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インナーチャイルドを癒し、新しい自分の価値観を創っていく


こんにちは、サンライズままです♪


突然ですが、みなさんインナーチャイルドと言う言葉を聞いたことがありますか?

インナーチャイルドの意味を簡単に説明しますと、大人になっても変わらないまま続いている、子供時代の思考パターンや習慣を指す言葉のことです。


今回の記事では自分のインナーチャイルドについてお話ししていきます。この作業が今取り組んでいるワーク『本当の自分の心と向き合うために大切なこと』その一つだからです。

また、偶然にも星よみでもそんな自分改革の時期にぴったりな天体の動きがあるようです。私の友人が占星術をしていて、インスタグラムにて投稿していましたのでその内容をシェアさせていただきます。

29歳〜30歳は星よみ的に、人生の転機サターンリターンの時期。誰もが30歳手前で経験。結婚、出産、転職など人それぞれ転機となることが起こりやすい。そのサターンリターン以前は、親の価値観、世間の常識などで自分の価値観が作られていることも多いけど、サターンリターンが起こることによりそれらがリセット『自分の価値観を構築しなおす』時期にあたります。今までの価値観が崩れ、新しく開き直す時期です。
Instagram @ha.ruka2859より引用


実はわたしの年齢が今29歳。まさに今そのサターンリターン時期

様々な心の葛藤があるのも、この時期だからと言うことも一理あり。そんな千載一遇のようなチャンスをつかみ、自分の意識革命を起こしていきます。




まずは、サターンリターン以前の私の価値観


私の生い立ちについて軽くお話ししていきます。

私の家族は、両親、弟、祖父母の6人家族で暮らしをしていました。

私の実家は先祖代々の古き良きを固く守る家柄。そのため、父が長男だったため母は嫁いできました。その家の長女としてわたしは誕生。

だけど、私の幼少期は毎日ケンカの声や両親の悲しい顔が強く記憶に残っています。もちろん、家族としての思い出もありますが、それと同じくらいそんな記憶があります。

父は建築士のうえ私が入学した小中高と全てPTA関連の役割を持つなど、常に厳しい父がいました。母は献身的に私を育ててくれました。ですが祖母との関係がかなり悪かったため、まいにち母は悲しい・怒りの表情を私に見せては苦しそうな言葉を漏らしていました。

でも、この一面とは裏腹に両親はおもしろい個性を持った方々です。父は、趣味でかなり大きい土地を山に持ち山小屋を建て仲間たちと遊ぶいつまでも少年のような心の持ち主。定年を迎えた今は市議会議員として活動もして、自分のやりたいことに真っ直ぐな父。

母は、かなり繊細で人の気持ちを察する能力は普通の人より長けているとおもいます。そのため私が学校や人間関係で悩んでいると、言わなくても何が問題で原因かわかる本当に有難い存在の母でした。(ここは天然で、人の悩みはわかるけど自分の悩みがわからない母でした笑)

そんな両親の個性を言えるようになれたのも、今だから。


幼少期は、ひとりひとりの顔色を伺いながら常に過ごしていました。特に家族が集合する夜ご飯は普通たのしい時間なのに、私にとっては苦痛の時間でした。

親の表情、話している言葉の裏を探っている感覚。ご飯が喉に通らないくらい常に神経がピリピリしていました。小学高学年の頃はこれがヒートアップ。


遊びにいった先の家族の姿を見てると、正直に羨ましがっていた自分がいました。笑顔で過ごしている。その姿を見ただけで胸が苦しくなっていました。

そんな訳で、中学に入ると私は家庭の延長線上の感覚で『どうしたら人に好かれるか。どうしたら人に嫌われないか?』計算して過ごしていました。とくに、目立つ問題はなく高校も地元の公立高校に入学し順調に最後まで過ごしていました。

家庭にいる時と同じおもいはしたくない。そんな想いが強かったですね。



高校に入ってからはそれが一変。これまで我慢してきたストレスを発散するかのように、厳しい両親にわざと迷惑かけるような問題行動ばかり起こしていました。なんとか高校は卒業したものの、気がついたらその間に家族がひとりひとり病気になってしまいました。

地元を出るという夢もあったけど、迷惑かけてしまった償いという気持ちが芽生え自分の夢を犠牲にしてまで、家族のそばにいる選択をしました。


その頃の私は『家族の誰よりもしっかりして、私がこの家族を幸せにする』そう想いながら生きていました。


病気になってしまった両親・弟は薬づけの毎日。それを見るだけで苦しい感情がいつも心にありました。私の家族は元気なわたしにさえ過剰に心配し、何かあるたび薬や病院をすすめてきたのです。


そこから、自分なりに薬に頼らず健康のための体づくりを勉強し、教え料理をつくり自分の時間をほとんど家族に通やしてきました。

周りにも家族を支えることが自分の人生だという程『家族のために身を削ってまで生きるのが自分の人生』でした。そんな私は四六時中、元気に振る舞っては常にポジティブ人間を演じていました。

