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読まれない記事を書き続けてもいいのか?私の悲しい告白?

私たちnoteクリエイターは何のために記事を書いているのでしょうか?その目的は人それぞれでしょう。でも、大部分の人たちはどこかの誰かに自分の記事を読まれるために記事を書いているはずです。中には自分のための備忘録であったり自分自身を見つめ内省・内観がその目的であったりする人もいることでしょう。

いずれにせよ、何かしら自分の目的や目標のために記事を書いている人がその多くを占めているのではないでしょうか。

今回は、「読まれない記事を書き続けること」について少しだけ考えてみました。

なお、今日はあまりにも時間が無さ過ぎて、いつも以上に上手にまとめることができませんでした。

昨日の記事はこちらです。

最近1週間で一番読まれている記事がこちらです。


最近1か月間で一番読まれている記事がこちらです。




読まれない記事を書き続けてもいいのか?

誰かに読まれることを前提としていない人たちもいるかもしれない

人間社会は、十人十色や百人百様の社会です。ですから、人それぞれ異なる考え方や価値観、感情で日々の活動をしています。

それは、noteで記事を書くことも例外ではありません。

私は記事タイトルで「読まれない記事を書き続けてもいいのか?」と付けました。

しかし、どこかの誰かに読まれることを意識せずに記事を書いている人もいるかもしれません。

というのも、世の中には自分とは全く逆の考えを持っている人も大勢いるからです。

私はどこかの誰かに読まれることを望んで記事を書き始めました。でも、そんなことを一切念頭になくて、毎日記事を書いている人もいるかもしれないのです。

ですから、自分の記事が読まれる・読まれないという基準を最初に疑ってみました。

自分の記事が読まれないと悲しい?私の悲しい告白?

これも人それぞれだと思います。

ですが、私も悲しい時があります💦それは無料記事と有料記事の落差が激しい時です。

私の有料記事で一番売れなかった記事と無料記事で一番読まれている記事の差は、約6,000倍です(笑笑笑)。これは誇張ではなくて事実です。

この意味がおわかりいただけるでしょうか。

ある有料記事の売れた数がX個だとしますと、その有料記事はX回読まれたことになります。つまり、ビュー数(アクセス数)がX回ということです。

それに対して、私のある無料記事のビュー数(アクセス数)は、上の有料記事の6,000倍、つまり6,000X回もあるのです。

最近の私は有料記事を全く書いていません。その理由の一つが、上の経験です。

要するに、私は、読まれない有料記事は、非常に残念に思うわけです。もちろん、有料にする理由の一つは、それだけ多くの人に読まれたくないこともあります。しかし、あまりにも数字が低すぎますと、私も残念に思うわけです。

なお、念のため補足しておきますが、上のX回購入された記事もダッシュボードを見ますと、その500倍から1,000倍のアクセスがあります。しかし、それは見かけ上の数字です。購入されて最後まで読まれたわけではありあませんから、その見かけ上の数字にはあまり意味がありません。

少なくとも3人の読者に自分の主張が届けば良い?

1、2年前に書いた記事で、「自分の記事が少なくとも3人の人に読まれれば良い」といった内容のものを投稿しました。

これもまたありだと思います。

そもそも、noteのアカウント登録者が777万人に達したとは言っても、1年後のその継続者はどんなに多くても15万人程度です。下手をすると8万人を切っている可能性もあります。

ましてや私のように10個以上のアカウントを持っている人もいますので、実際の活動者はもっと少ないかもしれません。

この実数を踏まえますと、フォロワーが少ない人は真の読者が3人程度でもありがたいことと言えます。特に昨今は急激にnote参加者が増えていますので、自分のフォロワーに飽きられて他のnoteクリエイターに読者を取られることもあるはずです。リピーターの固定はどこの世界も厳しいですから、それもまた仕方のないことです。

いずれにしましても、数少ない読者に自分の主張が伝わればそれで良いという考え方もあると思います。

なお、私の記事は統計上4桁の読者に読まれているようですが、丁寧に熟読している方々や生粋の私のファンはその10分の1や20分の1程度かもしれません。もしかすると、以前のようにコメントのやりとりをしっかりやっていた頃の方が、純粋なファンは多かったかもしれないです。

今は誰にも読まれなくても後世の日本人に記事が届けば良い?

こういう考え方もあるかもしれません。

しかし、自分の記事がGoogleやヤフーなどからの評価が低い場合、徐々にネットの世界で埋もれてしまい検索されなくなります。

note株式会社のサーバーに残ることは確かかもしれませんが、それでも今後も増え続ける記事の数を考慮しますと、自分の記事が永遠に誰にも読まれなくなる可能性も出て来ます。

ですから、記事投稿後最初の1か月から半年間でアクセス数がほとんど伸びない記事は、そのまま埋もれてしまうかもしれません。

ちなみに、私の過去記事で300から400スキ💛をいただいたものも、その後アクセス数はほとんど伸びていません。おそらく月間一桁程度のアクセスのはずです。

どうしても読まれたい記事はどうずればいいのか?

noteには多種多様な対策があってあらゆるところで私たちの記事が紹介されています。それでもすべての記事でそのようなことが行われているわけではありません。中には意外な記事が紹介されていて、どうしても読まれたかった記事があまりアクセス数を伸ばしていないこともあります。

そのような場合、その対象の記事をマメに毎日の記事にリンク先を載せることが良いと思います。

自分では良い記事が書けたと思っていても、それが読者に伝わらないことは往々にしてあります。そして、その原因の一因は伝え方にも問題があるはずです。

ですから、それを伝えるために、自分の自称(笑)過去記事傑作を当日の記事に載せることは大切だと思います。

例えば、こんな風に!

