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病気やケガもなんのその! 難易度MAXなアフリカ自転車旅!

数ある自転車ツアーのなかでも特にきびしいアフリカ自転車旅。
「病気になったり、ケガしたりしなかったの?」
この記事は、その点を中心に書いています。

私が過去に参加した自転車ツアーを紹介するこのシリーズ。
4記事連続でアフリカ大陸縦断ツアーを紹介中です。

自転車旅行は自由に個人でやりたいというかた。
今回はアフリカです。
現地で経験豊富なガイドにアテがあるならともかく、そうでない場合は危険です。
でもツアーなら、比較的安全なコースの情報の共有、テントや寝袋みたいな重たい荷物は預かってくれて快適。

とはいえ結論からいうと、どれだけ準備していってもしすぎということはない、それがアフリカ。
3回目の今回は、エチオピアからゴール南アフリカの旅路と、トラブル続きの道中のレポートです。
これからアフリカ行きを考えているあなたのきっとよいヒントになる、かも?

ドラマがいっぱい 何が起こるかわからないTour d'Afrique 

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出典元:https://tdaglobalcycling.com/tour-dafrique

今回ご紹介しているツアーはこちらです。
ツアー名:Tour d'Afrique
期間:1月半ばから5月末
通過国:エジプト スーダン エチオピア ケニア タンザニア マラウィ ザンビア ナミビア 南アフリカ の10か国
予算:日本円で約97万ほど(飛行機代ビザ代は含まれません)
公式サイト:https://tdaglobalcycling.com/tour-dafrique
(コロナパンデミックにより2020年度と2021年度は期間が2か月に短縮されています)

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出典元:https://tdaglobalcycling.com/tour-dafrique

エジプトのカイロを出発し、5か月半かけて南アフリカはケープタウンをめざします。
走行距離はなんと、地球の円周のほぼ1/4、11,000キロ。
なんとも壮大なグレートジャーニー。

しかも、他の自転車ツアーとちがい、Tour d'Afriqueでは全体の7割近くがオフロード走行です。
出発して2か月もたつと、連日のラフな路面走行で人も、そして自転車にも疲労が。
結論からいうと、Tour d'Afriqueはやっぱり大変。
5か月半、体調管理をしながら走行するのは本当にきびしいです。

コース中唯一のキリスト教国で最貧国 エチオピア

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エチオピアは、山あり谷ありの緑豊かな国です。
全体的に標高が高く、山々の風景も、ところによっては北海道やアルプスをほうふつさる美しさ。
高地ならではの澄んだ空気は、エチオピアが赤道に近いことを忘れさせます。

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そして、エジプト、スーダンとイスラム教国がつづき、3国目エチオピアもそうかと思ってたらまさかのキリスト教国。
税関をぬけると私たちの前に
「飲みたかったでしょう?」
とばかりにお酒を扱うお店がデンと構えてました。

実は、今まで通ってきた国々はイスラム教国、なのでお酒が禁止。
でも、エチオピアならキリスト教国、だからお酒を飲んでもOK。
1か月ぶりの酒、ということでみんなで輪になって歓声とともに乾杯したんですが、
「このビールはいったい、何時間、炎天下にさらされていたんだろう」
という熱さ。
そう、エチオピアは、スーダンよりさらに貧しく、電気やインフラ整備もすごく遅れているのです。

ユー! ユー! ユー! 積極的すぎる現地人

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外国人の集団は、ユニセフかはたまた赤十字に見えるのか、エチオピアでは走行中、何度となく現地の人に止められました。
英語はほとんど通じず、
「ユー! ユー! ユー! (You。「おい、ちょっと」くらいのニュアンス)」
の大合唱で集団で私たちの前に立ちはだかり、止めようとするのです。

私たちが止まると当然のようにお金でも時計でも何でもいいからおいていけ、というジェスチャー。
しかし私たちは大荷物はトラックに預けて軽装だし、あげられるものは当然ありません。
あげられるものなんてない、と伝えてもあきらめないのが彼ら。
それこそ、じゃぁ靴を片方でいいからおいていけとまで食い下がってくるのです。

