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怪談おじさん体験談、独学で書いた論文が知らんまに大学入試問題に使われていた話


最初にお詫びしなければならないことがあります。

件の試験を受けられた皆様。
私の未来を見通す目の無さゆえに、入試に使われる可能性を全く想像せず、あなたたちのお気持ちを想像することなく、文中で「浪人の荻原新三郎」と連呼してしまいました。深くお詫び申し上げますとともに、次に入試利用される文章執筆の際はいっそうの注意をお約束いたします。

これは、ほぼ独学で書いた論文が、知らん間に大学入試で使われた素人のおじさんの話であります。
ちょっと珍しい経験だったので、今後同様の経験をする、あるいはしたい人のためにもメモを共有しておこうと思います。 

そして、ろくに実績もない、よくわからん立場の人間である私の文章を発見した出題者さんのアンテナと、じゃあこれでいこうと決断した同志社大学さんの器のデカさに敬意と感謝を表します。
入試問題に使われたということは、大学教員から見ても文章的に問題がなく、受験生に読ませてみたいくらいにはまあまあ面白いと判断されたわけです。多分。大変に名誉なことです。

1 なにが起きたか

2021年度同志社大学文学部入学試験の論説文問題に拙文「カランコロン考」を利用していただきました。超びっくり。どういうこと!? これが沖縄だったらマブイが落ちて拾いにいかなきゃいけないくらいびっくりです。
問題文はこちら。

2 時系列

2月6日。同志社大学の入学試験が実施されました。この時点ではまだ何も知りません。

2月20日早朝。「ぶんぽうさん」のツイートのことを教えられます。見てみれば、なにやら同志社大学入試の国語問題に使われた?みたい? この時点でまだ寝ぼけています。夢と現実の境界が曖昧です。
ほんまかいなとソースを探してみたところ、読売新聞や各有名予備校WEBサイトに問題文と解答例が載っており、どうやら狸か何かに化かされたわけでもないようで……特に開成では「面白くて読んじゃって時間配分に失敗するパターン」とまでいってくれています。
なんじゃこれは!?
入試利用なので当然事前連絡はなく、まさに寝耳に水でした。
とりあえず師匠堤邦彦と「カランコロン考」を掲載いただいた論集『この世のキワ』編者の山中先生に連絡し、驚かれます。
どうやら本当っぽいのでとりあえずツイートしてみて、出版社に報告と今後どうなるんじゃろとメール。

2月26日。同志社大学入試課さんから問題冊子を送っていただき、ようやく現実だったんだと実感します。
私、江戸怪談研究者の堤邦彦に憧れて、一芸入試で大学に入ったんですね。ですから人生で初めて触れた入試問題用紙に、自分の文章が書かれていたことになります。

3 貴様は?

好きなものは妖怪と怪談と民間信仰で、苦手なモノは自己紹介です。
で、素人なんですね。学術研究機関に属していたことはなく研究者番号もとっていません。なんか妖怪とかの業界の片隅で、よく知らんけど気づいたら学会や飲み会に紛れ込んでいる人。それが私。

江戸怪談研究者の堤邦彦が主催する「百物語の館」(カランコロン考はこの活動から大いにフィードバックを受けた、興行と研究の融合の結果です)に参加したり、フィールドワークの沼にひとりでも引きずりこみたいあまり、同人誌『現代「ますように」考』(2019年)を発行したりしています。

そんな感じでのんびりと在野で活動していたところ雑誌『怪と幽』(5号 2020年  KADOKAWA)にて特集「次代の探求者たち」に呼んでいただいたりもしています。
今、独学が流行っているようで実にいいことだと思うのですが、自分の場合、独学といえば独学だけど、怪談文芸研究会や寺社縁起研究会をはじめ東アジア恠異学会などいろんな学術研究会に積極的に顔を出していたので、厳密には独学といえないかもしれません。いえるかもしれません。

4 どういう文章なの

「カランコロン考」は2019年国立民族学博物館博物館で開催され話題となった特別展「驚異と怪異――想像界の生きものたち」の公式副読本『この世のキワ』に収録されています。なにゆえ私のような半素人(半魚人みたい)が歴史あるアジア遊学シリーズのこの本に紛れ込んでいるのでしょう。未だに自分でもよくわかりません。