南関東以西で猛暑・酷暑が始まってから、私の記事への反響は1割程度減少しています。その中でも比較的アクセス数が多かった記事2点を例として載せておきます。なお、この効果は微小なのですが、それでも何もやらないよりはましだと思います。


最後に 読まれない記事を書き続けてもいいのか?

私たちの幸福感の多くは自己満足で占められています。ですから、本人が読まれない記事を書き続けることに不満がないのならば、それで良いと思います。

しかし、記事を書くことには、それなりに時間と労力がかかっています。記事を書く代わりに他の生産性の高いことができるのであれば、むしろそちらにエネルギーを注いだ方がその人の自己満足は高まるはずです。

ですので、費用対効果を含めて自己満足を重視すれば、記事へのアクセス数(ビュー数)に影響されることはなくなるはずです。例えば、2時間かけて書いた記事が20人にしか読まれなかったものでも、20分で書いた記事ならばそれ程影響はないということです。残りの1時間40分を他のより大切な物事にかければいいのです。

なお、労力と時間をかけても反響が低い記事はありますが、それはそれで意味と価値があると思います。

<今日の気になったニュース>

「熟年離婚」の割合が過去最高に 長寿社会、役職定年も背景に

子どもが小さい頃の離婚にはあまり賛成できません。というのも、両親の仲が悪かったり離婚したりすると、非常に傷つく繊細な子どももいるからです。

しかし、子どもがある程度大人になってからの熟年離婚には、別に反対しません。

ただし、子どもの年齢に関わらず、早めに離婚した方が良いカップルも少なからずあることは否めません。

ちなみに、私の両親はたまに強烈な(笑)夫婦喧嘩をしていましたが、長兄の私が一番傷ついていました。しかし、下の弟妹たちは我関せずで全然心を痛めていませんでした。私は今で言うところの「繊細さん」だったのかもしれません。感受性は人それぞれなのですが、夫婦喧嘩は子どもの見ていないところでやった方がいいと思います。

上の記事のコメント欄で素敵なものがありましたので載せておきます。「共感した」や「なるほど」が大多数でしたが、一部の人は「うーん」でした。

実家の父は定年退職後、夕ご飯担当になってる。 初めは料理の本を見ながら、 書かれてる量をきっちり量って 要領も悪く時間をかけながら作ってた。

趣味もなかった人だから、心配もしてたけど 今じゃ、誰よりもレパートリーも多く 手抜き方法も学んだのか要領も良くなり 代用品なども使えるようになり 旬の物を取り入れ、なかなか素晴らしい夕飯に なってて驚いた。

出来ないからとやらない、やらせないじゃなく とにかくやって楽しめたのは良いのかと思う。

母もなんだかんだとやかく父の事を言うけど、 上手く見守ってるのかなと思い 行くたびに2人をめちゃ褒めしてみてます。

世のお父さん、強要はしませんが、 何か家事を極めて見ることをオススメしておきます。

上から目線は絶対にダメですよ。 やってあげてるとかじゃないですよ。 やらせて貰ってるくらいの気持ちで始めて 楽しんで下さい。



「コバエが、料理に一瞬だけ止まってしまった!」その料理、衛生的に大丈夫?専門家に聞いた

大きい通常の蠅が止まったならば、さすがにそこの部分を捨てます。しかし、コバエ程度ならば、私もあまり気にしません。そう言えば、大きい蠅は数年に1回程度しか見かけません。子どもの頃は至る所にいましたね。

──かつて自分が目撃したコバエは、しつこく料理の上をうろちょろしていたので、ノミバエだったのだと思います。やはり少なからず、影響はあるのでしょうか。

「コバエは汚い排水溝やトイレなどに止まっているので、足や口についたバクテリア(細菌)を料理に運んでくる可能性は、完全に否定されるものではないですね。 ただ、料理に数秒止まったくらいで、健康被害が出るようなレベルまでバクテリアが移ることは考えにくいと思います。私だったらコバエが料理に止まっても、払ってよけて食べてしまうかもしれません


<今日の日記>

お盆休みの期間中にも関わらず、道路の喧騒がやみません。皆さん一生懸命働いているのだと思います。私も若い頃は、日曜祝祭日や年末年始だけでなくお盆休みでさえ一日も休まず働いていました。結局1,500日以上一日も休まなかった記憶があります。でも、そのような期間は短い方がいいですよ。人間、仕事だけでは幸福にはなれません。特に、男性は。

イラスト素材:滝行をするパンダ

今日のパンダイラストと記事に共通点はありません。

今日の記事はここまでです。
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