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責任感が欲しいお年頃

「来週の先輩の結婚式のドレス、どんなのにした?」

ピコン、と聞き覚えのあるラインの通知音は大学時代の仲良し4人のグループが動いたことの証だった。まだ買ってないやばい、と他のメンバーから返信が来ている通知が画面上から降りてきたのを横目に、わたしは携帯電話を手放した。

あっ、今人生が動いてるな、と感じる時がある。普段はぐっすりと眠っている人生は、ある日突如蛇のように動き出す。

4月に入って、わたしの蛇はうねうねと活動を始めた。上司の出産祝いだの、友達の婚約だの、おめでたいニュースが立て続くたびに自分の蛇の進む方向がわからなくなる。でも、蛇は確実に進んでいる。わたしの手を離れて、ひとり勝手に。


「すなはさ、今の彼氏と結婚考えてるの?」

あはは、結婚できるといいよね、と適当にはぐらかして相手の話題にすり替える。女子会は聞き手に徹するべし。聞かれたことは相手が聞いて欲しいこと。それくらいもう分かる、大人だもの。


いつか誰かと結婚はしたい。付き合っている人もいる。彼のことが好きだし、彼に不満もない。でも、今の彼と結婚したいかと聞かれるとわからない。ほんとうに、「わからない」という言葉がしっくりくる。彼と今の「彼氏彼女としての」生活を続けていくことはイメージできるのに、その先を考えようとすると靄がかかる。結婚をして、籍を入れて。子供を産んで、育てることもあるかもしれない。でも、そういう自分が、なんというか想像できない。どうしても、他人の人生みたいに思えてしまうのだ。


当事者意識のなさを、文章から見透かされたことがある。言い換えるなら、責任感のなさ。ライター生命のためにひとこと言わせてもらうなら、もちろん頂いた仕事は全力で行いますが(笑)そういうことではなくて、わたしは自分の人生に対しての責任、他人の人生を背負うことへの覚悟が、薄い。


昔飼っていたハムスターを死なせてしまったことがある。世話を一生懸命して、可愛がっていたけれど、3ヶ月ちょっとで死んでしまった。


わたしのハムスターはとにかく丸々と太っていて、ちょっと小さなモルモット、といったほうが納得できるくらいだった。死因は明確にはわからないけれど、とにかく一日中餌をあげていて、時にはハムスターが食べてはいけないような人間の食べ物も与えていた。「欲しそうな顔」をされるとあげてしまう。だからもう、動物は飼えない。小さな命の最善を考えて、責任を持ってあげられないから。


人に対してであれば、「怒れない」ことが近い例だ。だって、怒るのは疲れるから。その人の過ちを正してあげて、尚且つ嫌な顔されるのも嫌だし。仮にそれが後輩だとしたら、ほんとうは注意したり怒ってあげるのがその人のためかもしれないけれど、わたしがやることじゃない。その場でニコニコして、適当に流すのが得策だと思っている。そういうところが、わたしにはある。


今はLINEもTwitterもインスタも、自分の言葉を簡単になかったことにできる。だからこそ、人に対して平気で中傷できるような想像力のない悲しい人たちが、刃を振り回している姿を目にするわけで。言葉を消せる世界、令和。元恋人との写真をアーカイブしている友人を見ると、その恋人との切り抜いた時間を人差し指一本でなかったことにできるなんて、恐ろしい時代が来たものだと感じたりもする。でもそれは、ときにわたしたちを救い、忘却によって次の時間へと背中を押してくれることもあるから、一概に悪いとも言えない。これは表現への責任。



「いつまでも学生気分でいたらダメじゃない」


誰かがどこかで今日も繰り返した台詞。学生気分の何がダメなんだろう。わたしはいつまでも学生の気分でいたい。わがままかもしれないけれど、世間知らずかもしれないけれど、今が良ければそれでよくて、だって先のことなんて誰にもわからないから。さっき食べた餃子の王将の天津飯セットが最後の晩餐になるかもしれない、だから明日は別のものを食べられるように、今、頑張るんじゃん。それだけでいいんじゃないかな。人生の中でいちばんの山場がどこなのか、死ぬ間際にならないとわからないのってバグじゃない?でも「今が人生で一番楽しい時間です」って宣告されちゃったら、そのあと生きるのが辛くなっちゃうか。


責任は重い。そしてたぶん、わたしは責任がどうしようもなく怖い。





2021.04.02

すなくじら




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