無視するなら覚悟してしましょう。
何ももらえないとわかると、彼らは怒って石でも棒でも近くに転がってるものをなんでも投げてきます。
汚水をかけられそうになったこともありました。

それでも大人だったらまだマシで、すくなくともこっちが致命傷になるようなことはしてきません。
(とはいえじゅうぶんこわいですが)
問題は子ども。
加減を知らないせいか、ピッチャーのように正確なコントロールで石を投げてきたり、手斧を振りまわしてきたりとほんとうに容赦がない。

ツアー側からも、あぶないのでなるべく一人では走らないよう通達されました。
自衛手段はと言うと、自転車修理キットの工具を武器として携帯する、あげてもいいお菓子をいくつか持っておくなどですかね。

お菓子はたくさんなくても大丈夫。
集団に囲まれたら、1個でもお菓子を遠めに投げるのです。
すると、みんな一瞬お菓子の方向へ走っていくので、うまく逃げられるというわけ。
記録(Tour d'Afriqueでは毎日、タイムを取っています)はあきらめて、女性のボディガードについてくれる人もいて、お互い協力しあいながら切り抜ける毎日でした。

もっとも2人で走っててもこわい目にはあいます。
ある日、30人近いエチオピア人男性たちが、手に手に鉄パイプや角材をもって、わぁわぁ言いながら1列になって道を封鎖するように立ちふさがっていたことがありました。
私と、エスコートを買って出てくれた男性参加者とでお互いに目を見合わせ、“まさかそんな大勢でたった2人を襲ったりはしないだろう”と判断。
覚悟を決めて突破を試みました。

しかし、容赦なく振り下ろされる鉄パイプ、角材。
一応、殺す気はないらしく、頭はたたかれませんでしたが、背中はもう滅多打ち。
それでもいきおよいよくこぎ抜け、突破。
リュックのおかげで背中はまぁまぁ無事でしたが、腕や腰はもうあざだらけになってました。

興奮状態の見物人からブロック片を投げつけられたこともありました。
見事にふとももにクリーンヒット。
けっこう痛むし走りに影響するしでほんとうにへこみます。

また、私が女性だからか、全裸の男が数キロにわたって追いかけてきたことも。
しかもガタガタなオフロードで、こちらは出せても時速20キロ。
と、いうか、時速20キロで何キロも私を負いかけ続ける彼の運動能力がこわかったです。
「さすがマラソン強国エチオピア、そのへんの人でも足が速い」
とヘンに納得。

エチオピアも軍隊をつけてはくれてましたが、Tour d'Afriqueはタイムレース制のせいで全員バラバラに走ってるため、カバーしきれないようです。
同行するエチオピア人ガイドも、毎日何人もがクレームを入れるので困っていました。

「エチオピア人は外国人になれてないんだ。単にかまってほしいだけ。
お金やものをせびられたら、やりかえしてみて」
というのがガイドのアドバイス。
ためしに翌日、また「ユー! ユー! ユー!」と立ちはだかる子どもの集団に出会ったので、私も負けずに「ユー! ユー! ユー!」と返してみました。
まさか言い返されると思わなかったのか、子どもたちは大ウケしながらなんと私たちを通してくれたのです。
100%の対処法とは言えませんが、“言い返すこと”で被害を少しは減らす効果がありそうです。

多民族国家で男尊女卑気味の風土

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エチオピアは他民族国家です。
でもどこの民族でも共通してみられるのは、遊んでる男性、働く女性。

女性はほんとうにどこで見かけても大変そうでした。
赤ちゃんを抱っこし、なのに自分の3倍くらいありそうな量のたき木を重そうに背負って歩いていたり。
満タンの水が入ったタンクを頭上に乗せ、子供の手を引きながら歩いていたり。

一方男性は。
軒先でギャラリーに囲まれながらのんびりチェス。
昼間から庭で仲間たちと飲んでいる。
道路に堂々と寝っ転がって空を見てる。

いやいや、男性諸君、女性に重労働させてるなら、せめて子どもだけでも見ててあげなさいよとモヤモヤしっぱなしでした。

そして同じエチオピア人どうしなのに、民族がちがうと仲良くもないようです。

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ちょっとした買い出しに出るというエチオピア人ガイドにくっついて、ひまつぶしに近くの集落に車でくり出したときのこと。
そこは写真のような、緑豊かな田園地帯。
ちなみにガイドは首都、アディスアベハ出身で、田園地帯に住む民族とは異なります。

