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学びの客体から主体へ【ローカルイベント学vol.3】

講座・セミナー・研修などにおいて、一番大切な「役割」は何でしょうか?
それは、「学びの客体から主体へ」という意識・行動の変容です。

それは、課題を「自分事」として受け止めたときに起こります。このアウトカム(成果)を生み出せない講座、あるいは生み出すきっかけとならない講演会などは、主催者側(講師等も含む)の力量不足とも言えます。

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学びの主体とは

そもそも「学習」という言葉を分解すると、「学び」と「習う」となります。そのバランスはどうなっているか、意識してみませんか?

教育者(講師や先生、上司など)からは、「学ぶ」ことよりも「習う」ことの方が一般的に多いはずです。決して「習う」ことを否定しているのではなく、まず「習う」ことがあって、それを生かして初めて「学ぶ」ことができるという関係です。
「習う」だけでは、学習者(受講者、児童、後輩など)は「受け身」の状態です。つまり、「学びの客体」であるということです。

では、反対に「学びの主体」とは、どのような状態でしょうか?

例えば、このようなことが挙げられます。
■課題解決に向けて、手立てをあれこれ考えている。本やWEBなどで調べている。
■課題解決に向けて、仲間と意見交換して考えを深めている。
■課題解決に向けて考えたことを実践している。チャレンジしている。
■課題解決に向けて実践・チャレンジしたことをふりかえっている。
■課題解決の方法が見つからず、悩み続けている。
■課題解決に向けて、専門家や実践者などにアドバイスを求めている。

こういった行為のキーワードは「主体性」です。

自主性の先の「主体性」

主体性と似た意味で使われる自主性。これを区別なく使用するケースもよくあります。

例:サッカー教室の場面を思い描いてみてください。
先生から教わった真っ直ぐのドリブル。
先生がいなくても、これを繰り返し練習しているのを「自主練習」と言います。
一方、角度をつけたドリブルにチャレンジしたり、障害物を人に見立ててドリブルしたり、仲間にディフェンスをしてもってドリブル練習をしたり・・・これは、自主性ではなく、主体性です。いうなれば「主体的な練習」でしょうか。

例:職場を思い描いてみてください。
職場で決められている「整理整頓」などのルールがあります。これに従って率先して行う社員は、「自主性のある人だ」と周りから思われるでしょう。
一方、「よりみんなが使いやすくするためには」と考えて整理整頓を改善する場合は、主体性のある状態と言えます。

自主性とは、予め決められたことを自ら率先して行動する態度や性質のことを指します。
一方で、主体性は、必要とされることを自ら考え率先して行動する態度や性質のことを指します。

VUCA時代において、外部環境の変化に対応する根本的な原動力も「主体性」だと思います。

主体性の芽を育む

1985年(昭和60)のユネスコ国際成人教育会議において「学習権 the right to learn」に関する宣言が表明されています。

学習権なくしては、人間的発達はありえない。学習権は単なる経済発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとして捉えられなければならない。学習活動はあらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである。

第4回ユネスコ国際成人教育会議(パリ)の宣言(1985.3.29)

本来、人は生まれながらに主体性を持って生きていますが、学びという行為には、どうしても主体性が大きく影響してしまいます。

では、主体性の芽を育むにはどうしたらいいでしょうか?
方法は様々あります。
例えば、難易度に着目すると、
毎日の授業 < 複数回の講座 < 1回の講演会
と、学びの時間が少ない方が、主体性の芽を育むことは難しいです。
その分、教育者側の力量にも大きく左右されるということです。研修などでは「今日の学びを明日からの仕事でアウトプットするために」などとしっかり動機付けの機会を作ってあげることも大切です。教育者側からの情報提供だけでなく、学習者自らが考え、発言し、意見を聴き、また考え合うという対話も有効です。

例えば、学びの環境に着目すると、
自ら選んだ社会教育の場 < 義務として参加する学校教育の場 < 学びに来ているわけではない職場
と、そもそもその場にいる自発性・能動性にも大きく左右されます。ですから、その場の意味をしっかり認識できるような環境づくりも大切です。

例えば、教育者側に着目すると、
講師・教師といった一方通行的なスタイルと「学習支援者」と言われる横や後ろから学びを支えるスタイルでは、主体性の芽の育み方が大きく異なります。
「上司-部下」「教師-生徒」「親-子」という教える立場と学ぶ立場が明確な場合だと、主体がどこにあるのかが不明確になってしまうことがあります。学習者に主体があると頭では認識していても、教える立場の人が学習者の主体性を奪ってしまうことはあります。
ですので、講師・教師が学習者を引っ張る立ち位置から、学習者と横に並んで伴走したり、後方にまわって背中を押していく位置へと移動していくタイミングがとても重要です。それは、職場の上司と部下の関係でも同じです。

他にも様々な要因がありますが、ぜひ、上記をヒントにしていただければ幸いです。

「学びの客体から主体へ」

この言葉には多くの示唆があります。あなたの状況に置き換えて考えてください。講座をやるとき、講座に参加するときには、ぜひこの言葉を思い出して、心の中の姿勢を前のめりに正してみましょう。

おわりに

私たちサステナブルタウンでは「地域に暮らす一人一人が環境・社会・経済にとって最良な選択を見つけられる”サステナブルな地域社会”を日本中にたくさん作る」ことをミッションに活動しています。
読んでいただき、ありがとうございました!

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