分のこと『透明な存在』って言ってたけど、透明だったから世の中の善悪の基準から見えなかったんだ」

 そんなことを言っていた。でも、それはアタシにとってどうでもいいことだ。

 それまで、そんなことを話していて、そしたら急に、

「それからね、ボク、彼氏できたんだ」

 って言った。まるで、昨日の晩御飯はカレーだったんだ、みたいな、どうでもいいことみたいに、サラって言ったので、アタシはすぐ意味が飲み込めなかった。

「えっ? それ、どういうこと?」

「だから、そう言うこと」

 アタシはもうわけが分かんなくて、混乱するアタシにカナは言った。

「だって、ミヨリは親友じゃん。親友とは別に彼氏っているものだし」

「でも、でも」

 いるものだし、ってなに? だって、アタシとカナはつがいの天女で、お互いがどっちがどっちでもいいような入れ替え可能な存在だって、言ってたのに。

「もしかして、妬いてる?」

「嫉妬とかそんなんじゃなくて、なんでカナに彼氏なの?」

「だって、彼氏っているものじゃんか。大丈夫、ボクを清められるのはミヨリだけだよ」

「でも、するんでしょう? エッチ」

「そりゃあね、彼氏だからね」

 カナの白くて美しい体を、お金払わないで、よく分からない男がさわるなんて、嫌だった。

 カナはここ一週間ぐらい、アタシと放課後一緒じゃなかった。ちょっと用事があるからとか言って、先に帰ってしまっていた。だから、学校が終わると帰りたくもない自分の家に帰るしかなかったんだ。

 その間に、作ってたんだ。彼氏……。

 そう思っていたら、カナのカバンから聞き慣れない、ピリリリっていう音がした。

 PHSだった。カナってばいつのまに、ピッチ作ってたんだろう。それまでアタシたちの連絡手段と言えば、公衆電話とポケベルだったのに。

「あ、もしもし、ショウ? うん、今、カラオケボックス。そうそう、ミヨリと一緒、うん。うん。あ、ごめんここ室内だから電波悪い。もう一回言って。214号室。そう、待ってる。じゃあね」

 そう言って、カナは電話を切った。

「ショウっていうのが、その彼氏?」

「そう、今、ハチ公口だって」

「ここに来るの?」

「そう、ショウがね、ミヨリに会ってみたいって言うから」

 アタシはあまりにもカナがあっけらかんとしているので、怒ったり、泣いたりするタイミングを見失ってしまっていた。

「カナ、ピッチ買ったんだ」

「そう、はやくミヨリも買った方がいいよ。もう、ポケベルはダサいよ」

「だったら、一緒に作りに行きたかったのに」

「そっか。ごめん。でもピッチ契約するのに親の委任状がいるんだ。大変でしょ?」

 アタシはカナになんて返していいのか分らなかった。ただ、無性にさみしいし、悔しかった。

 ついこのあいだ、カナと指輪の交換をしたばかりだと言うのに。

 喉の奥に詰まったもやもやした固まりみたいなものをどうしていいか分かんないうちに、カラオケボックスの扉をノックする音が響いて、ミヨリの彼氏、ショウが現れた。

 ショウは、背が高くてカッコイイ人だった。すっと通った鼻筋に整った顔立ち。髪は短髪でピアスとかはしてなかった。

 服もシンプルで、少し骨ばった首と腕に、お揃いのクロムハーツのネックレスとブレスレットがさりげない感じだった。

 年齢はアタシたちよりも上だった。大学生かなと思った。

「初めまして、世良田さん、だっけ?」

「ミヨリでいいって」

 と言ったのは、アタシじゃなくてカナだ。少なくともアタシはこの男に下の名前で呼ばれる許可を出した覚えはなかった。
アタシは黙ってうなづいた。

「ごめん、ミヨリ、妬いてるんだ。ボクが急にショウ呼んじゃったから」

 ショウはアタシの方を見て、

「ごめん、抜け駆けみたいに見えたのかな」

 と言った。

「いつ、二人は出会ったの? アタシの知らないところで」

「三日前。オレはやっと出会えたんだ。オレと同じ生き方をしてる女の子に、それがカナだった」

「ふーん」
 どこで出会ったのか、とか返すべきだったのかもしれないけど、別にそんなこと知りたくもなかった。

「ミヨリちゃんも、カナと一緒にマキガミに会ったんだよね。うらやましい。オレは、去年まで真面目で、薬害エイズ訴訟のボランティアとかやってたんだよね。でも、オレがボランティアに関わるきっかけになった漫画家が運動から離れちゃって、オレもこのまま『純粋まっすぐ君』でいちゃダメだと思って、マキガミの本と出会ったんだ」