たまたま、私は飲んですっかりカラになったペットボトルを握っていました。
まさか美しい田園地帯に投げ捨てるわけにもいきませんよね、ということで持ちつづけてただけなんですが、
ガイドは、
「いつまでそんなものを持っているの? かして」
と言って私の手からペットボトルを取ると、窓を指さしました。

見ると、道路わきを母子が手をつないでのんびり歩いています。
「見てな。あいつら、なんでも拾うんだぜ」
と言うがはやいか、いきなりペットボトルを母子の足元に投げつけたのです。
唐突すぎるし、そもそも彼がやったことが信じられなすぎて、私は固まってしまいました。

母子はもちろん投げられたペットボトルなんか拾ったりせず、走り去る私たちの車をにらんでいました。
「あれ、拾わなかったな。めずらしい」
などと彼は笑ってましたが、常識が違いすぎてフクザツな論争になってしまいそうだったので、私はついに彼を注意できませんでした。

自転車故障、続出

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エチオピアも、スーダンに負けず劣らず荒れたオフロード。
かれこれ1か月以上も荒れた路面の走行が続いてるので、さすがのマウンテンバイクでもつぎつぎ故障が発生。

一日に2回以上パンクなんてこともザラ。
でもパンクなら私でも直せるのでまだマシ。
中には、サドルの支柱が折れてすわれなくなった、チェーンが切れて走れなくなったというケースも。

部品交換が必要なレベルの故障だと、もうサポートのトラックが到着するのを待って、本格的な修理を受けないと走れないのが困りもの。
私の場合、最大のピンチは、ギア変換器が壊れてギアを変えられなくなったことでした。
まぁでも根性で走ればなんとかなるので、まだラッキーなほうですね。

ツアーにはメカニック担当者が同行しています。
たいがいの故障は無料で直してもらえますので相談してみましょう。

タイヤ交換、チューブ交換など部品の交換が必要なケースは有償対応です。

けが人、病人続出

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そして人も傷んできます。
やっぱり定期的に入浴する習慣がある人は、免疫力がそこまでワイルドではないらしい。
蓄積された疲労も手伝ってか、ささいなケガやちょっとした風邪がすぐ悪化してしまうのです。

ツアーには看護師が一人同行していますが、できることは限られます。
私が参加した当時はたまたま、参加者に小児科医と外科医がいたので、不調の時はいつでも気軽に相談できたし、適切な対処を受けられてすごくラッキーでした。
とはいえ、野外なのでどんな対処をされるのかたまにドキドキさせられることも。

蚊にくわれて、ちょっとかきすぎてできたかすかな傷が悪化したことがありました。
始めのうちはただの小さなかさぶただったのに、2~3日経つと徐々に腫れだし、痛んできたのです。
そのうち腫れは1~2センチも盛り上がり、先端がなんと数ミリ、割けてしまいました。
しかもそこから“歯磨き粉”のような白いものがヌロッともれてくるのです。
「なにこれ!?」

痛みはそれほどでもないんですが、とにかくヌロっとした白いものがブキミすぎて、外科医の彼に相談。
「あー、すぐになんとかしたほうがいいね」
と言われたほかになにかいろいろ説明されたんですが、専門的な英単語でいっぱいでほとんど聞き取れず。
でも“sting(刺す)”ということばは聞きとれ、同時に彼は自前のメスやら注射器やらを準備し始めたのです。

彼はツアーのサポーターになにやら事情を話すと、いつも肉をさばくのに使ってるステンレスのテーブルを持ってこさせ、私にテーブルに寝るよう指示。
「何が始まるんだ」
とほかの参加者もわらわら集まってきて、なんともものものしいムードに。
ちょっとコワくなった私は、
「やっぱりいい。様子を見る。ありがとう!」
と回れ右して自分のテントに逃げようとしました。
が、元米軍兵士という3人の屈強な男性参加者に、あっと言う間に抱えあげられてつれもどされ、なんとテーブルにうつぶせに押さえつけられてしまったのです。

