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連載小説 【 THE・新聞配達員 】 その45


45.   ジョンのウインク



日曜日の朝。


朝刊の配達が終わった。
今日は日曜日だから夕刊は無い。


新聞配達が無いという事は
優子さんのご飯も無い。


いつもなら一人、部屋でダラダラして終わる日曜日。


朝刊の配達が終わってもまだ朝だ。
そんな朝からビールを飲んでは寝て、
起きてはビールを飲んで、
暮れていく夕日の寂しさを紛らわせるために
またビールを飲んだ。


しかし、今日は違った。


約束がある。
夕飯のお誘いだ。


朝から段取りを考える私。


夜遅くなるかもしれないから
今のうちに早めに寝ておこう、とか。


お酒が残っていては、いやらしいから
ビールも1本だけにしておこう、とか。


着ていく服も準備した。
ちゃんと襟の付いたポロシャツだ。


自分で自分への作戦を立てて、
自分だけで実行する。


楽しすぎる!


今日、夕食のお誘いがあることは
誰にも言っていない。


粗品の洗剤はもう、
相棒である自転車の前カゴに積んである。



花でも買っていくべきだろうか。
少し早めに部屋を出て、花屋さんに寄ってから行こうか。
ならば15時には起きようか。


準備万端だ。
よしっ!




さて、
意気込んでいた朝の9時から
9時間が経っていた。
目を開けて時計を見たら、そうなっていたのだ。
つまり、寝過ごした。


早く寝るつもりが興奮してしまった。
1本のつもりのビールも5本になった。


正午くらいまで眠れずにビールを飲んでいた。
起きた今、夕方の6時。
約束は7時だ。
急げ!


歯を3回磨いた。
ドライヤーで髪を梳かした。
そして着替えた。
下に着ているTシャツもパンツも全部丸ごと着替えた。
スッキリした。
これで何が起こっても大丈夫な気がした。


誰もいない新聞屋さんに行って
爽やかに自転車に飛び乗った。
7時まであと10分もある。


8分で着いた。
自転車のサドルを優しく叩いて言った。


「ちょっと遅くなるかもしれないけど、
待っててくれよ、相棒。」


自転車がまるでうなづくかのように、
勝手にハンドルが左に傾いた。


よしっ!行くか!
まだ少しビールの余韻が残っていた。
そのおかげ未知への恐怖心は無かった。


ピンポーン!


「はーい」


奥様の優しい声がした。


ドアが開いた。


「いらっしゃい!こちらへどうぞ!」


エプロンをして、髪を後ろで束ねている。
優しさの固まりだ。そして柔らかさの象徴だ。
結婚するなら、こんな人を選ぶべきなのだろうか。
今日はそんな気がした。
そして今から、この人の娘さんに会えるのだ。


楽しみで、しょうがない。


「お邪魔します!」


そう言って靴を脱いで、
キッチリと揃えた。
これが後でポイントになるはずだ。


玄関に上がって廊下を通って
奥様が開けてくれているドアから
中に入った。
リビングだ。


大きなテーブルが2つ、くっ付けられていた。
テーブルの上には所狭しと豪華な料理が並んでいた。
テレビが点いていた。
そして、おっさんがひとり、
テレビの横でじっと座っている。


誰だろう?
旦那さんかな?


でもスーツ姿だ。
家でこんな格好をするものなのだろうか?
ゲスト感が否めない。


「あ、どうもどうも。よく来たね。」


よく来た?
どういうことだ?
やはりおっさんは、この家の人のようだ。


奥様が台所からこちらにやって来た。


「ここに座って。飲み物は何がいい?
あ、この人は野崎さん。」


「どうも、野崎です。よろしく。」


「どうも。」


私は状況がよく飲み込めないが
とりあえず座りながら返事をしてうなづいた。


娘さんはまだのようだ。
まだ帰ってないのかな?
それとも自分の部屋に居るのかな?


テーブルの上に大きなお茶と
オレンジジュースと三ツ矢サイダーの
ペットボトルが置いてある。


「お茶でいい?ジュースにする?」


「あ、お茶で。ありがとうございます。」


奥様が私のグラスにお茶を注ぐ。


「じゃあまず、このビデオを見ましょうかー。」


おっさんが急に司会者のような口調で仕切り始めた。
テレビの前でビデオデッキを操作している。


ビデオの上映が始まった。
おっさんも奥様もちゃんとビデオを見ている。
食べ物に手を付けていない。


私はお腹がペコペコなので
戴くことに事にした。
割り箸を割った。


「すいません。いただきます。」


「はい、どうぞ。いっぱい食べてね。」


いきなり唐揚げに手を伸ばした。


ビールは出無さそうだ。
きっとお酒のない世界に住んでいるのだろう。
そんな雰囲気がした。
贅沢は言わない。
しかし娘さんはまだかな?