「ふーん」

「オレは真面目なオレを捨てようと思って、オレはナンパ師になった。かつてのマキガミがそうだったようにね。オレという自我を細かく刻むために、セックスしまくった。純粋な自分を求めた先にサリンを撒くような人間になるのはまっぴらだって思ったからね」

「ふーん」

 カナとちがって特にマキガミの本を読んでいないアタシは、ショウの言うことがよく分からなかった。

「あれ、ミヨリちゃん、興味ない? カナの友達だから興味あると思って」

「ごめんなさい、マキガミの本はまだ読んでないから」

「そうなんだ。こないだマルキューの前でナンパしたカナから、こないだマキガミに会ったって聞いて、それで今を楽しむためにもっとフワフワした存在になりたいって聞いて」

「え? アタシたちが援交してるって知ってて、カナと付き合ったの?」

 普通は、彼女が援交してるなんて嫌なんじゃないだろうか。

「もちろん、だから付き合ったんだ。ナンパ師のオレと援交少女のカナ。お似合いだろう?」

「ショウさんがマキガミのファンなのは分かったけど、こないだマキガミに会ったとき、あの人は別に援助交際を勧めているわけじゃないって言ってたよね。男の子の読者にも、昔の自分みたいなナンパ師になれって言ってるわけじゃないんじゃないのかな。読んでないから分かんないけど」

「ミヨリちゃんは鋭いね。でも、彼はなるなとも言ってない。世間の薄汚さに自分をならすには、同じ道を歩むのが懸命だろう」

 ショウはそう言ったけど、アタシはなんか、この話は意味ないと思った。

 それから、アタシたちはカラオケボックスを出て、三人でプリクラを撮った。

 どんな顔していいか分からなかったから、引きつった変な顔が出てきた。

 それを見てカナは「ミヨリ、ヤバイ!」って言って、ケラケラ笑った。

 そのあと、二人と分かれて、アタシ一人になったら、なんだかもうとても自分が惨めで仕方なくて、涙がポロポロ出てきた。

 アタシはどうしていいか分からなかったけど、とりあえずカナからもらったシャネルのカメリアリングを外した。


■二〇一七年(平成二十九年) 九月十五日

「と、言うことなんだけど」

 環は分駐所ではなく、桜田門の警視庁にいた。

「オカルトだな。今のままではオカルトでしかない」

 そう返したのは、羽黒正一郎。警視庁捜査一課、係長である。環と同期だが、大学卒業後、一般企業に就職してから警察官になったので環よりも四つ年上である。

「いや、でもさ、不可解だと思わない? 決まって日蝕の起こる日に渋谷周辺の踏切で人身事故が起きて、その前日に2chに謎の書き込みがある。そのコテハン名が先日同じように死んだ、巻紙が死の直前に連絡をとっていた人物と同じ。その人物の名前は二十年前に行方不明になった女子高生と同じ」

 非番の環は、桜田門まで捜査一課の羽黒に自分が調べたことを報告しにやってきていた。部署内には、係長の羽黒しかいない。環とすれ違って、喫煙室に入って行った若い刑事を見かけたが、後は現場に出ているのだろう。

「確かに、不可解だとは思うが、全員、自殺として処理されているし、そもそも自分から踏切に入って行くところの防犯カメラの映像が残っていたり、目撃証言があったりするんだろ? 一応、記憶には留めておくけど、それだけで、一課が動けるほどのことじゃない。残念ながら、現段階ではオカルトでしかない」