治療のため、とわかっていてもコワイ。
「大丈夫、君は強いってみんな知ってるよ」
などなど元米軍兵士男性たちが私の手足をおさえこみながら英語で口々にはげましてくれますが、それどころじゃない。
最初の麻酔の注射がすでにもう激痛、なにやら傷口をいじくりまわされてる感覚がもうこわすぎて、
「うそでしょ! やめて!」
とずっと叫んでいました。

ほどなくして治療は終わったんですが、原因は、どうも衛生状態がわるすぎて傷口に粉瘤(ふんりゅう)という腫瘍ができてしまっていたとのこと。
しかも後日、同じ症状で彼の“手術”を受ける人が続出。
もう、毎日だれかがテーブルに寝かされてる状況です。
まるで野戦病院のようでした。

さらに、全員が慢性的な下痢になやまされるようになりました。
前回の記事でお伝えした通り、基本トイレがないことが多いので、用を足そうとしげみに入るとあちらこちらからおなかを下した便を出す音が聞こえてくるという、すごい有様。

また、ごはん事情もエチオピアは悪くなっていきました。
食材はツアー側が現地の市場で仕入れてくるんですが、貧しいエリアでは大したものが手に入らないのです。
ジャガイモとかぼちゃを塩ゆでしたものと、焼いた鶏肉だけ、なんて日が何日も続いたりしました。

おかげで私は下痢に加えて栄養失調にかかってしまいました。
毎日のノルマ120~140キロはなんとか走りぬく。
でも、夕飯はなんとか完食はしていたものの、野菜しか食べられず。
肉やパンは、弱った私には硬すぎて、かんだり飲みこんだりができなくなっていたのです。
しかも、夜間、胃のむかつきで何度も飛び起き、テントから飛び出して食べた夕飯を朝までにすべて吐いてしまう毎日。

ほかの参加者も苦しんでいました。
日かげになりそうな木の下にはたいてい誰かしらうずくまって休息。
ものごいに来た子どもたちを追い払おうと口を開いたら、そのまま吐いてしまったなんて人も。

同行する看護師も胃薬、頭痛薬、ケガ程度の対処しかできません。
連日野宿なので、そうかんたんに病院に連れて行ってもらうこともできません。
病人は基本、寝かせるだけです。

体調不良をおこす原因はさまざまです。
井戸水などでうすめられたミネラルウォーターを買ってしまい、ダウンしてしまった参加者もいました。
現地の水はチフス菌に汚染されている可能性があるのです。
ニセモノを買わないようにするには、キャップが本体から切り離されているかどうかで見分けましょう。

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出典元:https://faq.kirin.co.jp/faq_detail.html?id=331

新品のはずなのに開封されたあとがあるものは、うすめられたミネラルウォーター、もしくは井戸水そのものの可能性があるので必ずチェックしましょう。

暑さ、貧しい食事、そして疲労とで、参加者全員、いろんな不調で苦しめられたエチオピアでした。
しかし心底厳しかったのはこの後のマラウィで、マラリアの猛威がやはり一番きつかったです。

赤道直下なのにそんなに暑くない国 ケニア

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4か国目、ケニア。
いよいよTour d'Afriqueも折り返し。
そんなケニアは赤道直下にあります。
でも国土のほとんどが標高1,000m以上にあり、軽井沢みたいなさわやかな気候でたすかります。

でもやっぱりほとんどがオフロード。
ケニアまで来ると、私のパンク修理のうでもあがり、すっかり得意技に。
それでも日に2回3回とパンクが連続するとへこみます。

キャンプ地は囲まれる ものを売りに来る人も

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外国人がめずらしいのか、Tour d'Afriqueを知ってて一目見ようということなのかはわかりませんが、ツアー中はよく、キャンプ地が現地の人に囲まれました。
でも各自のテントには貴重品もあります。
人々が入ってこないよう、みんなのテント全部をぐるっと取り囲むように、まるで事件現場のような黄色いテープで規制線を貼って対応します。

