結婚したいけどしたくないー生きてるだけで子孫繁栄ー
二十七年も生きていると、たいてい訊かれるのだ。
初めて会ってから、平均三十分後くらいに。
「結婚してるの?」、と。
「してません」と答える時、なめらかに口が動かないのは、そして心がざらっとするのは、質問を投げかけてきた人が悪いわけではない。もちろん世間が悪いわけでもない。
だれでもない自分自身が、「そろそろ結婚しているべきなのでは」と、心の奥底で感じているせいである。
独身貴族になりたいわけでもなく、かと言って今すぐ誰かの嫁になりたくもない三十前後の女にとって、「結婚」というテーマは厄介だ。
「焦ることなく良いタイミングで」と頭では理解していても、「良いタイミングは本当に訪れるのか?」と不安になるし、一人で死んでいく勇気もないし、だからって簡単に決めるには大きな決断すぎるし。考えれば考えるほど深みにハマっていく、そしてその沼は二十六歳あたりから ずんずん深くなっていく、感じがする。
結婚について考えを巡らす時、本当に厄介なのは「したくない」と思っている時だ。「特にしたくない」けど「した方がいいのかも/するべきかも」とか。「今は」したくないのだけど、「この先は」どうかわからない、とか。
じゃあその時決めればいいのでは?と言われても、出産の問題があったりする。今は子どものことなんて考えられないけれど、「いつか」子どもが欲しくなるかも、と。要するに現在の自分と未来の自分の板挟みになる。だから答えを出すのは困難を極める。
私は人生において、全てを持つのは無理だと思っている。なにかを選べばなにかは消えるし、なにかを得るためになにかを捨てるのだ。
私の友達は若くして結婚したけれど、彼女の二十代は「家族」。私の二十代は「仕事」。たまに会って話した時、互いが互いを羨ましく思うこともあるけれど、両方を同時に得るのはむずかしいと思う。彼女が家族に尽くした毎日は、家族にウェイトを置いていたし、私が仕事に明け暮れた毎日は、仕事にウェイトを置いていた。
結局のところ「現在の自分」が決めたことを積み重ねて生きていくしかない。毎度その結論に達するのだけど、たまに訪れる「結婚してるの?」攻撃には、HPをやや削られる性質の人間も、ここに居る。※結婚してるの?とフランクに訊かれなくなった時が更に怖い、というのはまた別のお話で。
そんな感じで過ごしていたある日、仕事から帰ると、部屋の壁になにやら黒い物体を見つけた。蚊だった。
それもずいぶん大きなやつ。季節は冬になったというのに、白い壁にぴたりと止まっていた。
私はコートも脱がずティッシュを手にとり、それに近づき、壁に跡がつかないよう柔らかく殺した。
この日から、部屋で大きな蚊をたまに見かけるようになった。原因はおそらくベランダに置いた植木鉢。仕方がないので、本格的に寒くなるまで、狭い部屋でしばし蚊と共存することになった。
私はよく蚊に刺される。だから今回も刺される覚悟をしていた。
しかし寝ても覚めても、部屋の蚊は私の血を吸わなかった。冬の蚊は血を吸わないのか?と考えていた時、そういえば人間の血を吸うのはメスだけだということを思い出した。そして友達にこの話をしてみた。
「人の血を吸うのって、メスだけだよね。私の部屋に居るのはオスなのかな」
友達は頷きながら、面白いことを教えてくれた。
「しかも、メスも子どもを産む時だけ吸うらしいよ。生きていくために必要な栄養は、水とかで済むらしい。子どものために人間の血を吸うんだって」
私はこの話を聞いて思わず言ってしまった。
「じゃあ蚊の子どもって、私の血で育ってるじゃん」
友達は笑って、「血をわけた子どもだね」と言った。
もう一度言うけど、私はよく蚊に刺される。夏はほぼ毎日だって刺されるし、虫よけスプレーが意味をなさないこともある。毎日毎日同じメスが私の血を吸っているとは考えにくく、つまりたくさんの母親(蚊)が私の血を吸っては子どもを産み、子どもは育っていくわけで、え、それってもう私の子どもじゃない?などと、酒の入った頭で考えてしまうのであった。合掌。
将来結婚できるかできないかわからないし、いつかはしたいと思っていても その考え自体がワガママかもしれないこともわかってる。子どもが居る友達を見たら大変そうだなぁと思うし、会うたびに背が縮む母を想うと「孫」という存在を考えたりもする。
それでも私はやっぱりまだ結婚したくないからしない。「いつかはしたい」という気持ちが心の奥底で疼いても、だれかの妻であることを羨ましく思っても、何度「結婚しないの?」と訊かれても。
自分が決めたことにすら疲れてしまった時、部屋で見た冬の蚊を思い出す。人間も結局動物だし、食物連鎖の一部だし、生きてるだけで子孫繁栄している、のかも。そう思うと笑える。結婚なんかしなくても、私の血は今もどこかで生きている、と。
大好物のマシュマロを買うお金にします。