「つれないなあ、同期希望の星のイケメンは」

 羽黒は背が高い。身長だけなら、環の兄の方が高そうだが、姿勢が良い分、堂々として見える。長い足と警察官らしい厚い胸板をチャコールグレーのスーツに包んでいる。

 その上、顔立ちも整っていると来ているし、最近は齢を重ねて渋さも加わり始めている。さらに、同期の中では一番の出世頭だ。

 まったく神の不平等を思わずにいられないと環は思う。

「恐らく、捜査すべき点があるならば、巻紙と言う大学教授が最後に連絡をとっていた電話回線の契約者と、危険ドラッグの繋がりぐらいだろうが、その辺は渋谷署から五課とか麻取には上がってるんだろう」

「うん、そこに関しては、たぶんそう。巻紙以前の者については、遺留品の中に携帯電話やスマートフォンが含まれていなかったから、関わりがあるのかは分からないし」

「それじゃ、一課以外でも、どこの部署も動きようがないんじゃないのか?」

「うーん、そう言われるとまあ、そうなんだけど」

「ていうか、2chってできてもう二十年近いだろう。そのログどうやって調べたんだ」

 環は視線を反らしてから、

「じ、自分で」

 一般人である兄に協力させたと言う訳にはいかない。

 それから、鞄から午後の紅茶、レモンティーのペットボトルを取り出して、

「私、細かいことが気になる性分なものでして」

 と言った。

「杉下右京はペットボトルの紅茶なんか飲まないぞ」

 とツッコむ羽黒を傍らに、上を向いて口を開けて、高い位置から紅茶を注ぎ込んだ。

「グボッ、ガホッ、ゲホゲホ、ゴホ」

「その上、むせない」

 むせながら環は、近くのデスクに置いてあったティッシュペーパーをとって、

「誰のが、知らないげど、いだだぎまず」

 と言いながら鼻を拭いた。

「その紅茶を鼻から出したりなんかしない」

「ズビ、あーやべ、鼻炎になりぞ」

 羽黒は頭を抱えながら、

「お前、暇か、暇なのか」

 と言った。

「えー、そのセリフは、ズビ、コーヒー持ちながら言おうよ。ズビ、できればパンダのついたマグカップに入れて、ズビ」

「……」

 羽黒は何も返さなかった。

 鼻を充分に拭き終わった環が口を開いた。

「まあさ、別に暇な訳じゃないんだけど、小隊長もちょっとここ数日、負い目があってさ。勝手な捜査がお目こぼしされてたところもあってさ」

「負い目? ああ、そうか。渋谷署で取調べ受けてた痴漢が上からの圧力で立件できなかったって聞いたけど、最初捕まえたの鉄警隊で、お前だったってことか」

「そゆこと」

「そりゃ、ご愁傷様な。ていうか、良くそんなの受け入れたな。以前のお前だったら、渋谷署に殴り込みかけてたろ」

「殴り込みって、人をヤンキーみたいに」

「違ったのか?」

「元ヤンじゃありませんー。真面目な剣道部員でした。どちらかって言うと地味グループでしたー。ていうかそれなりの進学校だったのでヤンキーいなかったし。て言うかそもそも、もうヤンキーがいる世代じゃないし」

「でも、お前が本当、そんな不当な圧力を受け入れたのは意外だな」

 環は少し間を置いて、先程鼻を拭いたティッシュを丸めて、伸ばしたりしながら言った。

「ま、私も大人になったってことかな。汚れたとも言うけど」

 環は言葉を発しながら、自分に言い聞かせているように思った。

「その悔しさを紛らわすために、このオカルトもどきの話に没頭していたってことか」

「はい、ご明察。さすがに捜査一課」

「だが、この件がただのオカルト話っていう俺の見解は変わらないな。殺人事件として調べたいなら」

「なら?」

「お前が出世して一課に来ることだ。三十七で昇進試験も受けずに、まだ巡査長なんて、両津勘吉の設定と同じだぞ」

「いいじゃない。両さんで何が悪い」

「今回は揉み消されたとは言え、痴漢逮捕をはじめとして実績も高い。警察学校の時の成績も悪くなかった。お前なら這い上がって来れるだろ。俺もここまで来れたんだから」

 環は顔をしかめて、苦いものでも食べたような顔になった。

「うわー、出た。そういうのなんて言うか知ってる? 生存者バイアスって言うの。環境と運のことを忘れて、自分の成功を努力だけののたまものだと思うこと。あまつさえ、それを他人に押し付けること。警察みたいな組織で女が上に立ったって、足引っ張られるだけ」

