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あなたはなぜ教師になろうと思ったのですか?

脱セン(脱先生)した身でありながらも、2021年現在、教育への情熱は衰えず。学校という場所を飛び出しただけであり、(「〇〇先生」と呼ばれたくないが)新しい教育のあり方に携わりたいと考える今日この頃。もう一度自身に問いかけ、初心を思い起こすとしよう…

2001年 中学3年生での衝撃

中3の秋、ぼんやりとテレビを見ていた。

夜11時台のニュース番組。

突如画面に映るキャスターが臨時ニュースを伝えた。

現地の映像が入る。

朝のニューヨーク。

対の高いビルに黒煙が上がっている。

それは、9月11日だった。

アメリカ同時多発テロの惨劇を緊急中継で目の当たりにした。

私は15歳だった。

リアルタイムで航空機が高層ビルへ突っ込む様子を目撃した。

その後、高層ビルが崩れ落ちる様子も見た。

「ああ…!」

あのような恐ろしい破壊の瞬間を目撃したのは初めてだった。

ゾッとして思わず声が出ていた。

さっきまで横でうたた寝をしていた父も、「これは大変なことになったぞ」といつの間にかテレビに釘付けとなっていた。

何が起きたのか

この事件は「テロ」と呼ばれて報道された。

15歳の私には、これまでの人生でほとんどと言っていいくらい関わりを持たなかった単語であった。

だが、目撃してしまった。

人間の底知れない恐ろしさ。

相容れない歴史問題、思想や宗教の問題、憎しみの連鎖。

メディアで映った部分は(それ自体も歪められていたかも知れない)ごく一部だったろう。

でも、自分には当たり前だと思っていた「平和」は、実はそうではないことがわかった。


そして、15歳なりに考えた。

学校の社会で教えてもらっている「公民」で習っている法律や決まり事。

これは多くの争いや暴力の果てに、人類の反省から生まれたものなのだ。

これを学校で教わっていることはなんと尊いことなのだろう。

いや、公民だけではない。

言語を学ぶ授業も、自然の仕組みを知る授業も、何かを生み出して表現する授業も、仲間と協力して課題を達成する方法を探る授業も、

学ぶことは、私たちが過去の人類から受け継いだ生き方の手段なんだ。

その手段が異なれば、生き方、すなわち思想と行動も変わるのだろう。

暴力が正当化され、争いが起きることもあるだろう。

だから、教育は大事だ。

教育は人の生き方をつくる。

よく も わるく も。(この判断も主観的なものだと今は思う)


私は世界の隅々まで平和になって欲しい。

だから、大人になったら、平和を作る一端を担いたい。

教育に携わって、自分の学んだことや平和の尊さを次の世代に伝えたい


だから、私は教師になろうと思った。

もっと世界を知りたい。

テロや戦争を生み出してしまう世の中のことを、もっと。

正直、学校は特に好きな場所ではなかったが、私は「学ぶこと」が好きだったのだ。

学ばなければならない。

そして、伝え、教えなければならない。

テロに巻き込まれたわけではないが、立ち上がりたい思いが自分の中に湧き上がった、中学3年生の9月。

もうすぐ本格的な進路面談が始まろうとしていた。

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