何やら色んな人がテレビ画面に登場している。
有名な人も有名でない人も。


ドキュメンタリーのように
いろんな人が出てきてはインタビュー形式で
何かをしゃべっている。

おっさんも奥様も真剣にそのビデオを見ている。
私も見るしかなかった。


口をモグモグさせながら
テレビを見た。


想像していた楽しい会話をしながらのディナーに
いつになったらなるんだろうか考えながらお腹を満たしていった。


テレビに映る人が泣いている。
悲しかった出来事を語っている。
辛かった人生を語っている。
とんでもない不運に見舞われたことを
語っている。


そして、その後である。
どうやってそこから救われたかを
語り始めた。


つまり、
「昔は不幸だったけど、
今は幸せになりました。」
という自分の人生を本人が語っているビデオである。


何が起こって幸せに好転したのか?


そこがポイントである。


どんどんんと幸せになっていく人達の話に
おっさんも奥様もウンウンとうなづいている。
奥様に至ってはハンカチを目に当てておられる。


何なんだ?この食事会は?
こんな食事会になるなんて思ってもみなかった。
大人が考えていることは、さっぱり分からないものだ。


私が考えていた食事会は、こうだ。



娘さんを紹介されて、年の近い二人はその日のうちに恋に落ち、
学生という身分でありながらも結婚をする。私は自分の荷物をまとめて
この家に住み始める。
やがて子供を授かる。
この家を私が守らなければならないのだという決意とともに、
高々とギターを天に掲げる。
小さな子供を背中に背負いながら、道端でギターを抱えて歌うのだ!
その名も「子連れギター侍」だ!
おっ。これは新しいな。この路線で行こうかな。


しかし!そんなストーリーは完全に打ち砕かれた!


おっさんも眼鏡を外してハンカチを両目に当てていた。


テレビに「Fin」と表れた。
ビデオ上映が終わったようだ。


何をすれば不幸から幸せになれるのか。
私以外の全員がわかる1時間ほどのビデオだった。


つまりはこうだ。


金ピカの仏壇を購入して、それを拝める。
そして、おっさん達の所属する会に入れば良いということだ。


なんてことだ!


私はもうすっかりお腹がいっぱいになるまで
食事してしまった。
食べたものは戻せない。借りができてしまったではないか!


お金を払おうか?
しまった!財布を持ってきていない!
どうすればこの状況から脱出できるだろうか。


何やらおっさんが話している。
誰に話しているのだろう?
何を言っているのかも、あまり分からない。
独り言のように語っている。



ビデオに出てきた誰々が誰で、
どうなってという後日談を
熱く語っているようだ。


奥様もそれを聞いて「そうよね。」と頷いている。



そういえば、
娘の「む」の字も出てこないではないか!


私はしっかりと騙されたのだ!
20歳でまだ若いから騙せると思ったんだな。
私は流されやすいほうだが、根は頑固である。


幸せになるのに、どこかに所属する必要も
何かを購入することも、
今の所、私には無用だ。


第一に、「幸せになりたい!」と
心から願うほどの不幸に陥ったことがないのだ。


心の底から辛い思いをしたことがないのだ。
辛かったといえば、失恋した時にもう死のうかなと思った事くらいだ。
ちっぽけな不幸。


おっさんが最後の切り札を出してきた。


「ミュージシャンとしてデビューしたかったら
入会したほうがいいよ。有名な人がいっぱい居てるから
知り合いになれるチャンスだよ。」


口調は優しいが的が外れている。


私はミュージシャンになりたいが、
練習もしていなければ、まだ自分の作品も作ったことがない。
何もせず何も無い奴が、どうやってデビューできるというのだ?
失礼な!


よし!言ってやろう!


私は早く自分の部屋に帰ってビールが飲みたかったので、
帰るために言った。
まるで研いで研いで鋭くなったナイフのようなセリフを。


「・・・僕はまだ何かに頼るほど、辛かった事も悲しかった事も無い。
無いんですよ。野崎さん・・・」


まるで自分の声では無いような声が出た。
しかも私はまっすぐ二人の顔を見ている。
きっとジョン・レノンが舞い降りてきて
私に取り憑いてくれたんだ。
それしか考えられない!
自分の部屋のふすまに最近貼ったジョン・レノンのポスターを思った。
ジョンが薄いサングラスの奥でウインクしている。


言った瞬間、二人の目が大きく見開いているのが見えた。
何も言わなくなった二人。
黙ったまま、今は亡き唐揚げの皿の方を見ている二人。
きっと本当に優しいんだろうな。


しかし、もう十分だった。
私には、私を待つ新聞店と明日の朝刊がある!
外では相棒の自転車が待っているのだ!
私は幸せ者なのだ!


「ご馳走様でした。美味しかったです。ありがとうございます。
今日はもう帰りますね。洗剤、また今度持ってきますね。」


私はそう言って立ち上がって、お辞儀をし、
姿勢を今までの人生で一番良くした。



これでもかというくらいに背筋を伸ばして
靴を履いて、家を出た。


二人からは・・・何も聞こえなかった。


「おー。相棒。すまん。
遅くなったな。帰ろっか。」


カゴの中にあった洗剤を玄関の横に置いた。


どうせ毎日、配達に来るんだ。
毎日、この日の事を思い出すという事だ。


東京の本性が少しずつ見え始める。
ゆっくりと確実に私の様子を伺っている。


でも私はあの新聞屋さんにしっかりと守られているんだなと実感した。
早く優子さんのご飯が食べたくなった。

太陽のように力強く、黄金に輝く、あの大きな唐揚げを!


〜つづく〜

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