そもそものはじまりは2015年、山中由里子先生がはじめた共同研究会「驚異と怪異――想像界の比較研究」の聴講に誘われたことでした。
中東、アジア、ヨーロッパをフィールドとする様々な分野の研究者が越境し集まった、さながらなんでもありのランチバイキングのような研究会は、異界異境をめぐる人間の心理と想像力の動き、視覚的に表現された妖怪やモンスターや精霊などと共に、それを生み出すに至る「体験」や「感覚」にも興味を向けていきます。その中で「音」あるいは聴覚の検討も行われました。

私は正規の共同研究メンバーではなく、末席で発表を聞かせていただいたり、一言二言話したりするくらいの立ち位置でした。が、怪談の話ができる人があまりいなかった(妖怪の話をできる人はそれはもう歴戦の猛者が揃っていましたが)ため、「じゃあ怪談と擬音の話をしてよ」と白羽の矢が立ちます。

これはなかなかの無茶ぶりでした。研究会には名だたる先生方ばかりだし、私は言語学に詳しいわけでもなく、何よりオノマトペは論理的に扱いにくく、苦労しながら準備し、三遊亭圓朝の「怪談牡丹灯籠」を素材に絞ることでなんとかそれらしくまとめ、発表と論文執筆に至ります。それがこのたび入試に利用された「カランコロン考」でした。
様々な学問と地域を越境し、この世のキワをめぐる想像力を問う研究会から生まれた、越境する下駄の足音を語る「カランコロン考」は、大学入試という思わぬ形で、石を投げれば顔見知りがいるような業界めいた領域から越境していったのでした。

2021年度大学入学共通テストで『江戸の妖怪革命』が使われ話題となった香川雅信さんも「驚異と怪異」共同研究メンバーであり、私も学生の頃発売されたばかりの妖怪革命を読んで、衝撃と影響を受けた憧れの人です。
香川さんは神戸新聞のインタビューで「若気の至りで書いた文章、私自身は解くどころか、まだ客観的に問題文を読めてもいない」とおっしゃっていましたが、約一ヶ月、似たような事態が自分にも降りかかるとは予想だにしませんでした。
今年の同志社大学受験生のなかには、共通テストで香川さんの「妖怪革命」に触れ、大学入試では私の「カランコロン考」に触れる珍妙な経験をされた人もいるんですよね。なんなんでしょうねこの時代は。

5 入試に使われると何が起きるか

では入試に使われるとどういったことが起きるのかを挙げてみましょう。

・お祝いの言葉と共に「自分で解いてみた?」って高確率で聞かれるようになるよ!
先に解いておきましょう。いやあ、昔の自分の文章に向き合う、なかなかの苦行を負うことになりますが、読んでみると未熟さにきゃーとなるも意外とおもろいこと書いてるなこいつ……と思ったりしました。

なお自分で解答してみると、選択問題はまあ易しく全問正解できるのですが(金字塔がわからなかったと呟いていた受験生は頑張れ)、問題は記述問題。著者がどう考えてるか40字で要約せよってやつ。
これ、ぶっちゃけ文中から適当に抜き出してギュッとすれば大体正解になると思うのですが、著者に対してのみ非常に難問です。そんなスパッと言えないから、こうして2万字もフラフラとさまよいながら書いたのです。まあ40字で書いて提出したら多分原稿料がもらえないからでもありますが。

・自分より頭のいい出題者や塾の先生、受験生に自分の文章を要約してもらえるよ!
解答速報をみると解答例や押さえるべきポイントなどが書かれています。
へー私こういうこと言いたかったんだーとタダで教えてもらえるわけです。お得。

・設問から文章抽出のテクニックを学べるよ!
文章を書いた私とは全く別の人の視点から文章を抽出してもらうと、なるほどここを切り出せば、ある程度オノマトペの話をしつつ、源氏物語、江戸怪談、落語、ラフカディオ・ハーン、学校の怪談と、時代を横断する絵図が描けるんだと具体的にわかり勉強になります。自分の文章を客観的に見てもらい、修正してもらったり感想をもらったりするのとは別に、非常に冷徹な目線のもと、文章解体される経験はなかなかマゾヒスティックな快楽があります。そして倒錯した快楽には学びがあります。

・テキストの仮想ターゲットが明確になるよ!
一番大きな収穫はこれでしょう。入試に使われたということは、内容や文章がその受験生向けに「ちょうどいい」過不足ないもので、問題も作りやすいと判断されたと思われます。ちょっとマーケティングを知る人ならより詳細なターゲティングの重要性はいうまでもないでしょう。