幼少期からその日まで色んな自分を演じて家族を支えて生きていました。そう、多重人格なわたしだったのです。

そんな多重人格の私は、自分を大切にしていないうえ自分の心のキャパシティもわからずいつの間にか、心の水が溢れていました。

家族ひとりひとりの病気が落ちつた頃には私が『うつ病』になってしまい、本当に本に書いたような人生の転落を経験した20代前半だったのです。

『 人と会いたくない。』

『 人生失敗だらけ。
自分なんて何も役に立たない 』

そう、無価値観を人生で
はじめて深くまで感じました。



あんなに薬を飲まない体つくりを学んでいたのに自分が精神病の薬を飲んでしまうという、本末転倒の出来事に陥ってしまいました。

でも、この出来事が私にとって転機だったのです。そこから生まれて初めて自分の人生を大切にする時間ができ、人・コト・出来事にも恵まれ出会い結婚し、母になることができました。

お宮参り

今は、家族で仲良く娘も元気に育っていることにすごく有り難く幸せを感じていますが正直、、、心の奥底には恐れ・不安・トラウマを抱えています。

それは、これまで親の価値観・世間の常識で形成されてきた私のインナーチャイルド。これが私のメイン人格としていつも心の中にいます。


『 本当に心から向き合って
子育てできているか? 』

『 過去に経験した本当に私は
この子の母親としてこの子が幸せに
生きていけるように育てることができるのか?』


私が親元を離れひとりで子育てしたいと選んだ理由も、これまでの親の価値観のように育てたくないとおもったのも一つあります。でも初めての子育て、簡単なことばかりではありませんでした。

娘のアトピーをきっかけに色んな自分が溢れ出したのを思い出します。

薬に頼らない治療をしたかったのも『幼少期のころから些細なことで過剰に心配され、薬や病院漬けだったのがすごく嫌だった』そんな過去の記憶があったからです。

結果的に娘のアトピーは、薬に頼らなくても完治することができました。


『親に育てられたように育てたくない』
『薬や病院にへんに頼って育てたくない』

その偏った自分の価値観が娘を産んでからも今日まで私の心を苦しめていました。

向き合っていくと覚悟を決めたからこそ(こうやってアウトプットすると走馬灯のように記憶が蘇ってきます)その感情が露わになっています。


他にも、ありのままの気持ちを表すと


『 何事も、結果や権力が
ものを言うという価値観 』

結果を出せない自分が嫌いで、
自分が得意としてることで
注目を集め評価してもらおうとしていた。


『 問題があったときや機嫌をとる時
なんでもお金で解決されていた 』

人からお金をいただくことが怖かった。
お金に対しての考え方が捻くれていた。

私のメイン人格(インナーチャイルド)は、いつも私の心の中心にいるかのように今もまだ見え隠れしています。

不思議なものでこれまでの価値観を否定しようとすればするほど、昔の感情が蘇ってくる感覚。

でも、どの自分も受け入れる覚悟ができたその時から、これまでの自分の感覚とは変わってきたのです。見る世界が変わった感じ、とても不思議なものです。



どうやってその過去と向き合っていく?

それは、一言で表すとこれまでの自分を全てありのままを受け入れること

あの辛い体験があったから、今があり未来がある。ネガティブもポジティブの感情も楽しい・辛い過去の体験も受け入れる。

そして、いま学んでいる脳科学・心理学・量子力学からみた心のメカニズムを理解し自分の感覚におとし、行動に移していく。

自己受容・自己一致・引き寄せの法則の本質も学んでいますが、無料範囲ではお伝えすることができません。

ですが、読んでくださる方にもイメージができるようなnoteにしていきたいと思っています。それが自分のアウトプットのnoteでもあるからです。



そんな私が、これから目指す新しい自分の価値観

過去・今・未来どんなことにも振り回されず、どの世界も受け入れることができ、自分・家族・周りの人を無条件で愛することができる。

自分がその時々で、叶えたい夢に対して叶えられる意識を持ち続けることができる。

子育て・家事・やりたいこと・仕事を心から楽しむ。そして、そのエネルギーを自分の子供・旦那さん・周りの人たちにも気持ちよく伝え、自分の人生を心から楽しめる確信力を伝えることができる自分でありたい。そう想います。

これまでお話ししてきたインナーチャイルドを癒し、どんな人格も愛し魂レベルで願っていた、真の幸せを実現していきたいと思っています。


最後に、わたしの近い将来の夢

ここで、最後に自分の近い将来の夢を描いて最後にしたいと想います♡

・家族で自分たちが住む古民家をDIYをして、心からリラックスできる空間を創り上げる。

・人と接する、話すことがスキだからその能力を在宅ワークで仕事をして、旦那さんと一緒に家計を支えていきたい。

・旦那さんがやりたいことを1つ2つでも叶えさせてあげたい(今仕事が忙しくてプライベートの時間がなかなか無い)

・移住先の十勝で、ママをありのままの姿に還ることができるコミュニティを創っていく。

・トラウマだった育ててくれた家族に対して心から感謝し、共通の夢を叶える一歩を踏み出す(母親のお店を父と立ち上げマネージメントしていく)


でも、違う方向にいったとしてもそれも楽しむ人生を創っていきます♪

以上、長々と失礼いたしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました♫






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