見出し画像

猫がかえってきますように (『現代「ますように」考』サンプル)

このテキストは2019年発行の同人誌『現代「ますように」考』からの抜粋です。全文はこちら。
告知
『現代「ますように」考2 逆襲のアマビエ』発売しました。
https://sunaaji.booth.pm/items/3821791

序文 「ますように」から見える神との距離感

多くの人がそうであるように私も年間50回くらいは神社にいきます。
だいたいの神社には絵馬が奉納されています。書かれていることを読むと非常に楽しいのですが、そこには共通して「○○しますように」などと書かれています。


考えてみれば「ますように」という語彙は、現代ではなにかにお祈りするときと、スピーチとほんわかしたポップスの歌詞くらいでしか使われていないようです。バチをあててください、金持ちにしてくださいなど、直接的にお願いしている絵馬もありますが、「ますように」というのはなんだかそれよりも一歩引いていて、別に神仏の存在なんて確信していないけども、それでも叶うと嬉しいな、くらいの距離感があるようです。


現代日本人の宗教観というのはもちろん一神教世界のそれとはまったく違うものであるし、かといって多神教的な観念ともすでにかけ離れています。この手の話は信仰と宗教と信心を同じお皿に乗せて行なわれてしまうことしばしばで、まずそこをひとつひとつ切り分けて考えるべきなのですが、日本人の信仰らしきものは捉えにくく、はっきりとした形が見えにくい。しかし、この社会に宗教性がまったく無いかというと決してそんなことはないようです。一皮剥けば、大都会の足元でもなにかしらの「ますように」が見つけられます。


あえて断言してしまうと、捉えにくい日本人の神様や見えざる世界への距離感というものが「ますように」という特殊語彙にあらわれています。
絵馬のなかには「再就職できるまで禁煙します」、「男断ちをお約束します、ただし三年の事」など、契約を表明する、「○○します絵馬」が存在しているけれど(どちらも実際にありました)、「ますように」となると話が変わってきます。


現代で「ますように」を使う場面はいずれも、面と向かった具体的相手を伴っていません。つまり対個人で使う言葉ではないのです。神や自然、この場にいない人、あるいは未来など不特定な対象にむけて、受動的な態度で、お願い、というかこうなったらいいなくらいの気持ちで言っているようです。


今回、第一章で紹介する「猫戻しのまじない」をきっかけに、日本国内の民俗を訪ねて歩いた中でみつけた「ますように」を集めてみました。そこには祈願の多様性や、その深刻度の浅深、信仰の濃淡、そして何よりも、こんな世界がまだ生き残っていたのかという驚きがあります。
基本的にこの本では現在も現場にいけば見られる、現在進行形のものを取り扱うことにしました。いわばこれは民間信仰の生存報告書でもあり、旅のガイドブックでもあるのです。
では、皆さんの旅が土着の忘れられかけた世界と出会う驚きに満ちたものでありますように。



第一章 猫が帰ってきますように

呪歌「まつとしきかば」

画像1

(採集地 長野県JR上諏訪駅前のファミリーマート)

民間信仰といったものがどんどん消え、目に見えにくくなっていくように、昔からある自然現象もまた気候の変化でみる機会が減っていきます。長野県諏訪湖の全面凍結と、それがまっすぐに割れる「御神渡り」も今後起こる機会が少ないだろうと思いたち見物にいったときのことでした。
上諏訪駅前のファミリーマートのガラスに迷い猫のチラシを見つけました。思わず「生きとったんかワレ!」と言ったのは、その下に「まつとしきかばいまかえりこむ」と書かれた紙が貼られていたためです。興奮して写真を撮る私を地元の高校生がいぶかしげな顔で見ていました。
 
たちわかれ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今かえりこむ


百人一首にも収録されている中納言行平の歌で、もとは『古今和歌集』です。百人一首は有名ではあるけど、どうも奇妙なもので、ベストセレクションアルバムにしてはへたな歌も多いのですが、そんな中でこの歌は、掛詞が見事で口に出すとリズムが良い。
「居なば山」のキーワードのためか、この歌がいつの頃からか、人や迷い猫を探すまじないソングとなりました。


和歌には特別な霊的な力が宿るとされます。宮城県仙台市福沢町に、夜遊びをしかられて家出した女が野宿をし「風も吹き 雨の降るをも いとはねど 今宵ばかりは露無しの里」と詠んで以降、集落には夜露が降りなくなったという話があります。(『宮城県史民俗三』一九五六年)


江戸時代の滝沢馬琴の随筆『燕石雑志』には、天智天皇の時代、紀朝雄という人が詠んだ「草も木も 我おおきみの国なれば いづくか鬼の栖なるべき」という鬼を払った歌が紹介されています。菅原道真に由来する、河童避けの「ひょうすえよ 約束せしを忘るなよ 川たち男 氏はすがはら」なども有名であります。こうした和歌の呪術的作用ばかりを集めた説話集に、和歌奇妙談・和歌威徳談などと呼ばれるジャンルがあります。


さて、いなばの山に話を戻すと、猫は姿を消すと山にいくといわれています。猫が集まるとされる山は日本各地にあり、そこに人間が迷いこむ昔話もあります。有名なところだと鳥取県鳥取市の稲葉山、マイナーなものであれば、京都府宇治市と滋賀県大津市の境界にあたる山にも猫の山の話が残っています。
 


「まつとしきかば」は内田百間『ノラや』にも登場することで有名です。
かわいがっていた猫のノラが雨の日、外にいったまま行方知れずになり、百間先生それはもう狼狽し、ほうぼうに手を回し、ビラを配り、雑誌を通して読者にノラの目撃情報を求め、そして雨が降るたび、ノラのことを思い出して泣いたり、ノラが好んで食べていた寿司を見て思い出して泣いたり、ノラが風呂の蓋に居座っていたことを思い出して悲しくなり風呂に入れなくなったりします。このおっさんかわいいなあ。


『ノラや』内で確認できるだけで、三、四種類の迷い猫探しのチラシが(大使館に迷い込んだ可能性を考え英語バージョンまである)あり百間必死この上ないのですが、そのチラシのひとつに「まつとしきかば」の歌がレイアウトされています。この本をきっかけに「まつとしきかば」を知った人も少なくないでしょう。


先般、諏訪で「まつとしきかば」を発見しツイートしたところ、4000件ほどのリツイートとともに、いくつか、猫を飼っている人からの情報も集まってきました。いわく、この歌を使いうちの猫の帰還率は100%、猫を探すとき、この歌を書いて餌の皿の下に置いた、カリカリの器に入れたけど効かなかったなど、今も一部の猫好きの人たちの中にこの呪いは生きていたのでした。
そして、このようないなくなった者を探したり、去った者に働きかける「ますように」はどうもまだ日本各地に生き残っているようなのです。
一年後、諏訪に再訪し、このファミリーマートに立ち寄ったところ、猫を探すチラシはなくなっていました。はたして呪歌の効果はあったのかなかったのか……。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?