私も文章を書くうえで、それなりにターゲットは意識して、大体20代後半から40代男女。大学卒業後も好奇心を持っているタイプ。旅行好き。オタク寄り。専門用語は聞いたことはあるけど詳しくは知らない。くらいの像をぼんやりとイメージしていたのですが、今回、同志社大学文学部志望するくらいの受験生、10代から20代。専門的に学ぶ前……など新しいターゲット層が具体的に見えてきました。

・参考書や問題集に載るよ!
一ヶ月ほど経過して、過去問題集を出しているいくつかの出版社から、利用させてねとご連絡いただきました。
入試利用は学術利用と同様で利用料などは発生しません。大学や研究機関に所属していない私の場合、『この世のキワ』版元の勉誠出版さんや、問題文中にも登場する「百物語の館」を通して連絡いただいたりしました。
それぞれ問題集の定価、部数、総ページに対しての使用ページ数、印税率から算出した使用料がいただけるようです。
問題集利用と併せてオンラインサービスでの利用申請がくるケースもありました。この場合、問題集とオンライン利用は別契約となり、年間掲載料X年分となるようです。

かくして向こう数年、大学受験勉強したことないおじさんの文章が載った問題集が書店に出回ることになります。


・ターゲティング広告に塾とか予備校ばかり出るようになるよ!
違うそっちの立場じゃない。
はい。ググるからですね。
だって自分が入試に使われるとか信じられないじゃん。普段エゴサなんて絶対しないけど、回答例とか受験生の当日の反応とか探したくなっちゃうんですね。全く思ってなかった影響でした。

6 なんで選ばれたんだろう

まあ運です。
ただ、いつか入試に使われるものを書きたい人のために、ちょっと断片的な要素を散らかしておこうと思います。
元国語塾講師で現役教師の研究仲間に問題を見せたところ、「複数の時代の文献を具体的に挙げている事」「論証過程が明確な事」あたりが問題の作りやすさに繋がったんだろうと意見をいただきました。
あとは文章のキャッチーさですね。それなりにマニアックな内容をなるべく噛み砕いて、とっつきやすいように味付けして。

キャッチーさは自分でも常に意識してきました。
研究会内で私が一番の素人ですから、学問と先学への誠実さは保ちつつ、無理にプロ(研究会に参加していた人たちは私が畏れる業界のプロの皆様です)のモノマネをしようとせず、自分にできる範囲で、かつとっつきやすいものにしようと論文も発表も工夫しました。中身の質や学問的新規性はともかく、一番笑いをとり盛り上がる発表になったとこっそり自負しております。

実は最初もっと真面目にやろうとしたのですが、一通り書いてから、もっと普段話している軽口を叩くような文章がいいとアドバイスされ、素人が半端にそれっぽい顔して上っ面だけ玄人の真似するよりもいいだろうと考え直し、文章の内容はそのままで語り口や構造を工夫し直しました。

初期民俗学があれだけ裾野を広げたのは、当時産声を上げたばかりのフレッシュな生命力や、近代化のなか過去が失われていく危機感が社会的に共有可能だったことなどの他に、学祖である柳田の文章の「エッセイ力」が寄与していたと思っています。

現在、柳田の妖怪関係の論考はツッコミが入れられるようになって久しいのですが、思いつくままのマジカルバナナを繰り返し、とっつきやすい筆致で語る彼のエッセイテクニックそのものを功罪両面から再評価しうるのではないでしょうか。

最後に

ただし、警戒しなければならないことがあります。
現代は、さっと消費できてわかりやすく面白いことばにこそ注意しなければならない時代です。

キャッチーでさえあればいいというものではありません。特に学術タームを面白さわかりやすさで迷彩する類のことばには要注意です。
これらのことばはまず読む人の「こいつこれからなんか難しいことを言いよるぞ」という身構えの解除を試みるところからはじめます。たとえば文章冒頭で「浪人」を使ったことに陳謝をして一笑いとろうと企むような文章のことですね。

半端者の私よりも、さらに巧みでさらに悪いことばを使いこなせる人がどこかにいます。そうしたことばのなかでは、検証議論研究熟考を経た思考と、その場限りで流れていく思考が等価値化されてしまいます。
面白さとともに思考停止をさせることばにはより強く警戒すべきでしょう。


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