 口を尖らせる環に、羽黒は困惑と笑みを同時に浮かべて、

「そう言うなよ。少なくとも俺は認めてるけどな」

「やめてよ、イケメン。現実は乙女ゲーじゃないんだから」

 環は少し照れて。顔の前で手を払った。

「何言ってんだ? 深川。鼻から紅茶出しといて」

 羽黒は醒めた目で環を見ていた。

「ごめん、羽黒のチベットスナギツネみたいな顔、初めて見たわ」

「ま、お前のその、『女が上に立ったって、足引っ張られるだけ』って、実際に足引っ張られて潰された他の誰かを知っている。そして、その怨念を背負っている。だからこそ俺は登ってくるべきだと思ってるんだがな」

「……その話はやめて」

 環はそう言うと振り向いて、歩き出した。

「だから、何、格好つけてるんだよ、鼻から紅茶出しといて!」

 背中の向こうから、羽黒のツッコミが聞こえた。


 ま、一課でどうにかできるとは思っていなかったけどな。

 明大前の自宅に帰宅する前に、環は渋谷署でもう一度資料を洗おうと思った。半蔵門線の改札を出て、地下通路を通り、16b出口の真ん前が渋谷署だが、考え事をしながらだったので、ヒカリエ側に迷い込んでしまった。

 東急線が地下化してから、渋谷の立体迷宮具合がさらに加速した。

 渋谷駅で働く警察官がこの体たらくでは情けないが、JRの駅員と話した時には、彼らも私鉄側のことは覚えていないことがあると言うので、仕方ないようにも思った。

 制服で構内を警らしている時に、良く道を聞かれるが、説明が難しいこともしばしばだ。

 一旦、外に出て歩道橋を渡って、渋谷署へ向かう。

 ヒカリエの隣に新たにもう二つ、ビルが建設中だった。再開発事業は東急と大成建設が進め、二〇二八年までかかると言う。

 ビルの名前はまだ決まっていない。

 工事中の付近は、しょっちゅう形状が変わるので、道案内泣かせである。

 歩道橋の下では、工事車両が今も出入りしていた。視線を上に動かすと、複雑な形の雲が積み上がる湿っぽい青空の下、緑のシートで覆われた建設中のビルの上で、タワークレーンが鉄骨を釣り上げていた。

 これ以上、駅の構造を複雑にするのやめてくれないかな、

 環はここを通る度に思う。

 実際、ここ数年乗降人数が減り続けている。少子化と若者文化の中心がネットに移動したのも原因と言えるが、単に複雑になり過ぎた構造のせいで、乗り換えに使う人が減ったとも言われている。

 だが、渋谷は増殖をやめない。

 増殖をやめてくれない。

 環は立ち止まって、建設中のビルを眺めた。金属を叩く音、バックする車両の警告音とエンジン音。無機質な音の向こうに有機的な繋がりを感じる。あたかも、生き物のように。

 そして、二十年前に、この街を浮遊し、そして行方不明になったクラスメイトを思う。

 美し少女(おとめ)の 巖頭(いわお)に立ちて
 黄金(こがね)の櫛とり 髪のみだれを
 梳(す)きつつ口吟(くちずさ)む 歌の声の
 神怪(くすし)き魔力(ちから)に 魂(たま)もまよう

 環は僅かに唇を動かしてつぶやいた。

「加奈、あんたは、一体どこにいるんだ?」


本文:ここまで

 続きはこちら:第十二回

 続きが早く読みたい!という人はぜひ、通販もご利用くださいね。コロナ禍によって暇を持て余した作者によって、迅速対応いたします。

BOOTH通販『フワつく身体』

読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?