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自分の人生って!


私の人生について、少し語ろうと思います。


私は、ど田舎で生まれ育った両親が、親の反対を押し切って結婚した長女として生まれた。妹は二人。

本家の跡取りとして、墓守や後継をしていく者と小さい頃から言われていた。先祖代々格式がある家柄でもないのに、貧乏な家系を引き継いでどうする?そんな時代でもない!と、小学校のことから、その価値観が私と合わなかった。
この考えは、両親、祖父母と全員から口々に、本家の長女の私に攻撃してきた。

私の味方は誰もいない。

私は、物分かりがよく賢くしっかりしていたため、妹たちはよく比較されていた。逆に、私は、妹たちが自分の希望が通ることが羨ましかった。
妹たちには甘く、私にだけ厳しい。家族中全員の期待や価値観を押し付けられていた。

私は、威圧的な態度や言葉に、体が凍りつくようになっていた。
自分の意見や気持ちを言うことも怖くて、とても勇気のいることだった。
意を決して言っても、否定されたり、馬鹿にされたり、気持ちを理解してもらえることなどなかった。

あなたはしっかりしている。放っておいても大丈夫。一人で何でもできる。
母の口から語られる言葉だった。

親を当てにしなくなったのは、小学校高学年から。本気で縁を切りたいと思ったのは高校生だ。
そう思った高校の時に、社会へ出ようとした時に、自分にその力が育っていないと悟り衝撃を受けた。ならば、それを利用して、甘えられなかった分を自分に責任を持たずにそのままでいようと、モラトリアムに入っていった。

自分を持てず、親のレールが正しいことのように育てられ、いざ自分を生きようとしたときに、自分自身として生きていく力が育っていなかった。
そこで、自分が母と同じ依存体質になっていることに不安を覚えた。

かろうじて、高校から大学までは、自分で自分を生きようとした。思っている以上に、自分の理想と自分が挑戦しようと思う力の差の現実が違っていたので、その葛藤を感じながらも、強がったり、見ないようにしたりしていたと思う。

自分の人生を取り戻したいのに、自分が自分でいる自信がない。
親のようになりたくないのに、親のような側面を感じる不安。
体を休める安心できる居場所はなく、自分を雑に扱っていった。

その頃、父の不在が、長期になっていった。
出張へ出ると、いつ帰ってくるかわからない。
連絡もない。
私が唯一、頼りにしているのは父だけだったのに、
父は、「行かないで」と泣いて縋る私を振り払い、家を出た。
それが、父との最後の別れだ。

そのあとの私は、母や祖母、荒れる妹たち、家族をまとめてケアをした。
休みなく、自分の感情に目を向けることもできずに、家族のためだけに動いた。
その反動もあって、自分をさらに自暴自棄にさせ、自分を痛めつけることが、自分を感じられることのような、そのもっと感じたくない痛みを感じないでいられるような、そんな状態の感覚だった。

かといって、自分の人生を棒に振るような馬鹿なことはしない。
先を読め、物事を見極める力もあると自負がある、賢くてよかったと苦笑いを浮かべていた。

こんな境遇で、結婚をすることも諦めていた。
でも自分の人生を歩むことを、幼い時から強く願い、親から離れたいとずっと思っていた。自分の血から逃れたい。その気持ちが強かった。

結婚ができて、本当に良かったと思う。
半分は純粋に、半分は血筋から逃れたい。
やっと、解放され、自分の道を歩めると思った。

母も落ち着いていて、初めは良い感じだった
平和な暮らしが何年かできた。

ところが、
突然、蒸発した父が亡くなったという連絡が舞い込んだ。
父の連絡など入る術もなかったのに、死の連絡だけは不思議と繋がる。
衝撃と、伝えきれなかった不完全な感情で溢れた。
ここから、母はさらにおかしくなっていった。

時系列は、もう思い出せない、いや思い出したくないのか、
父の死の前に、
自分の身には、子宮頚がんを発症、2回円錐切除
長男を出産したが、出産時のトラブルで命は助かったが、ずっと集中治療室で呼吸器をつけたまま、体は動かず、10ヶ月の命で他界した…
その後、子宮頸がん再発、子宮摘出…
帝王切開を含め、6回手術をした。

母は、統合失調症を発症、急性期は凄まじい、もちろん医療保護入院。
その後も悪化の度に3度の入院。
母との関係が限界になり、恐怖で発作が起こるようになった。

ソーシャルワーカーさんが何度も言った。

「あなたは悪くない」

その言葉に、涙が溢れた。


人よりも、壮絶な人生だと思う。
また、自分の身の上は、他と変わらない。
または、まだまだ、いいと思えるものなのかもしれない。


ただ、自分が自分でいようとする時、また、自分を感じようとする時に、
当たり前にできるようなことが、当たり前にできなかったり
他の人のように、自然に楽にできないのだということはわかる。


それが、どうしてなのかがわかる今は、そこがわからなくて苦しむことがない。
AC、愛着障害、HSP
私には、さまざまな側面があるのだ。
そして、これを丸ごと受け止められるのも、自分自身だ!


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