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母がドクターヘリで運ばれて気づいた「家族っていうよりも仲間だ」ってこと〜前編〜

4, 5年ぶりの道北の街でブランコに揺られてたら、雨が降ってきた。ICUの家族控室は混み混みだったから、折りたたみ傘を出すしかなかった。傘を差しながらブランコに乗れるって知らなかった。案外快適。でもやっぱり落ち着かなくなり早くこの時間が終わってほしくなって、病院の周りをうろうろ歩いた。

父から電話があったのは日曜日のお昼だった。小さくて心許ない第一声でただ事ではないとすぐにわかった。「お母さんが病院に運ばれて、どうなるかわからない。ひとまず家で待機してほしい」「重大な病気みたいだから、◯市に運ばれるかもしれない」と言われたら、今にも泣き出しそうな声でうん、わかったと言うしかない。

電話が切れてすぐ、LINEのトーク画面をスクロールした。元医療従事者の親友。たまにしか連絡しないけど、繋がるだろうか。すぐに返信があった。「できるだけ早く◯市に行った方がいいよ」◯市まで行くってどうやって?バスの本数少ないな……ああそうだった、JRがあった。

親戚に連絡し、慌てて荷物を詰めていたら、再び父から連絡があった。これからドクターヘリで◯市立病院まで運ばれる。お父さんは一緒に乗れないから車で追いかける、と。

父のいる地元の△町から◯市まで、車でも2時間以上かかる。私はバスと電車。今から行っても着くのは夜。ちゃんと間に合うかな?あれ、でも間に合うって何に?手術前に?意識があるうちに?それとも。

△町診療所の出張医がちゃんとしたお医者さんだったことも、ドクターヘリが飛べる天気と季節だったことも、そもそも父が留守じゃなかったことも全てが幸運だった。私がバスにすぐに乗れたことも、乗り継ぎの時間がちょうど良かったことも。みどりの窓口の人、レンタル充電を教えてくれたヨドバシの店員、「東急百貨店はどちらですか」と聞いてきたご婦人さえも優しく感じられる、曖昧で重大な時間だった。

特急に揺られながら、Aさんの言葉を思い出した。「奥さん、我慢するんじゃないよ」家族でお世話になっているこの方は、早くに旦那さんを亡くした。今年、新年の挨拶で行った時、しきりに母の体調を気遣っていた。近所の方が病気をギリギリまで我慢して亡くなったらしく、何度も何度もしつこいくらい(てか同じ話しすぎて認知症の初期症状じゃないかってくらい)、繰り返し我慢するんじゃないよと言っていた。

霊感があって勘の鋭い女性の言葉は決して鵜呑みしてはいけないーーなんて、今さら気づいてもなぁ。車窓はだんだんと懐かしい風景に落ち着いていくのに、私の心だけはせかせか目まぐるしく回っていた。

◯市の駅で父と弟と合流し、そのまま弟が予約してくれたホテルに向かった。1人で泊まり、翌朝早く病院に行って検査結果と治療方針を聞くーーこれが彼らから任された私のミッション。腹が減ってはなんとか……というわけで、ホテルのレストランで食事をした。私たち以外客はいない。何かを喋ってないと落ち着かないという感じの父の声が、座敷の中に響く。

「『Aさん(の旦那さん)も60代で亡くなったんだもんね、60代気をつけなきゃなんないね』って朝、お母さんと話してたんだわ」私も電車乗りながらAさん思い出してた。くどいくらい我慢するんじゃないよって言ってたしょ。そうだ、そうだったと納得する2人。珍しいことに父はカツ丼のご飯をがっつり残していたし、弟は好物の肉系じゃなくてオムライスを頼んでいた。私はというと、しっかり盛られた豚丼が美味しくてもったいなくて、部屋に持って帰って食べた。翌朝は、大事な翌朝だから。

〜後編に続く〜




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