だれかにハグして欲しい夜は
秋という季節が好き。
朝か昼に外を歩いていたら、ふと「あ、今日から秋だな」と気づく時がある。それはたいてい8月の終わりか9月の始めくらいで、世の中はまだまだ「夏」とか「残暑」とかいう名前をつける季節のこと。ふと舞う風の香りが「あ、秋だ」と思わせる。だから私はそういう日から秋という季節を浴びる。だれにも言わず、ひっそりと。
四季がある日本に生まれてよかった。そう感じるのは、たいてい季節の変わり目なのだ。
文明が発達したせいで真夏でも室内は寒い。夏に長袖を着る自分が好きではない(なんとなく自然にあらがっている気がして、罪悪感がある)から、夏には夏の服を着る。秋になると半袖のニットとか、スカートに素足の靴下とか、短い期間しか着られないものを着る。いつの間にか「え、さむい」ということに気づいて、首も出せなくなるし、足も出せなくなるし、なんとまあ儚いおしゃれだろうと感じる。だから秋がすき。ずっと続くものはつまらない。終わりがあるから、愛せる。何事も。
長年の友人が「肉を食いたい」と言うので焼肉屋へ繰り出した。もくもく漂う煙、ジュージューと肉が焼ける軽快な音。
「別れたの」
七輪の向こう側に座る彼女がそう言った。二度ほど会ったことのある彼女の恋人を思い浮かべた。「別れたの」、それ以上は語らないところがとてもよかった。だから私も「なにがあったの?」と訊かなかった。だって、ふたりのことはふたりにしか分からない。彼女も、彼女の元恋人も、どちらが悪いとかどちらが引き金を引いたとかどちらがどうだとかそうだとか、そういう想像をする権利も、義務も、私にはない。「そっか」と言いながら安いビールをちゃちなコップに注いでやった。私にできるのはそれくらいのもんだった。
涙味のビールを呑んだ。ただひたすら呑んだ。今日の天気の話をして、明日の仕事の話をして、時折私たちは無言になった。たらふく食べてたらふく呑んで会計を済ませて外へ出たら、キンモクセイの香りが煙たい私たちを包んでゆく。
ぜんぶ忘れてしまおう!って無責任に言えるほどには若くもないし、キンモクセイっていい匂いだよねって言えるくらいには歳をとった。
「家まで送ってあげる」せめて今日は君の王子になろう。真夜中にチャリンコふたり乗りして帰る。風を切る。ぐんぐんと切る。思わぬスピード感、後ろに乗る彼女がキャッキャと笑う。男の傷は女で癒せぬ。白馬もガラスの靴もBMWも持ち合わせておらぬ。でも、白馬に見立てた自転車をぶっ飛ばすことはできるし、ガラスの靴なんて働くオンナにゃ重いだけだし、BMWには乗らないからこそニンニク臭い私はニンニク臭い彼女にハグしてやれる。だーれもいない真っ暗な道、光を灯すのは自分自身。
さあ、今日はゆっくり寝よう。明日の朝 二日酔いになることも、どっぷりと腹が出ることも、気にせず寝よう。ただ、眠ろう。明日になって、明後日になって、11月になって、2021年になって、春になったら、今度は笑い味のビールを呑もう。
ずっと続くものはつまらない。終わりがあるから、愛せる。何事も。無論 私たちの友情にも終わりは来る。転勤したら、結婚したら、死という日が来たら。だから今をめいっぱい愛す。あっという間に過ぎ去る秋の匂いを体いっぱい感じるように、儚い若き日を心いっぱい刻むように、この瞬間に目の前に居る彼女を笑わせるように。
終わりがあるから、始まる。四季も、恋も、何事も。
大好物のマシュマロを買うお金にします。