たしかにテープのおかげで人々は入ってきません。
でも、テープの外側から現地人が何十人もが私たちの様子をみつめてるのです。
陽が沈むまで何時間もだまって立ってるので、慣れるまではちょっとこわかったです。

もちろん、
「あわよくば何かもらえたりして」
というのが彼らの本心。
参加者の中には見物人たちと仲良くなろうと、期限切れがちかいお菓子を投げわたしたりして、大もりあがりになることも。
でも用を足そうとテープの外に出ると、
「この人は何をくれるのかな」
とばかりに何十人も列をなしてついて来られたりして困りました。

ケニアではさらに、テープの中に子どもたちがするりと入ってきて、ビーズ細工やくだものを売りにきました。
また、マサイ族が民族衣装で登場し、撮影しようと集まった私たちに
「写真撮るなら1枚50USドルだから」
と言ってきたことも。
ケニアは、ほかの国々より商魂たくましい感じでした。

荒技ワイルドラフティング

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ナイロビの近くでは休日にタナリバーでラフティングを楽しみました。
ラフティングはTour d'Afriqueのオプションで、別料金ですが参加できます。
しかし、私たちに何かうらみでもあるのかと言いたくなるほどワイルドな川下りでした。

激流では全員何度も川に振り落とされました。
ひっくり返った船が私の上からおおいかぶさったことも。
船頭はひらりと近くの岩場にとびうつっていたようです。
こっちは船の下で、水面上に顔も出せないというのに、ウケねらいなのか、船頭が足で船をおさえつけてきたことがありました。

私はもう、鼻も口も完全に水面下。
もがいてあばれたので、船の下に人がいることは船頭もわかってるはずなのに、なぜかやめてもらえない。
たった数分ではありましたが、死ぬかもと思わされるには十分でした。
楽しさよりこわさいっぱいのラフティングの思い出です。

さすがナイロビ 大都会

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ナイロビは、数あるアフリカの首都のなかでもかなり都会。
交通量もはんぱない中、Tour d'Afrique一行を安全に通らせるため、軍隊に警察まで出動して道路一車線を完全封鎖。
ラッシュアワーの中、渋滞中の車の列をしり目に走りぬけるのは爽快でした。

そしてナイロビの一角にあるホテルで、ケニア政府の後援でパーティです。
私たち一人一人にレイをかけてくれ、シャンパンがふるまわれたりとなんだか華やか。
もちろん現地のTV局も来てました。

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ナイロビには欧米並みのサイズのどでかいスーパーもあります。
“スーパー”という店自体が久しぶり過ぎて、みんなで思わず入ってしまいましたが、買い物したら当たり前ですがレシートをもらえ、またびっくり。
「おいおい、レシートだよ、久しぶりに見たよ」
と、お互いのレシートを交換しあってつくづくとながめたものです。

鉄道が通ってるのを見るのも久しぶりでした。
線路すれすれまで露店が軒を連ねていて、“世界の車窓から”でたまに見るスリリングな列車通過の光景もおがめました。
現代と昔との風景とが同居しているふしぎな町、ナイロビ。
いつかまた訪れたい町のひとつです。

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まとめ

Tour d'Afriqueは最初の2か月がほんとうにきつくてつらいです。
今回は、私が体験した病気とケガの話を中心にご紹介しました。
●コース中唯一のキリスト教国で最貧国 エチオピア
エチオピアについて、のほか、病気に故障にトラブル続出のようすをレポートしました。
・ユー! ユー! ユー! と積極的すぎる現地人
・多民族国家で男尊女卑気味の風土
・自転車故障、続出
・けが人、病人続出

●赤道直下なのにそんなに暑くない国 ケニア
いよいよツアーも折り返し。
赤道直下の国、ケニアについて紹介しました。
・キャンプ地は囲まれる ものを売りに来る人も
・荒技ワイルドラフティング
・さすがナイロビ 大都会

次回の記事では、もう危険でタフな旅の様子はおなかいっぱいだと思いますので、
「行ってよかった!」
というアフリカツアーの魅力を中心にご紹介します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
では、また、次回。

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