見出し画像

わたしが黒い服しか着なくなった理由

「多分、冷静に見れば、痣のある私の顔と、Vivienneのお洋服は不釣り合いだったのかもしれません。しかし不釣り合いでも、人から罵詈雑言を浴びせられようが、私はもう平気でした。Vivienneのお洋服が私を守ってくれるのです。私はこの服を着る為に生まれてきたのです。世間の人が大笑いしようと、私はこの服を着なければならないのです。」

上の文章は、前回の日記にも載せた、嶽本野ばらさんの「ミシン」より「世界の終わりという名の雑貨店」から引用をしたものだ。この文章を読んだとき、わたしは言葉を失った。あまりにわたしの服に対する意識にピッタリと寄り添い過ぎた言葉で、もうこれ以上なにも言う必要すらなくなってしまったからだ。



わたしは、いわゆるモード系ファッションがとてつもなく好きだ。クローゼットを開ければ、黒、黒、黒。白いブラウスや花柄をあしらったデザインのものはあれど、ほぼ、黒一色の世界。お母さんには喪服なんか?と笑われていたし、友達にも「個性的(笑)」のレッテルを貼られている。メイクもかなり濃い方だと思うし、マスカラで縁取られた睫毛は白。それでも好きなんだ、モードの世界が。


わたしは特別、お洒落なわけではない。もともとは年相応の女の子が読むファッション雑誌を読んで、ルミネやマルイでなんとなく流行りだったり当時の彼氏が好きそうな服を買っていた。



そんなわたしを変えたのは、balmungというブランドの1着のパーカーだった。着画モデルで有名なのは、元・ゆるめるモ!のあのちゃん。


わたしはこのパーカーを着ていれば最強だった。


balmungのこのパーカーは、推しメンである地下アイドルのねうちゃんも私服で着ていた。それを見て、わたしは必死に探したのだ、このパーカーを。そして、中野ブロードウェイの中の、6畳もなさそうな小さなお店で、5人の諭吉と引き換えに買った。試着をしてみて即決したけれど、試着をする前から買うと決めていた。そう、わたしはこの格好で、初めて推しメンに逢いに行くことにしたのだ(下記のワンマンはまた別の話)。



ライブにいく服装をSNSで写真を投稿したら、なんと推しメンからいいねが来ていた。はじめての特典会でろくに声もだせないわたしに、推しメンはわたしの名前を呼んだ。初対面なのに、どうしてわたしの名前を知っているのと聞いたら、彼女はわたしのパーカーを引っ張ってニコニコしていた。5人の諭吉が報われた瞬間だった。


シルエットも、色もかなり独特で大学を歩いていてもかなり浮いた。プリクラなんかみんなでとった日には、わたしだけ常にライブ帰りみたいだったし、教授に、今日宇宙服みたいなの来てるね~とか言われたこともあったけれど、そんなことはどうでもよかった。推しメンとわたしだけの秘密。わたしの存在を推しメンに届けてくれた、パーカー。


その辺りから、元々好きだったモード系ファッションにもずぶずぶとはまりだした。それこそ、garçonやyohjiを中心とした、変形のズルズルとした丈の長い黒い布を纏って生活している。男の子受けは、正直悪い。めちゃくちゃに悪い。


しかし、すごいこともたくさん起こった。

一般にウケが悪いということは、イコールで、ハマる人には、とことんハマるのだ。

服をきっかけに声をかけられて、友達ができた。ちょっとエッジの効いたタイプの、ファッションスナップに声を掛けられるようになった。今までゆるふわなニットを着ていた時には、絶対に起こり得なかったことだったから、心底驚いたけれど、ものに拘ったり、ルールを作って選ぶ、ということは、同じ様な人を引きつけることもまた、事実なのである。

こうして、今日もまた、黒いお洋服を身に纏い、アンティークのアクセサリーをつけ、街を歩く。これがわたしの武装であり、わたしの考えうる、魂の最も美しい入れ物なのだから。




2021.01.22

すなくじら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?